第2話 日常Ⅱ

「では、ホームルームを始めます。席に着いて」

 月見ノ原大学附属高等学校一年A組。担任女教師、御津風鈴花の号令によって生徒たちはお行儀よく着席した。

 白のワイシャツに黒のリクルートスーツ。オフィスレディのような出で立ちに加えて髪を短く切り揃えた姿は教師としての最低限度の威厳が保たれているように見える。

 だが、生来有している冷え性という特徴にミスマッチなミニスカートは十月の上旬ともなれば些かばかりに堪えるようで、彼女がまず行ったのは両手を揉み温めることだった。

「いいですか。これから話すことは皆さんにとっても重要な事ですからよく聞くように」

 鈴花は教卓に広げたプリントを器用に数えると順に人数分を生徒の席へと配っていく。

 これから彼女が語る内容には生徒全員、大方の予想がついていることだろう。

「最近、この街で奇妙な事件が立て続けに起きているということは、既に周知の事実だと思います。連続殺人、そして連続誘拐事件。いずれも六月頃から始まり、被害者は今月に入ってから更に増えて十数名に上るとのことです。犯人像は未だに不明。警察でも引き続き調査は行われているようですが、残念ながら今のところ足取りは掴めていないとのことです。えー、それに伴ってですが、我が高でも被害者を出さない為の対策として、明日から当面の間、部活動を自粛することに決めました――」

 それを聞いて、生徒たちがどっと沸きあがる。騒いでいるのは主に部活動をメインとしている学生たちであった。

「静かに。喜ぶところではありませんよ。えー、ですので暫くの間は、原則として放課後に居残ることは禁止します。勿論、夜間遊び歩く事などもないように。どうしても外出しなければならない場合は、できるだけ手短に用事を済ませること。若しくは保護者同伴、友達同士で声を掛け合って集団で行動をするように心掛けてください。それともう一つ。部活動を制限する代わりに期末テストの内容は難しくなりますから、くれぐれも油断のないようにお願いします」

 瞬間、湧き上がるブーイング。学生らしいリアクションに鈴花は分かりやすく肩を竦めた。

「では朝のホームルームを終わります。今日も一日、頑張っていきましょう」


 それから授業は始まり、あっという間に放課後となった。

 秋の季節は日が沈むのも早い。午後四時ともなれば空はすっかり茜色に染まっていた。

 悠月たち三人は予定通り、喫茶シェールノワールの扉を開いた。

 凛とした鈴の音色が店内に響き渡り――

「いらっしゃいませ。席は空いております。お好きな席へどうぞ」

 マスターである霧島賢哉が開口一番、お客様である三人を出迎えた。

 店内はブラウンを基調として落ち着いた雰囲気作りがなされている。

 統一されたアンティークに、照明を減らした仄暗さも特徴的だ。

 決して明るくはない。けれども暗いわけでもない。丁度よい光のコントラストがどこか心を落ち着かせてくれた。

「やっほーマスター。試食に来たよ~!」

「ハッ、なーにが席は空いておりますだ。いつも客なんかいねぇじゃねェか」

「こんばんは。お邪魔します」

「なんだ君たちか。すまないが、今はドリップ中だ。黙ってくれるか?」

 口々に挨拶をする月高の面々。落ち着いた店内の雰囲気が一瞬にして台無しになった。

「『心の乱れはドリップの乱れ』でしたっけ。さっすがプロのバリスタ。憧れちゃうな~!」

「ブ……ッ!?」

 天音の一言に、賢哉は思わず吹き出した。

「マスター? 手元狂っちゃってますよ?」

「い、いいから!! 早く座りなさい。店の前に立たれるのは迷惑だ」

「あー、すみません?」

「天音、ほら早く」

「う、うん」

 一番奥のテーブル席に天音と悠月。カウンター席で一人場所を占拠するのがナオト。これが彼らの定位置であった。

「林檎、お客さんだ。相手をしてやれ」

 店の奥にある厨房に声をかける賢哉。

 暫くすると、ドタドタドタと忙しない音を立てて店の看板娘が現れた。

「お客さんお客さんお客さんお客さん~!? 誰だ誰だ誰だ誰だぁあああ~~~!?」

 厨房の暖簾を退けて現れたのは、長い金髪を両サイドで結んだ美少女。

 月見ノ原大学附属中学校二年生、霧島林檎であった。

「ワオ! 誰かと思えばパイセンズ! もしかしなくても試食に来てくれたんだね!」

「もちろんだよ。主にコイツらが食べるわ!」

「……だと思ったよ」

 悠月とナオトが大きく落胆する。

 これもいつものことである。腹を括るしかないと二人は決意を固めた。

「ヤター! じゃあじゃあすぐ持ってきますね。今回はドドーンとホールで作ったんで!」

「よりによってケーキかよ……」

 更に気落ちする二人。

 林檎はご覧の通り快活で物怖じしない性格だ。故に作る物もいちいち景気が良い。「いつも悪いな、付き合ってもらって。これは感謝の気持ちだ受け取ってくれ」

 三人の前に上品な香りが漂うコーヒーが提供された。

「マスター、これは?」

「最新作のオリジナルブレンドだ、娘に便乗してな。心配するなこっちの味は保障する」

「ハイハイハイハイ、お・待・た・せ・し・ま・し・た。名づけて林檎スペシャルデス」

 大きな皿に乗ったパウンドケーキが三人の前に現れた。

 多少の違いはあれど、どれも似たような黄色をしている。見た目は美味しそうである。

「なんかどれも同じように見えるけど……?」

「ノンノン。そんなことはないよ、パイセン。よーく見るとちょびぃっとだけ色が違うんだなぁ」

「ほぉー……あぁ、ほんとだ」

「ほら、もうすぐハロウィンでしょ。だから見た目もポチロンっぽくしようと思って。あ、ポチロンっていうのはカボチャのことね。英語でパンプキン。中身については食べてからのお楽しみ。ささ、早く食べて感想を聞かせてよ!」

 フォークやらナイフやらをたくさん渡される悠月たち。

 林檎は爛々とした表情で三人が食べるのを待っている。

 これもまた鷲宮悠月が過ごす日常のワンシーン。このコミュニティがあるのは至極当然で失われることは決してないものだ。

 パウンドケーキを食べるのに果たしてナイフは使うのだろうか、などとくだらないことで悩む余裕さえあった。

 ――そう、この時までは。

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