エンジェル・ホープス

白神かぐや

序章

プロローグ


「おはよう、目白さん」


「はい、おはようございます。ほらっ、海斗くんも」


「あぁ、おはよう」


 雲一つない晴天の下で俺、つまりは神谷海斗の名前を呼んだのは隣で挨拶をしている目白結衣だ。学業成績一位、文武両道を成し遂げ、誰もが認める美貌を持つ。まさにみんなの憧れの存在である。目白さんが生徒会長、神谷が副会長といった具合だ。出会ったのは、ほんの二年前なのだが、今や親しい間柄になり交際をするまでに至った。


「もー、ちゃんと挨拶してよね。これも仕事なんだから!」


「ごめん目白さん。ちょっと考え事をしてた」


「私たち付き合ってるんだから、そんなに畏まらなくてもいいのに……」


 目白さんは頬を膨らませ神谷を見ながら腕を組み、ムスッとした態度を取った。なぜ誰もが認める天才美女である目白さんと、神谷が付き合っているかはなどは付き合っている本人でも分からない。きっかけは向こうからで当時、好意を寄せていたというのもあって神谷は快く許可をした。しかし、何の取り柄もない神谷が目白さんと付き合っていることに対して妬ましく思っている人も少なからずいる。


「あら、杉見さん。おはようございます」


「お、目白さんは今日も美しい。ほんと何で神谷が付き合えてるのか分かんねぇな。いつもの場所で」


 去り際、神谷へ目白さんには聞こえないように言った姿は校門を通っていった。彼は神谷と目白さん二人と同じクラスで大将的な存在だ。加えて、神谷と目白さんが付き合っているのをあまりよく思っていない人たちのリーダー格も担っている。


「海斗くん、顔色が悪いみたいだけど大丈夫?」


 いつの間にやら目白さんは神谷の顔を覗いてきていた。彼女に指摘され自分の手で頬を触ってみる。知らないうちに顔色が悪くなっていたのだろうか。でもこれからの事を考えるとそうなるのも仕方がないだろう。これからのことはあまり深く考えないようにと押し切った神谷は目白さんに向けて笑顔を作った。


「全然大丈夫だよ」


「ならいいけど……困ったらちゃんと相談してよ」


 目白さんが腰に手を当てて少し前のめりになって神谷に優しく説教をする。ある程度、話に区切りがついたと思ったら学校に鳴り響く予鈴のチャイムが聞こえてきた。同時に二人は生徒会の挨拶運動の仕事を終えて教室へ向かった。



「起立、礼」


 級長の号令と共に長い長い学校生活の一日は終わった。家に帰ってゆっくりできる、とは神谷の場合はいかない。これから神谷の向かう場所は決まっている。


「海斗くん。じゃあいつもの場所で待ってるね」


「ラブラブだねぇ〜」


 神谷と帰る約束をする目白さんの横にいる女子が冷やかすように言ってきた。それに対して目白さんは分かりやすく顔を赤らめているのが見える。恥ずかしそうにしている目白さんの顔を横目に見ながら、神谷は教室を出て体育館へと向かった。


「やっと来たか」


 中に入ると杉見たち含めて男女五人ほどの人が集まっていた。その中から壇上であぐらをかいていた杉見が床に飛び降りて神谷目掛けて助走をしながら言う。


「じゃあ今日も頼むぜ」


「ブアッ!」


 杉見のラグビーによって鍛えられた本気のストレートを神谷は顔面に喰らった。


「ハハハハハ! おいおい、杉見。そんなに本気で殴ったら死んじまうぜ!」


 辺りにいた人たちは神谷が杉見のストレートで床に転げ落ちるのを見て笑っていた。そんな奴を見て神谷だって殴り返したいと思うが無理に決まっている。彼らには杉見という大きな盾がいるのだから。



「ふー。明日もよろしくな」


 手の関節を鳴らしながら杉見たち一行はようやく帰った。神谷の鼻は折れ、血が出てきており瞼は青くなって全身はズキズキと痛んでいる。バッグに入っているティッシュを取り出すとまず、鼻血を抑えようとした。


「海斗くん! どうしてそんなっ……」


 ある程度の応急処置が終わった神谷は体育館から出ようとした。すると前から目白さんがやって来て、すぐに神谷の頬に手をかける。


「なんでここに……?」


「いつもどこかに行って顔を膨らませて帰って来るから今日こそはって探したの」


「それでここに来たのか。じゃあ帰ろうか」


 神谷は頬にかかる目白さんの手を剥がし、体育館から出ようとする。だが目白さん酷い姿に成り果てている神谷をそのまま見過ごすわけには行かないようだった。神谷の少し大きめの手を捕まえて体育館から出ようとするのを引き止めた。


「はぐらかさいで海斗! 本当のことを話してよ……」


 普段は神谷のことを優しく『海斗くん』と呼ぶのに今回は『海斗』と呼び捨てで言った。いつも以上に真剣な声で神谷に向かって言ってくる目白さんに対して言葉が詰まる。その気持ちを紛らわせるために強引に前へ歩いた時。


「話せないことなの……?」


 神谷は目白さんの方をハッと見る。彼女の目からは涙が流れていたのだ。神谷のことを本当に心配してくれているというのが伝わってきて胸の奥がじんじんと痛む。


「俺が結衣と付き合ってるのをよく思ってない人がいるんだけだよ。でも結衣には被害は及んでないから。心配なんてしなくてもいいよ」


 無理やり笑顔を作った神谷は目白さんに大体の内容を説明をした。


「どうして……」


「……?」


「どうしていつも私を頼ってくれないの! 生徒会選の時だって今だって。そんなに私を信頼できないの!?」


 目白さんは体育館に響く大きな声で叫んだ。確かに神谷は生徒会選の時も夜中まで原稿を書いたり広報活動の準備をしたこともある。学期末の生徒会室の大掃除はもちろん、書類まとめなども全て自分一人でやっていた。目白さんに指摘されると同時に神谷の心の中にある何かが崩れ落ちた気がした。


「もう俺のことは放っておいてくれ」


「待っ!」


 目白さんの手を無理やり引き剥がし、神谷は走って体育館から出る。神谷が強引に引き剥がしたせいで目白さんは地面に尻餅をついて痛そうにしていた。しかし神谷は振り返ることなく目を閉じてひたすらに走り続けた。


「傘、持ってないな……」


 学校エントランス前でしんしんと振り続ける雨を見て神谷はそう言った。一瞬、貸し出し傘を借りることも考える。しかし振り向いて見たところ傘は一本しかなかったし、万が一目白さんが忘れたらと思えば気が引ける。カバンを頭の上に持って走るる通学路は真っ暗に見えた。


「海斗くん!」


 前を向いて走り続ける神谷の後ろから目白さんの声が聞こえて来たような気がした。

ドンッ!

 次の瞬間、鈍い衝撃音と体中の激しい痛みを最後に神谷の意識は途絶えた。



「んん……」


 神谷が再び目を覚ました時、その場所は真っ白でその他には何も無かった。


「ようやく起きましたか」


 寝ぼけている神谷の耳にはどこからか女性の声が聞こえてきた。目を擦りながら声の方を見てみると奥に誰かが座っていたのを確認できた。女性は大きな白い翼を広げて神谷の近くに寄って来た。その姿を見て神谷は反射的に寄ってきた女性に聞く。


「羽があるってことはあなたは天使ですか?」


「いえいえ、私は女神ですよ。天使は下の方にいます」


「じゃあその背中に付いている羽は?」


「これのことですか? これは魔法というか幻想というか……何とも言えないものですね」


 女神は背中に付いている白くて柔らかそうな羽をパタパタさせながら言った。


「話は変わるけどここは?」


「ここは天界ですよ」


「じゃあやっぱり俺は死んだのか……」


 ため息を交えつつ、神谷は肩の力を抜き自分の人生を振り返る。けれども死ぬ前に追い詰められていた相まって、こんな状況に陥っても何か感じることは無かった。


「それであなたを異世界へ招きたいのです」


「なんで俺が……?」


「可哀想だったからですよ。気まぐれですね」


「え?」


 そういう風な転生とかって自分が特別だったとかいうことじゃないのだろうか。少なくとも生前、かなりのオタクだった神谷が見てきたものとは違いかなり驚く。自分の記憶を思い出していると女神は神谷の回答を急かしてきた。


「どうします?」


「行きます」


 ここで行かないと答える人がいるのだろうか。異世界転生なんて夢のまた夢かと思っていたことだ。でも今は神谷の目の前に、夢を叶える選択権がある。こんなにも素晴らしいものを前に棄権する訳にはいけない。


「詳しい事はこの紙に書いてあるので読んでくださいね」


 女神は反則的にかわいい笑顔を見せ、ふわふわとした羽の中から紙を取り出す。受け取った紙に書いてあることを見て神谷はどんどんと項目にチェックを入れていった。


「女神様、そう言えば名前は何ですか?」


「私ですか? 私はミカエルと申します。以後お見知り置きを」


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 軽い自己紹介をしている間に神谷は全ての項目にチェックを入れ終え、紙をミカエルに渡す。


「ふんふん……わかりました。では早速」


 ミカエルはチェックを入れた紙に目を通すと両手をパーにして差し出してきた。二、三秒後、足元が白く光り出し辺りはほんのり暖かい空気に包まれた。ミカエルは優しく温かい眼差しをこちら向けて更に言う。


「紙を見たから分かると思いますけど、神殺し。これを成し遂げることを目指して下さいね」


「ああ、分かっていますよ。女神様」


 明るく暖かい光と共に神谷は異世界へと飛び立った。もうこれまでのような後悔ばかりの人生は送るまいと決めて。

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