第42話 英雄の再誕㊷

 その熱に、貝介はヤスケの父親を思い出す。この熱の始まり。感染源。その会話。物理書籍の『写し』を求める熱。その熱は薄くかすれているけれども、確かにここ、貝介の胸の中に残っている。その胸の中の熾火のような熱は先ほどの模倣者の言葉を聞いてからかすかにその存在を主張し始めていた。

 ――お前もだろう?

 男の粘つく声が耳の中に蘇る。その声が胸の熾火に息を吹き込む。

「俺は違う」

「どしました?」

 思いが知らず言葉として漏れていたらしい、駆けながら八が怪訝そうに尋ねる。

「いや、なんでもない」

 首を振る。胸の中の熱のことを八に話すのはなぜだか躊躇われた。言葉にして正確に語るには曖昧過ぎる。おぼろげな感覚でしかないのだ。

「そうでやすか」

 見返してくる八の目はいったいどのような意味が込められているのだろうか。考えている暇はない。八の意図についても、自身の胸の熱についてもも。貝介は駆ける先に目を戻す。

「もうすぐだな」

「ですな」

 八の走る速度も緩まない。空夜の命令の緊急性は八にもわかっているのだろう。行くべき場所は頭に入っている。馬鈴堂の倉庫。何がある? 物理草紙の在庫だろうか。あるいは低世代の『写し』もそこに?

 先ほどの模倣者のことが頭に浮かぶ。あの模倣者は噂だけでこの店に忍び込んだようには見えなかった。もっと確かに、具体的な何かを探して侵入した様子だった。

 あの模倣者は正確に倉庫の近くの区画に侵入していた。だが、正確な間取りを手に入れていたわけではない。あの個所から侵入しても壁に阻まれていることがわかるはずだからだ。

 駆ける息につられて、胸の熱が思考に上がってくる。頭に、そして目の奥に。目の奥がちりちりと輝くような感覚。

 そうだ、感覚だ。なんらかの感覚によって目的のものを感知しているような。目的のもの? 何だそれは? 決まっている。『写し』だ。模倣者が求めているのはそれしかない。

 思い出すのはヤスケの父親と会話していた時のこと。あの時は八がやってきてうやむやになったけれども、父親が取り出そうとしていたのはなんだろう? あの光。あの温もりある輝き。あれは……あれこそが『写し』の感覚ではないか? 模倣者たちはあの輝きを見ているのではないか?

 荒唐無稽な考えだ。そんなはずはない。そう否定する思考と、同時に確かに感じたあの温もりの感覚が対立する。あの時に感じた感覚。あの時だけではない。今もほのかに感じるあの温もり。

 今も? いつのまにか頭の中から見取り図が消えていることに気が付く。思考は何も見ていないのに、足は確かにどこかに向かう。廊下の角を一る曲がる。

「どこにいくつもりで?」

 角を曲がりかけたところで、八が声をかける。

「こっちだ」

「でも、見取り図じゃあ」

「いや、こっちで間違いないはずだ」

「はあ」

 怪訝な顔で八が首を傾げる。貝介は暗闇の続く廊下に視線を向けて言った。

「この先で何か物音がしたのだ」

「あっしには聞こえませんでしたが」

「そうか、だが気になる。確認だけでもしたい」

「さようで、ごぜえますか」

「ああ、気に入らないなら先に行け」

「そういうわけにもいかないでしょうよ」

「そうか」

 貝介は曖昧に頷く。貝介の目は暗闇の向こうに、明るい輝きを見ていた。

 

【つづく】



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