第7話 癒やしの夜 ―After Battle―
「まずは討伐証明から...」
ギルドカウンターに並ぶ。前の冒険者が大量の魔物の耳を差し出しているのを見て、緊張が増す。
「次の方」
「は、はい!」
震える手でポーチから右耳を取り出す。
「これは...ゴブリンの討伐証明でしょうか?」
受付嬢が耳を手に取り、慣れた手つきで確認していく。
切り口、大きさ、色合い...。
「薬草採取の依頼中に、襲われまして...」
「初討伐なのに、よく対処できましたね」
受付嬢は記録簿に何かを書き込んでいく。
「討伐報酬は銅貨3枚。それと...」
一瞬の間。
「薬草採取中の不慮の戦闘ですから、危険手当として追加で銅貨2枚」
「ありがとうございます!」
「あと、何か売却予定の素材はありますか?」
「あ、はい。この棍棒を...」
バッグから取り出したゴブリンの棍棒。
血の付着もなく、状態は良好だ。
「ゴブリンの武器...」
受付嬢が棍棒を手に取り、重さを確かめる。
「木材の質も悪くないですね。買取価格は...銅貨2枚になります」
「えっ、そんなに...?」
「ええ。この手の武器は、初心者用に需要があるんです」
そう言って、棍棒を脇に置く。
(なるほど...)
新たな発見だった。
魔物の装備品にも、ちゃんと需要があるということ。
「他にございますか?」
一瞬、ポーチの中の肉片のことが頭をよぎる。
でも、それは──。
「いいえ、以上です」
「はい。では合計で銅貨7枚になります」
小さな革袋に入れられた銅貨を受け取る。
予想以上の収入に、少し心が軽くなる。
「次回からは、素材の状態をもう少し良く保てると、より高値で買い取れますよ」
「どういうことでしょうか?」
「例えば耳なら、もう少し根本から切り取るとか。棍棒なら、血液での汚れを防ぐとか」
受付嬢は親切に助言してくれる。
「ありがとうございます」
カウンターを離れながら、心の中でメモしていく。
次は、もっと上手く──。
(次、か...)
その言葉に、少し躊躇いを感じる。
でも、これも異世界で生きていくための必然なのだ。
ポーチの中の肉片が、その証のように重みを感じさせていた。
*
「おかえり。...あら?」
マリアが、すぐに気づいた。
いつもと違う様子に。
「どうしたの?」
「その...ゴブリンと、戦って...」
震える声で話し始める。
戦いのこと。
初めて命を奪ったこと。
そして、その後のこと──。
「...泣いたのね」
マリアの声が、優しく響く。
「ちょっと待ってなさい」
厨房から戻ってきたマリアの手には、酒瓶があった。
「こういう時は、これが一番。座りなさい」
マリアは厨房から古い酒瓶を取り出しながら言った。
琥珀色の液体が、グラスに静かに注がれていく。
「私も、初めて殺した時は、随分泣いたわ」
グラスを差し出すマリアの左腕に、龍のような形の火傷痕が目に入る。
「冒険者だった頃の話?」
「ええ...」
マリアは自分のグラスも満たしながら、静かに続けた。
「最初は盗賊だった。危険な相手ってわかってたのに、躊躇った」
一口飲んで、少し間を置く。
「その隙に、仲間が傷を負って...」
「...」
「結局、私は相手を殺した。でも、あの時の躊躇いで、大切な仲間が...」
言葉が途切れる。
「だから、あなたはよく頑張ったわ。ゴブリンだって、侮れない相手。しかも一人で」
「でも、私...」
「泣いたのよね?」
「え...」
「目が腫れてるもの」
優しく微笑むマリアに、また涙が込み上げてきた。
「命を奪うことに、慣れる必要はない。でも、逃げちゃいけない時もある」
グラスを傾けながら、マリアが続ける。
「大切なのは、その命の重さを感じること。そして、その重さに耐えること」
「耐える...」
「ええ。それが、私たちの生きる道」
酒が喉を通り、温かさが広がっていく。
不思議と、心が落ち着いてきた。
「もう一杯どう?」
「はい...」
会話が進むにつれ、マリアの頬が徐々に赤みを帯びてくる。
「ねぇ...」
「はい?」
「あんた、本当は色々隠してるでしょ?」
「!」
「でも、いいの。みんな、何かしら抱えてるもの」
グラスを揺らしながら、マリアが呟く。
「私だって...」
その先の言葉は、酒の中に溶けていった。
左腕の火傷痕が、夜の灯りに浮かび上がっては消える。
「マリアさん...」
「あ、ごめんね。余計なこと言っちゃって」
慌てて笑顔を作るマリアに、どこか切なさを感じた。
この人にも、語られない物語がある。
その思いが、胸に染みた。
「もう、かなり遅いわね」
立ち上がろうとするマリアの足元が、少しふらつく。
「気をつけてください」
「ふふ、優しいのね」
その言葉に、少し照れる。
温かな酒の香りが、部屋に漂っていた。
戦いの緊張が、少しずつ解けていく。
それは、アルコールのせいだけではないような気がした。
*
部屋に戻っても、眠りは訪れない。
窓から差し込む月明かりに照らされ、天井を見つめる。
(あの時、もし避けそこねていたら...)
戦いの場面が、何度も頭の中で再生される。
ゴブリンの唸り声。
棍棒を振り上げる腕の震え。
そして、あの致命的な一撃の感触。
「はぁ...」
横向きになる。
でも、目を閉じれば閉じるほど、映像が鮮明になっていく。
血の匂い。
肉を切り分ける感触。
火にかけた時の音。
(これが、現実なんだ)
前世では、ゲームの中でしか経験したことのなかった「戦い」。
その重みが、今さらながら胸に圧し掛かる。
寝返りを打つ度に、左腕のかすかな傷跡が月明かりに浮かぶ。
既に癒えているのに、あの時の痛みだけが生々しく蘇る。
カーテンの隙間から、夜風が入り込む。
その音が、ゴブリンの最期の呻き声のように聞こえる。
(もう...駄目だ)
起き上がって、ベッドに腰掛ける。
手の平を見つめる。
この手で、確かに命を奪った。
「コンコン」
静かなノックの音に、はっとする。
「...ユウト?まだ起きてる?」
扉の向こうから、マリアの声。
「は、はい...」
ゆっくりと扉が開き、マリアが姿を見せる。
「やっぱり、眠れないわよね」
その言葉に、どれだけ救われたことか。
気づけば、目の端が熱くなっていた。
「戦って、死にかけて...そりゃ眠れないわ」
マリアの声が、優しく響く。
「おばさんの私じゃ、嫌かもしれないけど...」
「マリアさん...」
震える声で呼びかける。
もう、強がる必要なんてない。
ベッドに腰掛けるマリア。
その仕草には、何か懐かしいような、温かいものがあった。
「何か、力になれればって思って」
「ありがとう...ございます」
ベッドに横たわる二人。
マリアの温もりが、不思議と心を落ち着かせてくれる。
「マリアさんは、おばさんなんかじゃないです」
「あら、お世辞上手ね」
小さく笑う声。
でも、その優しさが、確かに心に染みた。
「...ユウト」
「はい?」
「無理しないでいいのよ。泣きたい時は泣いて、怖い時は怖がって」
「でも...」
「強くなるのは、その後でいい」
その言葉に、また涙が込み上げてくる。
「うん...」
暗闇の中、マリアの手が頭を撫でる。
まるで、誰かの記憶のように。
「おやすみなさい」
「おやすみなさい...マリアさん」
やがて、静かな寝息が聞こえ始める。
隣で眠るマリアの存在が、不思議な安心感をくれた。
(ありがとう...)
心の中で何度も繰り返す。
この優しさが、
この温もりが、
異世界で生きていく勇気をくれる。
月明かりが窓から差し込み、
二人の寝顔を静かに照らしていた。
戦いの日の夜は、
こうして、優しい眠りの中で過ぎていった──。
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