#01-3 じわりと滲む世界から逃げるように
☆
アニタから別れを告げられた、そこから先は、あんまり覚えていません。
ただ、両手両足、それと首に
けれどそれも。痛いとか、怖いとか、なんでとか、嫌だとか。そんな感情の動きは全然思い出せないのに、悪臭のただよう中でガタガタと動き出す音と振動は覚えていて。
ああ、ここは馬車の荷台なんだ、って感じたことは思い出せます。
それからどのくらいの時間が経ったのか。
次に何かを感じたのは、硬い床に叩きつけられた衝撃でした。
多分、目的地に着いた荷馬車から、『荷物』が倉庫に放り投げられたのでしょう。そこでようやく、痛い、という感覚が思い出されました。
感覚をひとつ思い出したら、いろんな感情も一緒くたに思い出されてきて。
「……ふっ……」
口をついて出てきたそれは、目からこぼれた
その事実が、重くのしかかります。
きっと始めから、
それだけの事なのです。
わかっています。この世界は、騙される方が悪いのだ、と。
悲しもうと、
それは
それでも、アニタがくれた優しさ、それらが全て嘘だったと思い知らされた事が。
ただ、悲しくて。
じくじくと
その声に身体がびくりと震えて。
シレネの思考は中断されました。
初めは遠くにあったその声は、段々と近づいてきたかと思えばピタリと止み。生暖かい人の気配を感じた瞬間には、シレネを覆っていた布が
開かれた世界には、髭面で
「あ……ぅ……」
「おう嬢ちゃん、起きてたか」
まともに言葉を発さないシレネとは違い、むしろフランクな口調で語りかける大男。
やけに優しげな笑顔が、逆に恐怖を誘います。
「災難だったな。ま、犬に噛まれたとでも思って諦めてくれや」
大男はその場にどっかりと座り込み、
恐ろしい
一瞬、ここまでの経緯は夢だったのでは。そう思わされるほどに。
けれどその瞳は、そんな笑顔には似つかわしくないほど鋭い眼光に満ちていて。例えるなら、
「し、シレネを、どうする、の……?」
声が、身体が、震えているのが、自分でも分かりました。
「どうするって、そりゃあ……」
「……ッ」
逆に返されて、こちらも言葉に詰まってしまいました。
『あんたくらいの
別れ際に放たれたアニタの言葉を思い出せば。
「『商品』として、売られる……の……?」
口にして、思い当たります。
この大男は、奴隷商人なのでしょう。
そんなシレネを見て。大男はククッと喉の奥で笑うのでした。
「おぼこいねぇ。変に頭を回そうとする、その癖、素直ときた。そんなんだから、簡単に騙されるんだぜ」
「ッ! ……言わ……ないで……」
「クックッ。賢いってなぁ、いい事ばっかじゃねぇな」
ニヤニヤと笑う大男から顔を隠そうとしましたが、両手が縛られた状態ではそれも叶いません。
せめてもと目を逸らしたのですが、すぐにぐいと顎を掴まれて、無理やりそちらを向かされます。
「じゃあ賢い嬢ちゃんに質問だ。……物を高く売る為に大事なのは、なんだと思うよ?」
「ぁに、を……」
何を言ってるの、と言おうとしたのですが、顎を強く掴まれていて、まともに発せません。
「おっと、すまねぇな」
「で、どうだい?」
そう二度も問われれば、応えるしかないのです。
「……お金持ちを、探す……?」
「違ぇねぇ」がはっと笑いながら、大男は続けます。「だけどそれだけじゃダメなんだわ」
シレネの気持ちなんてそっちのけで、彼は嬉しそうに語り始めます。
「生地を作ったって、そのままじゃ大した金にならねぇ、それと同じさ。それを服とか
つまり、だ。大男はそう言って。
「お前さんを高く売るために、俺たちは今からお前さんを『加工』する必要があるって訳だ」
おぞましささえ感じる
全身が総毛立つような寒気を感じて。
シレネの身体は、動きを停止します。
「女を『加工』するやり方は幾つかある。手っ取り早いのは綺麗に着飾る方法だな。金がかかるんで、
人差し指を立てながら大男は話し。次いで中指を立てて続けます。
「次が技術を叩き込むこと。文字や計算、それか夜のテクニックが定番だな。時間はかかるが、その分売り手を
依頼人。……つまり、アニタ。
耳を塞ぎたい現実に、我が身を
「これはな、簡単に言や『可哀想な子』にすることだ。薄汚くて、ボロボロに仕立て上げるんだよ。そうするとな、元がボロボロなら多少無茶な扱いしても構わないだろう……ってな。そんなド変態様がよ、
その言葉が発せられると。
大男の後ろに控えていて今まで何も言わなかった男たちが、一斉にシレネの元に集い。そして体は持ち上げられ、顔だけは前を向くように固定されました。
「心配すんな。顔はあんまり傷つけると値が落ちちまうからよ。……程々で済ませてやる」
……声が、出せない。
大男の手が伸び、
「口枷、なんで外したか、分かったかい?」
彼の目に、シレネはどう映っているのでしょう。
全身を震わせ、涙ぐみ、哀れにも言葉さえ発せない娘の姿は、彼にはどう見えているのでしょう。
「いい声で、
彼が手を上げ、合図を送ると。
――ちゃりん。
どこか遠くで。
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