7月26日
泉遼平
7月26日
『
一度も話したことのない人から、突然そんなLINEがきた。
同じクラスの
あたしが篠宮について知ってることは、それで全部だ。
にしてもなんだこれ。大して親しくもないあたしを、なんでいきなり花火に誘う? いつ? どこの? そもそも「環奈さんへ」って何? 手紙かなんか?
頭の中で散らかったハテナの中から、ひとまず一番気になったことを入力する。
『あたしのLINE誰に聞いたの』
送信直後に既読がついた。なんか気まずい。
『
あー、マルならやりかねん。「友達の輪を広げることが生きがいなの!」とか言って、クラスメートどころか同学年、果ては全校生徒にあたしのLINEを教えててもおかしくない。悪い子じゃないんだけど。
返事を保留にして、扇風機の風圧にも負けそうなくらい無気力な身体をベッドから起こす。ついさっき麦茶に入れた氷は、とっくに溶けていなくなっていた。
高校に入学してからもうすぐ4ヶ月。私の記憶がまともなら、篠宮とは一度も口を利いたことがない。別に避けてるとかじゃなく、特に関わる必要もないから。クラス分けという決まりごとで、教室という同じ枠の中でたまたま一緒になった人。ただ、それだけの人。
だからきっと、この誘いを断ったら3年間他人で終わる。それはなんだか、すこしもったいないことなんじゃないかって、ふと思ってしまった。
『いつ?』
『今日』
急だな。平日だけど、どっかでやってるのかな。
『どこの?』
『新宿からそう遠くない場所』
「どこだよ。つか返事早っ」
口から漏れた本音を、そのまま文字にしそうになった。
あたしはよくLINEが素っ気ないって言われるけど、篠宮に比べればマシだなと思った。スタンプや顔文字はおろか、ハテナとビックリの記号すら添えられる気配がない。これが現役女子高生のLINEです、なんて誰にも信じてもらえなそうだけど、ちょっとだけ篠宮に親近感が湧いた。あと、好奇心とか興味も。
『いいよ。どこ待ち合わせ?』
どうして篠宮と花火に行ったの? って学校の友達に聞かれたらなんて答えよう。夏休みに入ってすぐに染めた髪を誰かに見せたかったから。開けたてのピアスを自慢したかったから。なんの予定もない夏休みに、とにかく変化が欲しかったから。なんとなく、気が向いたから。
『新宿駅の南口、6時半』
分かった、と返してから、今みたいな時こそスタンプを使うんだろうなと思った。去年の誕生日にお姉ちゃんがプレゼントでくれた、あんま可愛くない猫のスタンプ。
せっかくだから、うんうん。とうなずいてる黒猫のやつを送ってみる。すぐに既読がついた。けどそれっきりだった。このやろう。
忙しなく行き交う人々の頭上に、梅雨明けを認めたくなさそうなどんより雲が浮かんでる。
新宿駅の南口、6時半の5分前。平日だからスーツが多くて、夏休みだから制服は少ない。あたしは最近見つけたロックバンドの曲とかを聴きながら、待ってないふりをして篠宮を待ってる。夏の爽やかさを歌うボーカルの声を耳で受けつつ、おでこの汗を拭う。
にしても、天気大丈夫かな。花火って雨降ったら中止だよね。
「お待たせ」
ラスサビ前の間奏中に声が聞こえて、イヤホンを外しながら振り向く。
印象通りの長い黒髪が立っていた。この季節だと暑苦しくなりそうなもんだけど、篠宮のそれは涼しげに肩から背中へと流れている。というか、それはいいんだけど。
「なんで制服?」
「部活だったから」
何部? って聞こうとしてやめた。篠宮のことを知りたがってると思われるのは癪だから。なんて、子供っぽい理由かな。
「で、どこ行くの」
「とりあえず、夕飯を食べてもいいかしら」
こくりとうなずいてから、歩き出した篠宮についていく。あたしは家で軽く食べてきたけど、花火をやるなら出店があると見越して、本当に軽めにしてきた。いか焼きわたがしりんご飴。たこ焼きか焼きそば、どっちかはマストで。
「そこで買ってくるわね」
どこかの店に入るでもなく、篠宮はファミマを指さした。自動ドアを通り抜け、迷いなくおにぎり一個とお茶を手に会計を済ませ、クーラーのきいた店内で涼む間もなく会計が終わった。
屋根の下に並んで、おにぎりの包装を丁寧に剥がす仕草を横目に見る。
「それ夕飯? 足りるの?」
「足りなかったら、あとで買えばいいから」
ってことは、篠宮も出店の食べ物に期待してるんだろうな。
「新宿からそう遠くない場所って言ってたけど、結局どこなの?」
「そうね、ここから歩いて30分……とちょっとかしら」
何をもったいぶっているのか、なかなか場所を教えてくれない。それならそれで、あたしも別に気にしてないしって態度を貫くだけだけど。
新宿御苑から響くセミの鳴き声を聞きながら、夕食中の篠宮をじっと見守る。こうしてみると、まつ毛が長くてなかなか美人だ。鼻筋もスッとしてて、絵描きが綺麗に線を引いたみたい。
最後の一口を食べ終えた篠宮は、指先についた一粒のお米を唇ですくいとった。その色っぽい仕草が脳裏に焼きつきそうになって、いやダメだろと思ったあたしは、ずっと気になってたことを尋ねてみた。
「ねえ、なんであたしを誘ったの?」
「……嫌だった?」
困ったような顔をされて、そんなつもりじゃないよと手を振った。
「そうじゃなくてさ、あたしらって学校で喋ったことないじゃん」
「うん……だからなの」
伏し目がちになった篠宮が、お茶を握りしめる。
「環奈さんと、仲良くなりたいと思ったの」
目を見てその言葉を言われてたら、あたしはきっと顔を真っ赤に染められていた。中3の頃、名前も知らない後輩の男子に告白されたときよりずっと、胸がきゅうっとなった。
そんな恥ずかしいこと、真っ直ぐに言えるんだ。篠宮って、すごいかも。
「髪、染めちゃったの?」
「え? ああ……」
これを誰かに見せたかったはずなのに、篠宮に言われるまで忘れてた。
「いいでしょ、キレイに染まってると思わない?」
「私、環奈さんには黒い髪が似合うと思う」
「え」
染めたばっかの髪を否定されて、露骨に顔がゆがんでしまった。仲良くなりたいと思ってる相手に掛ける言葉にしては、あまりに遠慮がなさ過ぎないか。
「黒? なんで?」
「なんでって……感覚的な好みに理由を求められても困るわ」
黒は正直、あんまり好みじゃない。なんとなくだけど、色の重みに自分自身が耐えられなくなる。なにより、環奈って名前だけで千年に一度のお方と比べられたりするから、黒髪で清純派スタイルなんて絶対無理。
「篠宮さんが黒好きってだけじゃなくて?」
自分でも予感はしてたけど、口に出して名前を呼ぶときはさん付けになった。今のあたしには、そのくらいの距離感。
「好き、ってわけじゃないけど……でも、黒という色に他の色が重なっていくのは好き」
「ふーん……」
よく分かんないけど、なんとなく篠宮は美術部なのかもしれないと思った。長い髪を縛って、無地のエプロンなんかを着たりして、真っ黒なキャンパスを前にした篠宮が、多彩な絵の具を操る姿を想像する。筆の先から飛び散った赤や黄色や紫が、一面の黒を染め上げていく光景。
それはまるで、夜空に打ち上がるカラフルな――
「花火だ」
あたしがそう口走ると、篠宮は今日初めて笑った。悔しいけど、その笑顔は可愛いと美人が同時に成り立っていて、女のあたしでもドキッとさせられそうになった。
新宿御苑の外周に沿って歩いて、千駄ヶ谷の方に抜けた。じんめりとした夜の空気が肌にまとわりついて、首から足の先までベタベタする。
駅前にある大きな体育館の敷地を通り過ぎるのかと思ったら、そこで篠宮の足が止まった。
「ここからなら、見えるわ」
「え、ここなの?」
勝手に見晴らしのいい場所を想像してたから、拍子抜けした。視界が開けてこそいるけど、周りには他に花火待ちらしき人もいないし、出店のでの字も見当たらない。
「てか、何時から?」
「それは……はっきりとは言えないけど、もう少しだと思う」
夜になりかけの空模様と同じくらい曖昧な返事で、さすがにムッとしてしまう。新宿駅の南口に6時半、以外の情報がなにもかも不透明で、受け身にならざるを得ないこの状況に段々と我慢ができなくなってきた。
篠宮がおもむろにスマホを見て、整ったその顔をしかめた。
「……予想より時間がかかっちゃうかも」
困ったようにそう言われたけど、あたしは聞こえないフリをした。理由を聞いたって、どうせはぐらかされるだけだし。
「待ってる間、花火でもする?」
見る、じゃなくて、する?
そろそろ、あたしの導火線にも火が着きそうなんですけど。
駅前のコンビニで買った花火は、数分ともたずに燃えカスと化した。100均のバケツは濁った水で満たされていて、今のあたしの心情をよく表してくれている。当然、打ち上がる方の花火が始まる気配はない。
「まさかとは思うけど、花火ってこれのことじゃないよね」
「違うわ」
いら立ちが分かりやすく声に出るあたしと違って、篠宮の返事は淡々としている。
「ならいつ始まんの? もう8時過ぎてんだよ?」
「大丈夫、そろそろだから」
「大丈夫って、さっきからそればっかじゃんか」
あたしじゃなくスマホをじっと見つめる篠宮の前で、バケツを思いきり蹴飛ばしてやろうか。ずっと焦らされて、馬鹿にされているような気さえして、もう我慢の限界だ。
「ねえ!」
あたしが声を荒げても篠宮は動じなかった。ただじっと、曇った夜空を信じるように見つめてる。詰め寄ってその目をにらんだ瞬間、黒い瞳に色とりどりの輪が映り込んだ。
破裂音に揺れる鼓膜。振り向けば、7月の夜空に花火が舞い上がっていた。
緑か黄色、青か紫、ピンクかオレンジ。境界のぼやけた色をした火花が放射線状に散っては、ぱらぱらと音を立てて消えていく。遠くから響く拍手と歓声。絶え間なく続く打ち上げ花火。それを今、篠宮と二人で見上げてる。
夏だ。
「よかった……中止とかじゃなくって」
「これ、どっから上がってんの……?」
「今の時期ね、神宮球場で野球の試合がある日は、花火が上がるの」
「知ってたの?」
「私の家、ここからすぐだから。夏になるといつも見てたわ」
「なら、言ってくれればよかったのに。怒鳴っちゃったじゃん」
「びっくりさせたいと思っていたから……ごめんなさい」
質問の答えがはっきりしなかったのは、篠宮なりに考えあってのことだったんだ。そうと分かったとたん、何にイライラしてたのかも忘れてしまった。
待望の花火はあっという間に終わった。時間にすればほんの2分足らずで、曇った夜空には煙と一緒に火薬の匂いがもくもくと漂ってる。
「篠宮って、変わってるね」
「そう?」
「そうだよ。花火って言ったら普通、もっと大きいの想像するじゃん」
「3尺玉とか?」
「そっちの大きさじゃなくて、規模? こんな変わった場所で花火なんて意外すぎ」
でも、あたしは好きだよ。
そう言おうとしてやめた。篠宮に気を許したと思われるのは、照れくさいから。
「あれって、試合が終わったらやるの?」
「ううん、試合の途中。けど今日は予想より時間がかかってしまったの」
篠宮が見ているスマホをのぞき込む。横長のスコアボードに数字が書いてあった。
「後攻のチームが今、0―10で負けてるみたい」
「ボロ負けじゃん。それでも花火やるんだ」
「点差は関係なく、5回が終わったらやる決まりだから」
それもそうか。負けてるからやらないって、大の大人が拗ねてるみたいで格好悪いもんね。
「にしても、10点って相当だね。だからさっきから、ユニフォーム着てる人が帰ってるんだ」
「もったいないわよね。まだ負けたと決まったわけじゃないのに」
「いや、さすがに無理でしょ」
「そうかしら。どんな状況だって、最後まで諦めなければなにかが起こるかもしれないわ」
そのチームのファンって訳でもなさそうなのに、篠宮の言葉はやけに耳に残った。
「なにかって?」
「サヨナラホームラン? で逆転勝利とか」
「ないない!」
うちわで扇ぐように手を振って、篠宮の意見を全否定する。
篠宮はきっと、野球のことを全然知らないんだ。あたしもルールはよく知らないけど、1点の価値はなんとなく分かる。サッカーほど重くはないけど、バスケみたいにスパスパ入ったりもしない。野球にとっての10点差は、シャーペンの芯を1本だけ握り締めて臨む筆記テストくらい絶望的だ。
「それじゃあ……もし、負けてる方のチームが今から追いついたらどうする?」
そんなの絶対あり得ない。あたしは鼻で笑いながら、思いついたままを口にする。
「明日にでもこの髪染め直してくるよ」
「本当? じゃあ、逆転して勝ったら?」
「そしたら、3年間ずっと黒髪にしてあげる。篠宮と同じくらいの真っ黒に」
「その言葉、約束だからね」
そしてあたしは高校3年間、篠宮真帆とお揃いの真っ黒髪で過ごすことになった。
7月26日 泉遼平 @Ryohei_Izumi
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