第11話 接遇には気をつけろ⑦

 生徒会室に飛び込むと、神妙な顔をした円会長と持田先輩が振り向いた。

 あたしは膝に手をついて呼吸を整えた。前髪から汗が滴り落ちて、寄木張りのフローリングで弾けた。呼吸が苦しい。ぜぇはぁ、と自分の呼吸音が煩わしかった。

 それでもなんとか息を落ち着けて、唾を飲み込み、声を上げる。

「野崎先輩が停学ってどういうことですか!」

 怒りを撒き散らすように、喚くが、会長はあたしを一瞥するのみで、書類仕事をしながら答えた。

「……野崎だけじゃないよ。野球部男子全員、今は学校を休んでる」

「そんなのおかしいですよ! 野崎先輩が飲酒なんてするはずありません!」

 別に会長が野崎先輩を停学にした訳ではないのは分かっていたが、それでも語気は無意識に強まった。

 

 あたしが野崎先輩の停学を知ったのは昼休みのことだ。何の気なしにスマホを見ていると、その投稿が流れてきたのだ。

 

 ——野球部全員停学くらってて草

 ——何した野球部www

 ——部室で飲酒

 ——応援してたのに幻滅

 ——予選するまでもなく敗退w


 自分の目を疑った。

 野球部が停学? 全員?! なんで……?! 野崎先輩は?!

 混乱する頭でクラスメイトに事情を聞いたが、詳しく知る者は誰一人いなかった。だから、放課後、生徒会室に駆け込んだのだ。生徒会長ならば何か知っている、と踏んで。


「分かってるよ。わたしだって野崎とは付き合いが長いんだから。野崎が野球部を壊すようなことは絶対しない。だけど、野球部の誰かがしたのは確かなんだよ」

 会長が書類から顔を上げた。その顔は痛みに耐えるように歪んでいた。

 野崎先輩が酒を飲んでいないのは確かだ。だけど、会長の言うように野球部全員を信用できるのか、と言われれば、必ずしもそうとは言いきれないのも確かだった。野崎先輩が大切に想っている野球部だから信じたい気持ちはあるが、あたしは彼らのことをよく知らない。

 あたしが知っているのは野崎先輩を通して見た野球部だけだ。

 それでもあたしは野球部をかばいたかった。他ならぬ野崎先輩のために。その想いだけで、見切り発車に「だけど」と口走る。


「だけど、そうとは言い切れないんじゃないですか? 酒を飲んだなんてテキトーなデマかもしれないじゃないですか」


 しかし、今度は持田先輩がゆっくりかぶりを振った。


「証拠が残ってたんです」

「証拠?」

「現物です。野球部部室の抜き打ち検査のときに、使っていないロッカーからお酒が出てきたんです」

「そんな——」


 言葉に詰まる。続く言葉は出てこない。でも、だけど、だって、と頭の中に形にならない反論の断片だけが浮遊する。

 野球部を救うことはできなくても、せめて野崎先輩だけは救いたかった。


「な、なんでそれで全員処分になるんですか! 連帯責任なんて馬鹿げてます!」

「落ち付いて、一ノ瀬さん。違うよ。そうじゃないよ」

 円会長はあたしをなだめるためか、穏やかな声でそう言って、両方の掌をあたしに向けた。

「野球部は今、調査のために学校に来れないだけだよ。まだ野球部の誰かが飲酒したって認定された訳じゃない」

 そんなの詭弁だ。現物が見つかっているのなら、遅かれ早かれ認定される。そうなれば、野球部は終わりだ。

 野崎先輩の一番大切な物が失われる。

「試合はどうなるんですか! もう来週なのに!」

「……残念ですが、試合には出られないみたいです」

「わたし達じゃ、どうにもできないんだよ。先生たちが決めたことだから」


 沸き上がる怒りは、目の前の先輩たちにぶつけるべきものではない。それは分かっていた。

 だから、汚い言葉が漏れ出ないようにあたしは拳を強く握り締めた。力いっぱい握った両手がぶるぶると震える。奥歯がギギ、と擦れて鳴った。

 生徒会執行部、なんて言ったって、結局は一生徒に過ぎない。あたし達は無力だ。助けが必要な生徒に何もしてやれない。生徒の心の拠り所を、青春を、積み重ねてきた努力を、守ることがあたし達にはできない。

 この件が教師にゆだねられた以上、もはや一生徒であるあたしには——いや、たとえあたしでなく生徒会長であろうとも——できることなど何一つない。

 

 気がついたら、あたしは走っていた。

 後ろから「一ノ瀬さん!」とあたしを呼ぶ会長と持田先輩の声がしたが、止まることはできない。

 階段を駆け上がる。

 廊下を歩く2人の女子生徒が、あたしを見て慌てて両脇に避けた。あたしは無我夢中でその間を駆け抜けた。

 そして、生活委員会が活動拠点としている社会科準備室に辿り着くなり、勢いよく扉を開け放って怒鳴り込んだ。


「おまえら、ふざけんな!」

「なッ?! なんですか! あなたは!」


 教師を囲んでいる数名の生徒がそこにいた。その中に、紀野がいることを鑑みれば、おそらく全員生活委員の生徒なのだろう。

 あたしは紀野に詰め寄り、胸倉を掴んだ。


「野崎先輩が……野球部が何したってんだよ!」

「離れて! 離れなさい!」

 教師が慌てて駆け寄り、あたしを引きはがそうとした。だけど、あたしは意地でも放さない。紀野のリボンが千切れんばかりの力で引っ張り上げる。この手を放せば、最後の希望が零れ落ちて、活路が閉ざされる気がした。

「なんで野球に全てをかけてるヤツから、頑張ってるヤツから、それを取り上げることができるんだよ!」

 目頭から涙がこぼれた。紀野を責め立てれば責め立てるほど、自分が追い込まれるような心地だった。ぽろぽろと、とめどなく激情が零れ落ちる。

 数人がかりで、あたしは紀野から引き剥がされた。右腕に教師が、左腕に生活委員の生徒が絡みついてあたしを押さえる。

「なんで戦わせてやらねーんだよ……」

 あたしが取り押さえられて、ようやく紀野に余裕が戻ったのか、彼女は襟を直して真っ直ぐにあたしを見据えた。

「野球部のことだったら、私たちも残念に思ってるわ。でも、彼らは自業自得。飲酒しても頑張ってるから罰を受けない、なんてことあってはならないことよ」

「野球部はそんなことしない!」

「現にしてるじゃない」

「してない!」

「なら」と紀野は顎をあげて、薄く笑った。「あのお酒はなんだっていうの? 観賞用かしら?」


 その紀野の勝ち誇った顔を見て、あたしは確信した。そして、紀野に対する憎悪は一層強さを増した。


「お前らか……。お前らが野球部を嵌めたんだな!」


 紀野をぶん殴らないと気が済まない。だけど、両腕をがっしりと押さえられており、振りほどけなかった。

 それを見て、紀野は、ふん、と鼻を鳴らした。


「そんな訳ないでしょ。なんで私たちがそんなことをしなきゃならないのよ」

「お前らが酒を野球部に持ち込んで、自作自演してんだろ!」

「ばか言わないで。第一、私たちは三田先生の立会いのもと、部室検査をやってるのよ? 検査のときにお酒なんて持ち込めるはずないじゃない」


 三田先生とは今あたしの右腕を押さえている教師のことだ。あたしを押さえながら、三田先生は「本当よ。この子たちはお酒なんて持ってなかったわ」と声を上げる。


「なら、あらかじめロッカーにお酒を忍ばせて置いたんだ!」

「それも無理よ。確かに野球部の部室は不用心なことに施錠もされていなかったけれど、あそこにあったのは大量のお酒よ? あの量を持って歩けばさすがに目立つ。人目につかずに、あらかじめ野球部の部室にお酒を置いておく、なんてことは誰にも不可能よ。生活委員でなくともね」


 部室がある特別教室棟は、部室の他にも音楽室や美術室、情報室などの教室がある。そのため、人通りは多く、誰ともすれ違わないで野球部までたどり着ける時間帯など、全く予測はたたない。大きな袋をもって歩く生徒がいれば、誰かしらに目撃される可能性が極めて高かった。

 悔しいが紀野の言っていることは正しかった。


「でも、何人かで分担して運べば目立たないで持ち込めるじゃない」

「生活委員の活動拠点はここ、社会科室よ。特別教室棟に生活委員の人間が何人も出入りしていたら誰かがおかしいと気付くはずでしょ」


 社会科室は一般校舎にある。一般校舎と特別教室棟は渡り廊下で繋がってはいるが、特別教室棟に活動拠点がある部活以外は、あまり特別教室棟には立ち寄らない。彼女の言うとおり、特別教室棟に生活委員の生徒が何人も歩いていたら目立つはずだった。

 あたしの反論が尽きたのを見届けてから、紀野が再び口を開いた。


「生活委員のせいにしたい気持ちは分かるけれど、あれは完全に野球部の責任よ。学校生活をないがしろにして部活動も何もないわ。ルールに違反すれば、その報いを受けるということを警察のお世話になる前に学べて、むしろ良かったじゃない」

「てぇ……めぇ! もういっぺん言ってみろ!」


 しばらく大人しくしていたあたしに油断したのか、両腕を押さえていた教師と生徒の力が緩んでいて、1歩だけ前に踏み出せた。が、すぐさま再び両脇を固められる。

 あたしは怒りのままに長机を蹴飛ばした。長机の脚が嫌な音を立てて床を滑り、斜めになった。机上のファイルや書類が床に落ちて散らばる。その中の1枚の書類が、ひらひらと舞い、あたしの足元に落ちた。

 その書類に目が留まる。


 ——活動許可申請書 部室点検:軽音楽部


 目に入った文字を見て、頭が真っ白になった。全身の力が抜ける。

 軽音楽部。その書類には確かにそう書いてあった。

 生活委員の一人が慌てて書類を拾った。


「とにかく!」と紀野が思考を遮るように大きな声をあげた。「私たちは為すべきことを適切に行っただけです。もう用がないなら帰ってもらえるかしら? 仕事の邪魔よ」


 両腕が解放される。

 三田先生と生活委員の生徒が紀野を守るように、立ちふさがった。あたしは敵意と警戒の目に見送られながら、社会科準備室を後にした。


 

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