#06-5 貴方を裁く権利なんてアタシには無いけど


(何が……何が起こっている……… ?!)


 タルウェフェルト家当主フィリップは、己の眼前で巻き起こっている出来事を、まるで理解することが出来ずに、ただただ困惑していた。


 すぐに調べさせる。

 そう言って退室した部下は、いつまで経っても戻って来ぬまま、騒音は収まる気配を見せなった。


 使えぬ部下共だ、そう舌を叩きつけながら。

 痺れを切らせたフィリップは、小鳥たちのどろりとした視線を背に受けながら、鳥籠から抜け出して。廊下から続く螺旋階段から階下へと目を走らせた、その時だった。



 ――ぱっ。


 突然、赤い“薔薇“が花開いた。

 煉瓦れんが造りの壁に突然だ。


(……なんだ、あれは?)


 ――ぱっ。ぱっ。

 困惑するフィリップの事などお構い無しに、いくつもいくつも、薔薇たちは咲き乱れ始めた。

 次々に赤く染っていく階下に向けて、何が起こっている、と声を張り上げようとしたところで。


 ふ……っと。

 争い事を好まない……より正確に言えば、己に危険が及ぶ出来事から目を背け続けてきた……フィリップだが、それでも……あるいは、であるが故に……よく知るその香りが届き、閉口した彼は目を見開いた。

 

 フィリップの鼻腔びこうに届いたのは、その“薔薇“が放つ香りだった。


「……鮮血の、匂い、だと……?」


 その香りが意味するところに、彼が気が付いた時。


 ――パン、パン、パン、パン。


 いくつものが、塔の煉瓦に反響して広がっていた。



 ――パァン……ッ!


「――ただひとつTantum unum.♪」


 銃声。

 続いて、すぅ、と。伸び上がるような声が響く。

 それに呼応するように、『観客席』からは大きな『歓声』が上がり、続けて『観客』……だったものが、真っ赤な薔薇を咲かせて吹き飛んでいく。


 パァンッ!


「♪たったのひとつUnus tantum.――」


 タン、トン、とリズムを刻むステップが始まり。

 やがてそれは大きな大きな『手拍子』と一緒になって、甘く、つややかな歌声と共に、整えられた『舞台』に広がり、満たしていく。


 パァンッ!


「――たったひとつの、Unus tantum,ただひとつTantum unum.♪」


 リーセは手を振り、笑顔を振りまきいて。

 次々と『観客』の『歓声』に応えていく。


 響いた声が、すぅ、と、煉瓦の壁に溶けていくと。

 またひとつ、真っ赤な薔薇が乱れ咲く。


 パァンッ!


「♪ええ、Ita,構いません、bene est,構いません。bene est.貴方様がSi tibiそれで良いとconvenit,仰るのならbene est.♪」


 すぅと伸び上がり、すぅと消え去って。

 真っ赤な薔薇は真っ赤な絨毯タペイトを産み、やがて辺り一帯が赤に埋め尽くされていくと、次第次第に塔のすべてが音で包み込まれていく。

 

 パァンッ!


「♪アタシが欲しいのは、Mihi unum est,ただそれだけなのですからbene est.♪」


 真っ赤な薔薇を振りまきながら、わあわあと声を張り上げていた『観客』たちの声が遠くなったのを感じて、ボクはそっと距離を置く。


 リーセの歌声に聞き惚れた『観客』は、その歌声を聞くために黙りこくるだけ。

 リーセの『舞台』を邪魔する不届き者なんて、もうどこにもいないのだから。


「――っ……」

 ふと。

 艶やかに舞うリーセの姿に見蕩みとれていたボクの事を、じっと見つめる視線が飛んできて。

 殆ど無意識に、ボクは息を呑んだ。


 くす……っ。


 手拍子と、歌声と。

 音楽で支配された、他の音なんて聞こえるはずのないこの空間に。リーセはほんの微かに、息遣いを響かせると。

 すぃ……っ。

 そこに視線をまるで上げることなく、天高く上へ、ピンと指でさししめす。


 ひくり。

 忘れさせられた呼吸を思い出し、ボクは喉を震わせながらその指の先を追う。

 見上げた先には、螺旋階段のてっぺんに立つ、一人の冴えない貴族の男の姿があった。


「…………な、……な……っ、お前は、“唯一ただひとつの……“!!」

 こわばらせた顔を、無様に醜く歪ませる男の姿に。


 ……ああ、あれが。

 そう、理解して。ボクは構えを解く。


 ――ボクの役目はここまで。

 ここから先は、主演のひとり舞台。

 脇役はそっと袖に隠れるだけ。



「な、なぜ……、お前のような歌手ふぜいが、ここに……!」

「……あはっ♪ なんでかなぁ?♪ 少しお考えくださいよ、フィリップの旦那ワールデ・ヘール・タルウェフェルト?」

「貴様のような下賤げせんな輩に、そのように呼ばれる筋合いなどない! だいたい貴様、いつぞやの……、歌手の女を通してしかこの私と接してもいない癖に、なんと無礼な……!」

 ギリ……ッと。

 向けられたのは、憎悪にも似た悪意。


「…………ふぅ、ん……?」


 返されたのは。

「そっかぁ。…………」

 

……、…………♪」

 艶やかで、眩しいほどの、笑顔で。

 リーセは顔を振り上げて。


「――さぁさぁ、Agite, agite,皆様お立ち会いspectatores omnes.♪」


 一際ひときわ美しい歌声をとどろかせ。

 天に向かって



「♪お代はPretium estひとつunum.――」

 リーセは駆け上がる。塔の底から。

「――たったのひとつUnus tantum,――」

 リーセは駆け上がる。塔のいただきへと。


「なっ……! ヒィッ!!」

 フィリップが腰を抜かして、哀れな声を発した、その眼前に。


 ……ッダン……ッ!


「――たったひとつのUnus tantum,ただひとつTantum unum.♪」


 あまりにも静かな爆音を纏わせながら、彼女は華やかに舞い降りる。


「……あ……あ……」


 窓から差し込む光が、フィリップリーセを照らし出す。

 声を震わせ、へたり込む男に。

 女はそっと手を差し伸べている。


「♪皆様Dateお持ちのmihi quodそいつをください、habetis omnes,たったひとつのUnus tantum,ただひとつ。Tantum unum.ひとつでいいの、Unum satis est.分けてくださるPossumne habere? たったひとつのUnus tantum,ただひとつTantum unum.♪」

 優しく、甘く。

 とろけるような笑顔を振りまいて。


「♪貴方が持ってる、Habes pretiosum.たったひとつをUnus tantum.♪」

 女は“それ“を、おねだりする。

「♪誰もが持ってる、Habent omnes unum.“大切なそれ“をUnus tantum.――」

 たったひとつの“大切なそれ“を。

 

 

 差し出した手のひらで。

 ぎゅう、と一丁、拳銃ピストールを握りしめる。


「――そのただひとつだけが、Tantum unum.ただただアタシはHoc solum欲しいのですvolo.♪」

 “唯一ただひとつの歌姫“が『舞台』の対価に求めるのは。



 誰もが持ってる、大切な。

 “たったひとつのただひとつ“。


 

「――な……っ! やめ…………ッ――」「――るワケないじゃない♪」


 パァン。

「――ぎゃあああッッ!!」

 まずは一発。左脚。


「……ねぇ?」

 パァン。

「やめて……って口にしたたちの願いを、貴方は叶えた?」

 パァン。

「が……ッ! ぎぃあ……ッッ……!!」

 二発目は右脚、三発目は左腕。


「誰か……ッ! たすけ……ッ!」

「――助けてって願った娘たちの声は届いた?」


「ゆ、ゆる……ッ!」

「――許してってこいねがった娘たちの叫びを、貴方はきちんと耳にした?」


 パァン。

 四発目は右腕。

「ぁがぁぁッ!!」

「たったひとつの願いも踏みにじられた哀れなあの娘の想いは、伝わった?」


「か……あ……ぁ……」

 四肢の全てが根元から撃ち抜かれ、立ち上がることも飛び立つことも出来なくなったフィリップを浅く見つめるリーセは、ただただ穏やかに微笑んで。

「ま、アタシはただの代行だから? 貴方を裁く権利なんて、アタシには無いけど」


 さっきと同じ。

 リーセは優しく、甘く。とろけるような笑顔を振りまきながら語りかける。


「安心して♪ 貴方を裁くのは、神様だから。ちゃんと神様が公平に裁いてくれるはずだから――」


 パン、パン、パン、パン。音がする。

 歌うように、踊るように。リーセ=ミリアムの立てた『手拍子』の音が、辺り一帯に響き渡る。


「――安心して行ってくるといいよ。――神様の御元ところに、さ♪」


 リーセが打ち鳴らす『手拍子』は楽曲。

 リズム良く踏み鳴らされるステップはコーラス。

 彼女が歌えばそこは『舞台』。周りにいる誰もが『観客』に早変わり。


「♪さぁさぁ、仕上げを御覧じろNunc eventus inspiciamus.♪」

 リーセが笑顔を振りまけば、『観客』からは、わあわあと『歓声』が上がり。盛り上がる声援に合わせて、リーセは手を振り舞い踊る。


バイバイトッツィンズゲス野郎さんフィースプイク♪」

 

 ……パァァァ……ン……ッ!

 

 敷き詰められた真っ赤な絨毯タペイトの上に。

 大きな大きな、薔薇が咲き誇る。

 

「♪お代はPretium estひとつ、unum.ふたつはSatis est不要。unum.ひとつで結構、Unum satis est,それで良しbene est.♪」

 やがて『舞台』から全ての音が消え去ると、リーセの舞いも歌声も静かに終わりを迎えて。

「♪今宵はHoc estここらでtotum pro無事閉幕hac nocte.♪」

 動きを停めたリーセは、深深とこうべを垂れるんだ。


「お相手は、リーセ=ミリアムがお勤め致しました♪」


 ――喝采もない『観客席』に向けて。

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