#01-3 じわりと滲む世界から逃げるように


 アニタから別れを告げられた、そこから先は、あんまり覚えていません。


 ただ、両手両足、それと首にかせがはめられて、さらに布で覆われたこと。そしてそのまま荷物のように、ポイッと放り投げられた場面は覚えています。


 けれどそれも。痛いとか、怖いとか、なんでとか、嫌だとか。そんな感情の動きは全然思い出せないのに、悪臭のただよう中でガタガタと動き出す音と振動は覚えていて。

 ああ、ここは馬車の荷台なんだ、って感じたことは思い出せます。


 それからどのくらいの時間が経ったのか。

 次に何かを感じたのは、硬い床に叩きつけられた衝撃でした。

 多分、目的地に着いた荷馬車から、『荷物』が倉庫に放り投げられたのでしょう。そこでようやく、痛い、という感覚が思い出されました。


 感覚をひとつ思い出したら、いろんな感情も一緒くたに思い出されてきて。

「……ふっ……」

 口をついて出てきたそれは、目からこぼれたしずくと同じ感情を伴った吐息。


 シレネわたしだまされた。

 その事実が、重くのしかかります。

 きっと始めから、彼女アニタはシレネを売り飛ばす気で声をかけた。そしてシレネがそれにまんまとはまってしまった。

 それだけの事なのです。


 わかっています。この世界は、騙される方が悪いのだ、と。


 悲しもうと、なげこうと。

 それはくつがえりません。

 それでも、アニタがくれた優しさ、それらが全て嘘だったと思い知らされた事が。

 ただ、悲しくて。


 じくじくとなずむ後悔に、じわりとにじむ世界から逃げるように瞳を閉じていると、遠くから聞こえてくる、人の声。

 その声に身体がびくりと震えて。

 シレネの思考は中断されました。


 初めは遠くにあったその声は、段々と近づいてきたかと思えばピタリと止み。生暖かい人の気配を感じた瞬間には、シレネを覆っていた布がぎ取られ、視界があらわになります。

 

 開かれた世界には、髭面で強面こわもての大男と、彼を取り囲むやはり屈強な男たちが複数名。


「あ……ぅ……」

「おう嬢ちゃん、起きてたか」


 まともに言葉を発さないシレネとは違い、むしろフランクな口調で語りかける大男。

 やけに優しげな笑顔が、逆に恐怖を誘います。


「災難だったな。ま、犬に噛まれたとでも思って諦めてくれや」

 大男はその場にどっかりと座り込み、、そんな事を言いました。

 恐ろしいおもてをしていますが、やけに立派な身なりをしていて。その上であまりにも穏やかな喋り方をするものですから、頭が追いつかなくなります。


 一瞬、ここまでの経緯は夢だったのでは。そう思わされるほどに。


 けれどその瞳は、そんな笑顔には似つかわしくないほど鋭い眼光に満ちていて。例えるなら、屠殺とさつすることを決めた家畜に向けた笑顔というか。そこにあるのは優しさなどではなく、見下すような冷たさです。


「し、シレネを、どうする、の……?」

 声が、身体が、震えているのが、自分でも分かりました。


「どうするって、そりゃあ……」

 憮然ぶぜんとした顔で大男は考え。そしてニヤリと笑います。「どうすると、思うよ?」

「……ッ」

 逆に返されて、こちらも言葉に詰まってしまいました。


『あんたくらいのがさ、一番高く売れるのよ』


 別れ際に放たれたアニタの言葉を思い出せば。

「『商品』として、売られる……の……?」

 口にして、思い当たります。

 この大男は、奴隷商人なのでしょう。


 そんなシレネを見て。大男はククッと喉の奥で笑うのでした。

「おぼこいねぇ。変に頭を回そうとする、その癖、素直ときた。そんなんだから、簡単に騙されるんだぜ」

「ッ! ……言わ……ないで……」

「クックッ。賢いってなぁ、いい事ばっかじゃねぇな」


 ニヤニヤと笑う大男から顔を隠そうとしましたが、両手が縛られた状態ではそれも叶いません。

 せめてもと目を逸らしたのですが、すぐにぐいと顎を掴まれて、無理やりそちらを向かされます。


「じゃあ賢い嬢ちゃんに質問だ。……物を高く売る為に大事なのは、なんだと思うよ?」

「ぁに、を……」

 何を言ってるの、と言おうとしたのですが、顎を強く掴まれていて、まともに発せません。


「おっと、すまねぇな」

 嘲笑わらいながら大男は手を離します。シレネがこのままではろくに喋れないのは、たぶん織り込み済みだったのでしょう。

「で、どうだい?」

 そう二度も問われれば、応えるしかないのです。


「……お金持ちを、探す……?」

「違ぇねぇ」がはっと笑いながら、大男は続けます。「だけどそれだけじゃダメなんだわ」


 シレネの気持ちなんてそっちのけで、彼は嬉しそうに語り始めます。

「生地を作ったって、そのままじゃ大した金にならねぇ、それと同じさ。それを服とかカーテンホルダインに加工して初めて高く売れるんだ。付加価値って奴だな」

 つまり、だ。大男はそう言って。


「お前さんを高く売るために、俺たちは今からお前さんを『加工』する必要があるって訳だ」


 おぞましささえ感じる嗤笑ししょうを見せつけてきました。

 全身が総毛立つような寒気を感じて。

 シレネの身体は、動きを停止します。


「女を『加工』するやり方は幾つかある。手っ取り早いのは綺麗に着飾る方法だな。金がかかるんで、もっぱらお貴族様に売りつける時に使う」

 人差し指を立てながら大男は話し。次いで中指を立てて続けます。

「次が技術を叩き込むこと。文字や計算、それか夜のテクニックが定番だな。時間はかかるが、その分売り手をひろげられる。そんで三つ目だが」薬指を立てながら、大男は笑みを深めます。「依頼人は毎回……嬢ちゃんで五人目だな……このやり方を希望していくんだわ」


 依頼人。……つまり、アニタ。

 耳を塞ぎたい現実に、我が身をよじるのですが、今のシレネには耳を塞ぐ術さえありません。

 

「これはな、簡単に言や『可哀想な子』にすることだ。薄汚くて、ボロボロに仕立て上げるんだよ。そうするとな、元がボロボロなら多少無茶な扱いしても構わないだろう……ってな。そんなド変態様がよ、よろこんで金を出すのさ」


 その言葉が発せられると。

 大男の後ろに控えていて今まで何も言わなかった男たちが、一斉にシレネの元に集い。そして体は持ち上げられ、顔だけは前を向くように固定されました。


「心配すんな。顔はあんまり傷つけると値が落ちちまうからよ。……程々で済ませてやる」


 ……声が、出せない。

 大男の手が伸び、戦慄わななくシレネの顎が掴まれます。

「口枷、なんで外したか、分かったかい?」

 

 彼の目に、シレネはどう映っているのでしょう。

 全身を震わせ、涙ぐみ、哀れにも言葉さえ発せない娘の姿は、彼にはどう見えているのでしょう。


「いい声で、いてくれや」


 彼が手を上げ、合図を送ると。

 おびただしい数の暴力が、シレネに襲いかかって来たのでした。


 ――ちゃりん。

 どこか遠くで。

 髪飾りハースペルが鳴り響いた音がした、気がしました。

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