23.回り道をした結果

 ダスティシュの事はさて置き、一応祖国と言う事になるサモフォルの情報の方が気になって聞いてみれば、なんと、サモフォルの内乱も既に終息させているのだとか。


「国内でダラダラと肥えていただけの反乱軍なんて、数多の戦場を生き抜いてきた帝国の提督達の敵ではない」

 

 寧ろその提督達からは、久々の戦場で楽しめると思っていたのに肩透かしもいいところだ! と報告書の名を借りた苦情が来たそうだ。

 若手将校に手柄を与えるつもりだったのになんでおっさん達が付いて行ったんだよ…。なんて聞こえた気がしたが、シャオヤオは聞こえないふりをしてジュースの残りを飲みほした。


「計画は全て恙無く進んでいる。最重要の最優先事項であったムーダンの保護も然り」

「無理矢理な事はしていないのね?」

「勿論、丁重に扱うよう命じておいた。ムーダンには先んじて全ての事情と状況を説明してある。頭の良い子で、すぐに飲み込んでくれて助かった。そしてサモフォル王国の血を引く公子として帝都の帝国病院へ移ってもらった」

「公子…」

「シャオヤオ姫の同父母の弟なんだ。当然だろ?」

 

 偽りの身分に弟の存在は無いと扱われると思っていたのに、そうではないらしい。そこでも自分達がちゃんと姉弟である事が分かって、シャオヤオは何処からか湧いて来た安堵を息としてゆっくりと吐いた。

 そこでふと湧いた疑問を口にする。


「私にもムーダンのように事情を話していても良かったのではないの?」

「それはそうなんだけど、少しでもいいからシャオヤオとの信頼関係を築いてからの方が良いと思ってね。その場で告白しても不審者扱いで返り討ちなのと同じで、突然ですが貴女と弟に相応の身分を用意するので計画に協力して下さいって言っても信用しないだろ?」

「まぁ…確かに。確実に何かの罠だと思うでしょうね」

「まずこちらを理解してもらってからだと思ったし、建国祭の時点でもたった今弟の身柄はこちらが保護したなんて言ったら」

「即刻屋敷から飛び出して確認の為に家に、と言うかムーダンの元に戻ろうとするでしょうね…。もしくはムーダンに何をしたって頭に血が上って皇太子に掴み掛っていたかも」

「ムーダンが帝都の帝国病院へ入るまで触れずにいようと判断した。そしてそれまでの間にエリム夫人に適性を見極めてもらっていた」

「適性?」

「いくら俺が惚れたからって能力や適性がない者を帝国皇妃にする事は出来ないさ。人となり、課題に対する姿勢、思想、得意分野と苦手分野等々。現皇妃である母上の妃教育を担当したエリム夫人にそれらを見てもらった」

 

 現皇妃が皇妃になる際の教育係。それがあの上品なお婆様事、エリム子爵夫人の正体。

 いかに娘や孫の事で嘲笑されようとも、彼女自身の皇族からの信頼は揺るがない訳である。


「エリム夫人は…と言うか屋敷にいた人達は、その…私の本当の素性は」

「全てを知っているのはエリム夫人だけだと思ってくれ」

「…そう」

「因みにそのエリム夫人からは、俺の女性を見る目に間違い無し。姫様は素質の塊です。との高評価を頂いたよ」

「素質うんぬんは何度か聞いたけど…」

「シャオヤオは自分で思っているより凄い人間だって事さ。喜んで自信を持てばいい。そうしている間にムーダンが無事に帝国病院に移って、打ち明けるタイミングを見計らっていたんだ。一番良いのはシャオヤオがこちらを信用して、相談してくれる流れだったのだけど…そう上手く行く訳もなく」

 

 苦笑する皇太子の横顔にシャオヤオは何度か、悩んでいる事は不安な事はないかと聞いて来た彼を思い出す。


「俺もだけど、シャオヤオも自分の目で確かめないと気が済まないところがあるだろ?」

「まぁ…ねぇ」

「ダスティシュ領とサモフォル王国の事後処理も目処が立ったので、いい加減ムーダンの事を明かそうと思った。でも話を最後まで聞いてくれるならそれで済むけど、ダスティシュからの暗殺依頼もあった事だし話の途中でシャオヤオが逃走する可能性もあるなと考えて」

「逃げやすい城壁で話をしたって訳ね。で、案の定私は飛び出したと…」

「その後の事は先に話した通りだ」

 

 あの時は視認できないコハクの存在に気圧され逃げる事しか考えられなかった。ちゃんと話を聞いていればその日の内に帝国病院にいるムーダンに会えたのだろう。急いで戻ろうとして、反って無駄な時間を過ごしてしまった。

 だけどその一方で、一度家へ戻ってムーダンが居ない事やダスティシュ領の終わりを自分の目で確認したからこそ、今こうして大人しく話を聞いているシャオヤオに繋がっているのだとも思う。

 シャオヤオは皇太子をあくまでも暗殺対象としか見ていなかった。いずれ命を奪う相手ならば、その人となりは知らない方がよいし信頼も不要である。多少絆されたとしてもシャオヤオが一線を越える事はない。だから皇太子はシャオヤオを逃げる方向で手を打っていたのだろう。

 諦めにも近い境地だがそれが回り道をした結果なら、無駄な時間も案外無駄ではなかったのかもしれない。


「シャオヤオには悪いけど、ムーダンには先に会わせてもらった。お姉さんを口説く許可を頂いたよ」

「……ムーダン…」

 

 せっかく心が凪いでいたのに力が抜ける事を言われて、溜め息しか出ない。


「さっきも言ったけど、今のシャオヤオに男女の機微は期待していない。これからゆっくりその辺の情緒を育てた上で応えてほしい。その為の2年だ」

「2年……婚約期間、だっけ?」

「そう、覚えてくれてよかった。俺が口説き落とせなかった場合や皇妃なんて嫌だと思った場合には婚約は破棄する。これが父上を納得させた一番の案だ」

 

 ムーダンの生活が保障されるなら、結婚が絶対であってもシャオヤオは否とは言わなかっただろう。だが皇帝は女性が意に沿わない婚姻を強いられ男に権力で弄ばれるのを毛嫌いしており、もし皇太子がシャオヤオに対してそうするつもりならその場で切り殺していたそうだ。皇太子としてもそんな気はなく、期間を定め口説き落とせなかった場合でも相応の報酬を用意する事を提示し皇帝を納得させた。

 婚約破棄の場合、帝国内に領地か又はそれに相応する額の年金のどちらかを与える。怠惰にとはいかないが、最低限食うに困らない生活が生涯保障されると言う話だったはず。暗殺者としての足を洗うつもりならそれにも協力する、とも含まれていたが雇い主であるダスティシュを潰してもらった今、そちらは既に叶っている。


「領地にせよ年金にせよ、サモフォルの技術にはそれに見合う価値がある。領地の経営術や資産の運用法も、一国の姫と公子として扱う上で提供する環境の中できちんと教えよう。モノに出来るかは、君達次第だけど」

 

 最低限の食うに困らない生活で終えるか、それ以上の生活を手にするか、2年の間で身に付けろと。しかも“君達”と言うからにはシャオヤオだけでなくムーダンも含まれている。

 先に聞いた話では視力の回復は望めなくても、これ以上の低下はないとか。

 目に障害はあっても頭と身体は正常。なら学ぶ事は十分に出来る。限られてはくるが、働く事だって。

 そう言う事のようだ。いかにも実力主義らしい。

 ムーダンは賢い子だ、環境さえあればきっとシャオヤオより熱心に学び武器に出来るだけの知識を身に付けられるはず。シャオヤオは唯一の存在であるムーダンに甘い自覚はあるが、そう言う意味では心配の必要はないと思っている。


「それだけ用意してもらっておいて気持ちに絶対に応えなくてもいいって、反って悪い気もするのだけど…」

「そこは男心と言うやつでね。罪悪感から応じる事の方が失礼だと、その辺も学んでくれると助かる」

 

 皇太子との事は一先ず置いておいていいそうだ。

 当人がそう言うのなら、そうさせてもらおう。

 いかに表面上は落ち着いているようでもシャオヤオが優先するのはムーダンなのだから。

 

 

 翌日、予想通り帝都に着いた。


「お帰りなさいませ」

 

 ムーダンが帝都にいると思うとそれだけでソワソワと落ち着かないのに、また長々と到着の挨拶やらなんやらと付き合わされるのかと思うとうんざりとする。そんなシャオヤオの予想に反し、出迎えに現れたのはセドリック1人であった。…いや、道の両脇にずらりと兵士が並んで敬礼しているので、正確に言えばセドリックだけではないのだが。

 兵士達による花道の先には馬車が停まっていた。セドリックに誘導されつつ、皇太子にエスコートされつつ、シャオヤオは黙ってその馬車へと向かう。


「このまま帝国病院へ向かいます。先方にも先触れを出したので、準備を整えてくれているはずです」

 

 皇太子とセドリックと共に馬車に乗り込むと、セドリックが開口一番にそう告げる。

 帝国病院…つまり今、ムーダンがいる場所。

 シャオヤオが思わず皇太子を見ると、ニッコリと微笑みながら頷きを返された。もうそれで十分だ。


「帝国病院は帝都でも最も安全とされる場所の一つだ」

「最もが何箇所かあるように聞こえるけど?」

「帝国病院が安全とされる理由は大きく二つ。一つは名誉会長を大公妃…皇帝の姉、つまり俺の伯母上が勤めていて、時折出仕なさっている。まぁ特に出来る事がある訳ではないが、数少ない皇族の1人が顔を出しているだけでそれなりの影響はある。警護面とかね」

「なるほど…」

「もう一つも警護面になるのだけど、直接的影響は伯母上より上だな。こちらも時折、大体2ヶ月に一度、ロンさんが受診しに来る」

「ロン?」

「帝国最強、と言ったら分かりやすいかな?」

 

 帝国最強…以前にエリム夫人から聞いた、文字通り帝国で最も強い人物。形ある称号ではなく一種のネタのようなモノだったのが、最後の戦いから約15年も経った今でもその座に不動として君臨するただ1人を指す記号となっていたはず。

 その話で一番驚いたのは当時でまだ16歳頃の少女だと言う事。確か酷く負傷して引退を余儀なくされた、と言う話だったか。


「何年か前に出仕なさった大公妃様を狙って数十人の暴徒が病院を占拠しようとしました」

「え」

「しかし居合わせたロンさんにより鎮圧。襲撃の知らせを受けて軍が駆け付けた頃には瓦礫の片付け等はあるものの病院はほぼ通常業務に戻っていた有り様でした」

「世には酔っ払いが暴れた程度の認知で終わった」

「因みに襲撃から軍が駆け付けるまで、数十分も経っていません」

「……怪我で引退したって聞いていたけど?」

 

 エリム夫人からはそう聞いたはず。

 興味がないからと聞き間違えただろうか?


「あー…ロンさんとコハクさんは人間の理の外いるから」

 

 あの何でも屋と並べられる存在なのか。そうか。最強と呼ばれるのも納得だ。

 ならば深く考えるのは止めよう。

 これは「へ~すご~い」と楽しみ、その病院にいればムーダンは安全だと安心するだけの話だ。そうなのだ。


「そもそも伯母上を狙う以前に、ロンさんが立ち寄る可能性があるような場所で騒ぎを起こす方があり得ない」

「不穏分子の組織は幾つかありますけど、殆どが事を起こすならロンさんが絶対にいない所でやります。常識ですよ常識」

「へ~すご~い」

 

 そんな他愛ない話をしながら、病院までの道のりをシャオヤオは馬車の中で過ごした。

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