#05-5 地獄の底で愛を囁くように


「もうひとつだけ……お尋ねしても、良いですか?」


 かんざしハースペルを握りしめたまま、視線をそらさないまま。

 わたしはベッドに、シェリル様が横たわるベッドに向かって歩を進めながら、話しかけます。

「あら、何かしら?」

 そんなわたしに、柔らかく、シェリル様は相好そうごうを崩されまして。

 枕元に辿り着いたわたしは、その穏やかな笑顔に向けて、問いかけるのです。


「シェリル様は、……幸せ、でしたか?」

 ぴくり、と。

 崩されたその表情が、少しばかり、いたずらに歪んだのがわかりました。


「ふふ。それを、この『わたし』に問いかけるの?」

「はい。『ローセリアの主』たるシェリル様に、問いました」


 何を言っているのでしょう、わたしは、なんて。

 口にしているのに、自分でも驚いています。

 余計な事など、言わなくて良いのに。

 そんな心の声さえ置き去りにして、わたしはじっと、優しい色を帯びた瞳を見つめるのです。


「ふっ……」子供のように愉快そうに「ふふっ……、あっははははは……」高らかに笑う、シェリル様。

 そこには、ローセリアの領主として、尊敬と同時に数多の憎悪を浴び、畏怖いふの対象ですらあった女帝の姿はなく。

 ただ幼子おさなごのようにあどけなく笑う、女が一人いるだけでした。


「成程成程。カルラや、ヒルベルタが、気に入るはずね」

 ぽそっとつぶやかれた言葉の意味は、よく分かりませんでしたけれど。


「そうねぇ……」

 少し悩むような素振りで。

 けれどそれはまるで恋する乙女のようで。

 頬を染めて、いとけなく。晴れやかな笑顔を浮かべて。

「……あなたはシェリルと言う名の意味をご存知かしら?」

 そう、問い返されました。


「……西王国の言葉、ですよね?」

 言葉を探るように、わたしは答えます。

「そう。あら、修道女ノンミレンは勉強家なのね? その年齢としで西王国語も学ばれているの?」

「同僚に、西王国語が堪能たんのうな女性がおりまして」

「まあ、それは素敵な事。その人のことは大事にしなさい。……貴女が不足していることを補ってくれる同僚、あるいは上司や部下といった存在は、替え難い人材ですからね」

「はい。……わたしの、大切な。友人なのです」


 くす……っと。

「……そう」

 こぼれたのはかすかな。

「吾にもいたわ。……大切と言える人が――」

 溜息にも似た笑い声。

「――あの男性ひとは、まさに吾にとっての、Monモン cherieシェリ amourアモール だった」


 視線を真っ直ぐ。

 どこか遠くを見つめるように。

 わたしを……いいえ、正確にはわたしの後ろ側を。

 思わずわたしも、その視線を追って振り返れば。

 そこには一人の偉丈夫いじょうふの肖像画。


 それが誰か、なんて。考えるまでもないでしょう。

 先程呟かれた言葉が示すその人は。

 先代の領主であり、ご主人たる、エルネスト様。


 ――Mon cherie amour.

 このCherieを人名としてつづった名が、Cherylシェリル

 そこに込められた意味は、そう。


 ――我が最愛の人。


「この名はあの人が、不器用なあの人が、吾にくれた最初の宝物。吾に、……吾などに、遺してくれた。大切な、大切な、宝物なの――」

 噛み締めるように、小さくうつむき。

 再び上向いた顔に艶やかに咲き誇っていたのは、笑顔の花。


「――先程の問いかけに、改めて答えましょう、修道女ノンミレン」

 それは、はっきりと。力強い響きを伴った言葉で。

「答えは、勿論、よ」

 双眸そうぼうに宿っているのは、確信を伴った光。


「人生を賭けて愛されるという事も。人生を賭けて愛するという事も。そのどちらも経験する事が出来たの。……そんな吾の人生を幸せと呼ばずして、なんと呼ぶのかしら」


 その眩しいほどの光を受けて。

「……ありがとうございます」

 わたしは(マリーにはかないませんが)きちっとした所作で一礼を返します。

 深く、深く、敬意を込めて。

「……ふふ。今から吾を殺そうって人に、お礼を言われてしまったわ。冥土へのいい土産話になるわね」

 ベッドに横たわったままのシェリル様から発された声は、静穏な響きを伴っていて。


 死を覚悟した人間を前にして、わたしは。

 ――美しい、と。感じました。


「一応、ですね……」

 そんな不思議な感想を、どこか受け入れられず振り払うように。

 前置きして、わたしはポシェットタスからガラスの小瓶を取りだします。

「こんなものも、準備していたんです」


「あら? それはなぁに?」

 面白そうなものを見つけた子猫のような瞳が、シェリル様から投げかけられます。

「準備してたって言うか、同僚が託してくれたものなのですけど」

「それは先程言っていた方かしら?」

「はい。西王国語が堪能な、わたしの大切な友人です」

 そんな様を見て、わたしはすぅと目を細め、口にします。

「一息で死に至れる楽になれるお薬、だそうです」

「あら」


 ふとお顔を見れば、シェリル様もわたしと同じように、すらりと目を鋭く細めておられます。

「……そんな便利な物を持っているのに、貴女はその手にした刃を手放そうとはしないのね」

 探るような、試すような。

 わたしの心を引き裂くような視線が、わたしの右手……かんざしを伝ってわたしに向かってきます。


 わたしは、ぎゅっ……と唇をかみ締めて。

不遜ふそんながら」

 その、死を覚悟した女傑じょけつの視線に向けて。

「これを差し上げるのは、あまりにもかなって、思いまして」

 にこっと笑ってから。

 わたしは足元にガラス瓶を置くのです。


「……ふふっ」

 穏やかに笑う声が、狭い寝室に響き渡ります。


「出来るだけ、苦痛は少ない方がいいと、吾が望んでいるのに?」

「はい。誠に心苦しいのですが……」

 今一度、ぎゅうと掴んだかんざしを強く握りしめて。

「わたしがこれから行うのは、『看取り』ではありませんから」

「……そうね。を果たして、とお願いしたのは、吾だったわ」

 

 そう、これはわたしの『お仕事』。

 ……いいえ、少し違う気もしますね。

 これは――。


「……そうそう。ねぇ、赤い修道女さん?」

 そんな悩むわたしに。

「ひとつだけ、お願いがあったのだけれど」

 シェリル様はふと思い出したように言葉を続けられました。

「“依頼主“に、伝言をお願い出来る?」


「……? はい、勿論です」

「では、こう伝えて欲しいの」


 すぅ、と。シェリル様は深く息を吸って。

 静謐せいひつと揺れる瞳の奥に、燃え盛る炎をたたえたままに。

 ……あの日の依頼主カルラ様とまるで同じように。


「この身を殺したことを、お前が後悔することは許さない――」


 ありったけの呪詛じゅそを吐き出すように。

「吾はお前に、だけ」

 悲しみ、いたみ、悔やみ、あるいは苦しみ。

「それが、吾が“親”として果たせる、最期の『責任』なのだから――」

 そんないろんな感情を混ぜこぜにして。


「――吾からの愛と思って、素直に受け取りなさい。……そう、伝えてあげて」


 まるで地獄の底で愛をささやくように。

 込められた深い熱を受けて。

「……承りました、シェリル様」


 わたしはかんざしを。

 緩やかに上下するその胸元に向け。


「では――」

「――ええ」


 穏やかな笑顔と瞳を重ねたら。


さようならトッツィンズ、ローセリアの守護者様ビスハーミア


 ――わたしは、わたしの『責任』を果たすのです。



血塗れ修道女は刑を執行するcruenta monialis peragit damnationem

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