第5話 追放
「ぐあっ……な、なにをしているギッシュ!」
「バカ、お前!なんであいつを捕まえない!」
二人がぎゃあぎゃあと喧嘩を始めた。そのやり取りを見て、どこか達観したように「憐れだなぁ」とすら思えてくる。もはや怒りや苛立ちすら湧かない。
「見苦しいぞ、二人とも!」
その声と共に、父が重々しい足取りで近づいてきた。二人はその威圧感に押されて口を閉ざし、周囲も息を潜めるように静まり返る。そして、父の冷たい視線が僕に向けられた。
「回避スキルを選んだんだな……貴様」
低く冷たい声が、神殿の静寂を打ち破るように響く。
「理由は聞くまい。下賤な貴様が言うことなど容易に分かる。ふざけた真似をして、名門貴族の名に泥を塗ろうというのだろう」
「いやいや、そんなことないですよ」
皮肉を交えた返事が口をついて出た。特に思ってもいないことだが、妙に言葉遣いまで変わってきている気がする。以前なら震え上がっていた父の言葉が、今ではただの冷たい風にしか感じられない。
「父さん、それだけですか?」
「あぁ、今言い渡してやる。お前はこのラグドール家に相応しくない。さっさと消えるがいい」
冷徹で威圧的な言葉に、周囲が息を飲む。剣星である父が放つ一言は、まるで『死』の宣告のように重々しい。その威厳に誰も逆らえないのだ。だが、不思議と僕にはその言葉がただの音にしか聞こえなかった。
「出ていけ」と言われただけじゃないか。命を取られるわけでもない。なぜこれほどまでに恐れていたのかさえ、今はわからない。僕は静かに溜め息をつき、淡々と答えた。
「分かった、出て行くよ」
「なに……ッ!」
素直に従っただけなのに、父の顔は不服そうに歪んだ。嫌いな相手に対しては、どんな返答であっても気に入らないものなのだろう。僕が何を選ぼうと、何をしようと、この関係は最初から変わるはずもなかったのだ。それほどまでに、家族との間には修復不可能な溝があったのだと今になって理解する。
それがわかったことに、妙な清々しささえ覚えた。もう、後悔することもない。
そうして僕は静かに神殿を後にした。
◆◆◆◆
「これは事件だ、絶対にニュースになるぞぉ……」
「いいや、これは黙っておけ。あの剣星様を怒らせたら何が起こるか分からねぇ」
「見ちゃいけないモノを見ちまったな」
観衆たちがあれこれと、噂話をする一方で
「……あの馬鹿、絶対に家の名を落とそうとわざとあんなスキルを選んだんだぜ」
「はぁ~、まさかあそこまで低レベルな奴だとは思わなかったよ。いなくなってせいせいするぜ」
家族の面々が軽蔑と嘲りを交えた言葉を投げかける中、司祭は静かに首を傾げ、ぼそりと呟いた。
「おかしいのう……なぜあの者たちは、あのように怒っているのじゃ?」
司祭は一瞬、フレンを見送るために開かれた扉の向こうへ目を向けた。
だが、その視線はすぐに神殿に戻り、静かにステンドグラスの女神像を仰ぎ見る。
まばゆい光を背負うその神々しい姿は、フレンが受け取ったはずの神の加護の象徴だったはずだ。
それでも、この家族はなぜかフレンを見下し、追い出すように扱っている——司祭の心には、その光景が奇妙なものとして焼き付いていた。彼が感じるこの反応の差に、どうしても説明がつかなかった。
通常ならば、どのようなスキルを選ぼうと、それを与えるのは神の意思。
特に「回避」や「スルースキル」は、心を守り、余計な争いを避けることができるという意味で、聡明な人々には高く評価されるはずのスキルだった。
それなのに、家族の反応はまるで逆だ。
「ふむ……どうやら、何かしらの確執があるようじゃの」
司祭はしばし考え、フレンが選んだスキルの意味を改めて吟味する。
回避スキル——単なる「逃げ」のスキルに見えるかもしれないが、決してそれだけではない。厄介ごとや争いから身を守り、外からの害悪を受け流す。
そのための優れた防衛術であり、精神面でも冷静さを保てるという意味で非常に有用なものだ——というのが司祭の認識。
「いや……ワシも歳を取ったのかもしれぬ、皆が反対する理由も色々あるのだろう」
司祭は自分に間違いがあるのだ、だから周囲の反応も異様に見えてしまうのだろうと考えを改めた。
だが、家の重圧や期待に対し、少々風変わりなスキルであっても、それはフレンが選び取った自分の道。司祭はそのことに微かな祝福と共感を感じていた。
「皆の者、静粛に。神聖なる儀式を終えた今、彼を見送るのもまた神の意思じゃ」
司祭は重々しい声で人々に呼びかけた。
騒がしかった空気が少しずつ静まり返り、彼の言葉に耳を傾ける者もいる。
「女神の加護はすでにフレン殿に授けられたのじゃ。神の下で選ばれたスキルに他人がとやかく言うものではない」
周囲の者たちは、不服そうに眉をひそめながらも、司祭の言葉を受け入れざるを得なかった。神聖な儀式を執り行った司祭の言葉は、ここでは絶対的な権威として通っていたのだ。
司祭は再び女神像を見上げ、心の中でそっと祈りを捧げる。
「……どうか、フレン殿に神の加護があらんことを」
その小さな祈りに込められたのは、彼の未来を見守る温かな願いだった。
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