第45話
「誤魔化しているのは、あなただ。貝介さん。あなたも同じはず、あの物理草紙を、あの輝きを求めてきたのでしょう?」
「違う。俺は」
「違わないでしょう? そうでなければこんなところに来るはずがない」
「俺はお前たちを止めるために来たんだ」
「止める?」
心底不思議そうな顔で父親は首を傾げた。まるで貝介がおかしなことを言っているとでも言いたげな様子だ。貝介はその意識して無視した。
目の前にいるのは知り合いの子供の父親ではない。対処すべき発狂模倣者だ。冷徹な声を作り、続ける。
「大方どこかで噂でも聞きつけてきたのだろう? この店に『写し』があると。それも原本に近いものが。それでこんなところまできたのだろう?」
「ええ、だから、それは貝介さんと同じでしょう?」
「だが残念だったな。その噂は囮だ。お前のような模倣者を惹きつけるためのな。お前はまんまとだまされたんだよ」
「ああ、そういうことですか」
軽く手を打って父親は笑う。悔しさは欠片も感じられない声色だった。貝介は言葉を続ける。
「ああ、そういうことだ。お前は監視対象に入れさせてもらう。だが、それだけだ。だからもう帰るんだ……ヤスケが待っているぞ」
貝介は躊躇いがちに言葉をつけ加えた。これで少しでも心が動いてくれればよいのだが。半ば祈るようにそう思う。
「ああ、ヤスケか」
父親はどこか遠くを見た。貝介は何も言わず、次の言葉を待つ。
「まあ、仕方がないですね」
「何が仕方がないんだ」
続いた言葉はあまりにもあっさりとした言葉で、貝介にはその言葉がなにを諦めているのかわからなかった。物理草紙か、息子か。あの光か日常か。
後者であってほしい。
「ははは」
不意に、父親が笑い声を漏らした。場違いな笑い声。貝介は油断なく父親の笑顔を睨む。
「何がおかしい」
「やっぱり、発狂頭巾ってそうなるんだなって」
「なにがだ」
「ですから、選ぶ時が来るってことですよ」
選ぶ時? 何を? 貝介の頭が次の言葉を予測する。今までに見た発狂頭巾の幻影画から、そして本当の発狂頭巾の顛末から。父親の下向きの三日月のような口がさらに吊り上がる。
「息子か、発狂頭巾か。どちらかを」
予測通りの答え、そして、だから、貝介の頭の熱が一瞬で煮えたぎる。
視界が赤く染まり、意識が怒りに塗りつぶされる。
しかし、かろうじて、ほんのわずかに残った理性がなすべきことを思い出させる。怒りに細く閉まった喉から、唸り声を絞り出す。
「それは、息子を選ぶべきだ」
「発狂頭巾はそうしなかった」
「だが、お前は、発狂頭巾じゃない」
「ええ、だから発狂頭巾に成るんですよ」
貝介の言葉を受け流し、父親はにこりと笑う。それから肩をすくめ、腰に手をやる。
「私はそこにある『写し』を手に入れて、本物の発狂頭巾に成る。空位を埋め、世間を平和にするんです。そうすればヤスケだって安全に暮らせる。先代だって、そう思ったはずだ」
湧きあがり、煮え立ち続ける脳髄を抑え、貝介は答える。
「それはお前の仕事ではない」
「私がやらなければ誰がやるっているんですか?」
「俺だ。俺たちだ」
「ずいぶんと、頼りないですね」
息を吐き、頭の熱を冷やす。なすべきことは単純だ。引く気がないというなら。
「力ずくで止めさせてもらう」
「はは、暴力なんて乱暴な。狂いでもしましたか?」
「俺は狂ってなどいない」
「じゃあ、私が狂っているんですかね」
父親の手が背中に回る。貝介は鉈の柄を握る手に力を込めた。
【つづく】
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