第20話 責める矛先

 翌日。教室の扉を開ける。


「おはよーう」 


 今日も今日とて俺のあいさつが空しく響く。別にいいさ、もうこういうものだと受け入れたよ。


 二人とも相変わらずで椎名はこの世の終わりみたいに呪文をつぶやき上代は本を読んでいる。いつもの朝だ。


「なあ上代」


 俺は自分の席ではなく上代の前に直行する。


「なんですか」


 ブラックコーヒーのような苦味のあるため息が聞こえてくる。朝一番にこんな態度取られたらそりゃ目も覚めるわ。


「昨日教えてくれただろ、クラリス・ミュール。読んでみたんだよ」

「え」


 俺は鞄から昨日借りてきた本を取り出し見せてやる。


「じゃーん。実は昨日借りてきたからさ、読んでみたんだよ」


 実は一夜で読み終わったんだよな、詩集ってすらすら読めるし読みやすかったわ。

なんか良いこと言ってる時あるし。あと表現? さすがに凝ってるよな~。


 上代は驚いた顔をして本を見つめていた。が、いつものムスッとした顔つきに戻ってしまう。


「って、それ翻訳版じゃないですか」

「なんだよ、別にいいだろ。違うのか?」

「ちょっと違いますね。ニュアンスの解釈がところどころ。彼女のことを知らない素人がただ訳しただけなのが分かります」

「そ、そうなのか」


 俺はそれで感心してたんだけどそれを言うとまた蔑まれるのか?


「それで、どうだったんですか?」

「え」

「感想ですよ」


 ぽかんと彼女の顔を見てしまう。


 あれほど人と関わりを持つのを躊躇っていた上代が自分から感想を聞いてくるなんて。それだけでなんかちょっと嬉しい。


 そう思った時チャイムが鳴ってしまった。


「悪い、またあとでな」

「あ、いえ」


 急いで自分の席に戻る。いやー、よかったよかった。手応えを感じると嬉しいな。


 早速次の休憩時間に上代に話しかける。


「なあなあ上代」

「あー、その」


 俺はウキウキで話しかけるんだが上代はバツが悪そうに本に顔を近づける。


「さっきのは忘れてください、別にいいので」

「そう言うなよ、ほんとは興味あるんだろ?」


 素が出て聞いちゃったのに今更隠すことないだろ。


「ですからそれはもういいです。私がどうかしてました」

「カモーン! プリーズ、カモ~ン」

「なんですか突然」

「いや、原文で読んでる上代にはこっちの方がいいのかなって」

「そんなわけないでしょう、からかってるんですか? それにこれフランス語ですよ? いい加減にしてください」

「ごめん」


 そんなこと言われても。


「はあ。そんな顔しないでくださいよ」


 上代が観念したように本を置く。


「ちょっとだけですよ?」


 お!


 それから俺たちは詩集の感想を言い合った。この女性はフランス革命の頃を生きていた人で自然のあり方や人の感情、そして町の様子などを詩にしていた人だ。


 そういう背景もあってか暗い描写もあるんだが人の心情について時に情熱的に、時に悲観的に書くなかなかに興味深い詩だった。


「なんていうか、人にいろいろな感情や印象を持ってる人だよな。人が助け合う場面を賛美しているかと思えば革命に赴く男たちは認めつつ悲しげに書いていたし」

「彼女は素直で感受性が豊かな人だったんですよ。自然や人の善性を美しいと感じ、それを失うことを恐れてた。だから革命時もそれを認めつつも命を失うことへの悲しみを感じ、その中間で悩み苦しんでいたんです。なによりそんな自分を彼女は恥じていた。人の苦悩や疑問を他人だけでなく自己にも向ける、それでいて人を信じる心を失わない、そんな人なんです」

「へえ」


 そうなのか、どうりでな。


「たしか砲火の光が空を裂き私の心は焼け焦げたってあったよな。後の涙がいつになったら足りるのだろうって。とりあえず暴力反対ってことは分かったわ」


 うん、解説ページでもそんな風に書いてあった。


「それ違いますよ」

「え!」


 違うの!?


「砲弾の火事で空が赤く染まり、その光景を見た彼女はそれを美しいと思ったんです。そしてそんな自分がひどい人間だと自覚し涙を流したんです。人の矛盾と心の複雑さを描いてるんですよそれ」

「マジ? 解説ページだとそんな風には書いてなかったけど」

「彼女のことを知らないなら無理ないですね」

「へえ。さすがガチ勢、さすがだぜ」

「ガチ勢って」


 まあガチ勢って表現はあれかもしれんが実際すごい詳しいな。


 話しててとても面白いんだがそろそろ時間か。


「ありがとな上代、また聞かせてくれよ」

「あ、だからちょっとだけって、もう!」


 あいつの言うことは無視して席に着く。せっかく盛り上がってるんだ、ここで止めるのももったいない。


 それに話をしている時の上代はなんだか楽しそうだったしな。


 それから俺は上代に話しかけては共通の話題で話をしていった。最初こそ上代は渋々といった感じだったがいつしかそれもなくなり俺の会話にも付き合うようになってくれた。


 他のおすすめの本なんかも教えてもらいそれでその本でまた話をして。


 そんな時だった。


「ふふ」

「え」

「あ」


 今、笑ったよな? 上代は気まずい様子で顔を逸らす。はは、そっか。こいつも笑えるのか。


 なんか、最初は無理ゲーにも思えたけど。なんだかんだ前進はしてるんじゃねえかな。


 上代との交流に手応えを感じつつ俺は放課後の図書室にまた本を借りに来ていた。


 上代におすすめされた本を手に取り貸出カードに記入する。これでまた上代との話題が増えるな。


 鞄にしまい図書室の扉に近づいていく。


 そこで壁に掛けてある時計が目についた。


 夕暮れのこの時間、時計の針は秒針だけでなく長針も短針もぐるぐる回りそれに合わせ夕方は夜に、朝へと変わり夕刻へと移っていく。


 そうかと思えば逆回転を始めそれに合わせて外の世界も逆行していく。一日があっという間で、数日すら流れるように過ぎていき、戻っていく。


 時計は右に左にと回り、俺は図書室を出て行った。



 変わらないもの。そんなものはない。どれほど完璧に作ろうとも形を変えていずれ崩れていく。


 でもそれは決して悪いことばかりではないんだ。言い換えれば変えることが出来るということなんだ。


 変わってしまうことと変えられるということ。どう受け止めるかはその人次第だけど。


 俺は今、薄氷の世界を歩いている。いつ割れてしまうかも分からない。俺の自重がひびを入れ、いずれ耐えきれなくなった世界は壊れてしまうだろう。


 だから俺はいない方がいい。俺がいなければ世界が壊れることはない。


 でもそれだけなのか? 他にはなにもないのだろうか。俺はただの邪魔でしかないのか?


 この世界でも生きていけるなにかがある。俺は存在していてもいい。それを証明したい。


 神サマはどんな思いでこの世界を見ているんだろうな。世界の変化をどんな気持ちで受け止めているのか。


 分からないけど、分かるよ。辛いよな。でもさ、この世界だって無駄なんかじゃないって思いたいじゃんか。


 誰しもが生まれてきて駄目だったなんて、なにも出来ないなんて嫌じゃんか。


 お前がこの世界を見ているだけでなにもしなくても俺はやれるだけやろうって思うんだ。


 傷ついてばかりの世界で、それでもやれるんだって。


 翌日、俺は教室の扉を開けていた。


「おはよーう」


 相変わらず返事のない教室はシャイなやつだ、それでも付き合い方というのは分かってきた。


 俺は昨日読破した本と共に上代に近づいていく。この本もなかなか面白かったな、上代の感想が気になるぜ。


 ていうかここほんと娯楽なさすぎだろ図書館にある本が嗜好品ってやばすぎだろ。


 上代は今日も本を読んでいる。むしろこいつは本を読んでなかったら心配になるわ。


「よう上代、昨日おすすめされた本なんだけどさ」

「鏡さん、すみませんがもう話しかけないでください」

「は?」


 なんだよ突然、昨日まで普通に喋ってたじゃんか。


「なんでだよ、せっかく」

「すみませんけど」


 上代は本のページを睨みながら、きっぱりと言う。


「もう話したくないんです、関わりたくないので」


 拒絶の意思。これまで積み上げてきた時間を積み木のように崩される。


「なあ、そう言うなよ。ほらこれ! 上代がおすすめしてくれた本読んできたんだよ、なかなか面白かったぜ。ちょっと鼻につくところはあったりしたけど」

「お願いですから!」

 彼女の大声が話を叩き割る。

「もう、話しかけないでください……」


 そう言ったきり彼女は黙ってしまった。顔は俯き本を読むことも出来ていない。


「なあ、せめて理由くらい教えてくれよ」


 話しかけるが上代は答えない。無視するつもりか。話しかけないでと言った本人が黙って俺だけが喋ってるな。


「それが分からないとさ、俺も納得できねえって。頼むよ。俺だって」

「もう止めてあげなよ!」


 背後で椅子が引きずる音と共に大声がぶつけられる。


「上代さん、嫌がってるよ。なのに言い寄るなんて迷惑だよ」

「お前喋るのかよ」


 振り向くのも嫌で俺は天井を仰いだ。亡霊の真似事はお終いか? お次はパニック映画のヒステリー役かよ。


「相手が嫌がってるんだから、止めてあげなよ」

「止めたらなにか変わるのか?」

「そういうことを言ってるんじゃなくて、上代さんが嫌がってるんだって」

「うるせえ」

「くッ」


 椎名の言ってることも分かる。こんなの俺のエゴだってそれは認める。でもな、お前には言われたくねえよ。


「世界で一番臆病なくせに俺には突っかかってくるのかよ。その度胸を他で活かせねえのか」


 正直、ムカついてる。


「お前は世界を諦めたかもしれないがな、俺はまだ諦めてないんだよ。お前はどうなんだ、世界から目を背けて夢に逃げ込んで。そこでも縮こまって逃げている。いつからここはイソップ童話になったんだ? 俺もお前も皮肉効きすぎだろ」


 堰を切ったように言葉が溢れてくる。今まで思っていたことが口を突く。別に言うつもりなんてなかった。でもお前に言われると俺も耐えられない。


「俺がなあ!」


 振り向く。椎名は俺を見るとビクッと背を震わせた。


「どんな気持ちで頑張ってると思ってる! こんなくそったれに産み落とされて、それでも必死に頑張ってるんだろうが! だっていうのにお前はなんなんだよ、なんでなにもしない? なんでお前に俺が責められなくちゃいけないんだよ!」


 怒鳴った。止まらなかった。いつの間にこんなに溜まっていたんだろう。だけど不満はあった。


 言っていて、俺は泣いていたんだ。


「元はお前のせいだろ! それが被害者ヅラして俺が加害者か? 俺が迷惑か? 俺が邪魔か? 俺が生まれなければよかったと思ってるんだろ!?」


 叫ぶたびに涙が宙に飛ぶ。


「お前に俺を責める権利があるのかよぉおお!? なんで俺が悪者なんだよお!」

 泣いて、喚いて、いきなりのことで上代でさえ驚いて俺を見ている。でも止まらなかった。溢れる涙を無視してこの女を睨みつけてやる。

「ッ」


 椎名は振り返り教室から飛び出した。


 そのタイミングで秋山が入ってくる。


「椎名さん? 今からホー」


 秋山の制止も聞かず椎名は出て行った。


 涙を拭き自分の席に戻っていく。秋山のどうしたのかという視線をなるべく見ないようにして席に座る。そのまま両腕を机に置き頭を置いた。


 くそ。なんだよ、俺が悪いのかよ。


 くそ。俺だってほんとは分かんねえよ。どうすればいいかなんて。


 でも、前に進むには行動するしかねえだろ。


 恐れて避けて、それでなにが変わるんだよ。


 変えるんだよ、この世界を!


 なんで、誰も分かってくれないんだよ……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る