第5話 うそつき

「た・・・ただいま、戻りました」

「・・・あら、遅かったですわね?」

 おどおどそっと、まるで門限を破った娘のように部屋へ返って来たサタリャーシャを、マリアライゼは金属製パズルを解く手を止めて迎えた。

「は、はい、ちょっと・・・」

「ちょっと?」

「い、いえ!ちょ、ちょっと・・・お、お腹が一杯になっちゃったんで、さ、散歩を」

「・・・そう。でも、あまり遅くならないことよ。こんな街でも、夜は危険ですから」

「す、すみません。あ、あの・・・」

「何かしら?」

「その・・・も、若しかして、私を待っていてくれたんです、か?」

「まさか」

 クスリと笑うマリアライゼだったが、ベッドの上で寝間着にナイト・キャップまで被った状態で手持ち無沙汰のようにパズルを弄る様子を見られては、そう思われても仕方がないだろう。

「そうでなくて、これ。寝る前に始めたら、止まらなくなってしまっただけですわ」

「へえ・・・。パズル、馬車の中でもしてましたけど、お好きなんですか?」

「ええ。貴女と同じくらい」

「へえ・・・へえ!?」

「冗談ですわ」

 ふふん、と揶揄うように笑う様子からは、その台詞に秘められた想いが本心からなのか、それともサタリャーシャを揶揄っているだけなのかは分からなかった。

「と、まあ・・・そんなことはさておき。帰ってきて早々に悪いですけれど貴女、これからすることは何かあって?」

「え?ええと・・・に、日記を書こうかな、なんて」

「あら、日記?古風ですのね」

「し、習慣なので」

 そう断ってヒョコヒョコと机に向かおうとしたサタリャーシャの目に、衣紋掛けに架けられたマリアライゼのサマードレスが目に入る。無論、旅装束である以上は余分な着替えが有るはずも無し、無暗に皺を寄らせぬよう服を架けておくのは何ら不思議でも何でもないのだが。

「あら?どうされましたの?」

 ポカンと、不思議そうに自分の服を眺めるサタリャーシャに、マリアライゼは疑問の声を投げかける。

「い、いえ。な、何でもないですけど・・・マリアライゼさん、怪我なんてしてませんよ、ね?」

「え?え、ええ。ですが、どうかして?」

「いえ。ただ・・・」

「ただ?」

「ただ、ちょっと・・・このドレスに染みみたいな汚れがあるように見えたので。ど、どこかで怪我でもされたのかな~な、んて」

 どこか誤魔化すように目を泳がせながらそう述べるサタリャーシャへ、マリアライゼは少しだけ怪訝そうに眉をくゆらせるが、

「気のせいではなくて?それか、さっきの食事の時にソースが飛んだのかもしれませんわね」

 直ぐに視線を手元のパズルへ戻すと、そのように嘯いた。

「そ、そうですか」

「そうですわ。それで・・・貴女、明日からのご予定は?」

「へ?え、え・・・と、特には、何も」

 というより、この街に来たのは別に旅の途中にあったからなだけで、用があって来た訳では無い。だから、明日にはこの街を出る心算である。

 そうたどたどしく彼女が伝える前に、マリアライゼが口を開く。

「そうですのね。では、明日は私、用事がありますの。ですので、明後日にいたしましょう」

「はい?」

「ですから・・・サティ。明後日、出かけませんこと?」

 はい!?とサタリャーシャは大きく目を剥いた。ただでさえ大きな瞳が、零れんばかりに見開かれる。

「ど、どこに?」

 ブルリと体を震わせつつ、なんとか絞り出すようにして出した言葉で問うた彼女に、マリアライゼは獲物を前にした猫のような表情で語りかける。

「そう怯えなくとも宜しくてよ。ちょっとしたピクニック、というやつですわ」

「ぴくにっく?」

「ええ。帰って来た時に宿の主人に聞いたのですけれど、この街の東側の門、私たちが入ってきた門ですわね。そこを少し行った所に、お誂え向きの草原があるそうですの」

「は、はあ・・・お、お誂え、向き?」

「そう。良いでしょう?燦燦と輝く太陽の元、山から流れ出る小川を傍にして、緑豊かな草原を2人で。そう・・・誰もいない、2人だけの場所で」

 遠くを眺める恍惚とした表情は、果たしてそれが本当なのか芝居っ気だけなのか、世事に疎いサタリャーシャには判別がつかなかった。いや、世事の問題ではないか。

「でも・・・若し、お嫌でしたら」

 ただ、一転して悲しそうに目を伏せる彼女の言葉に「はい、嫌です」とか「明日にはこの街を出ます」などと言えるほど、世事慣れていないことは事実である。

「い、いえいえ!い、行きます行きます、行かせて頂きます!」

「まあ!」

 そうして、また一転してパアと顔を明るくする彼女に、最早サタリャーシャには唯々諾々と従う以外に道は無かった。詐欺に引っかかるタイプである。

「では明後日。お願いしますわね?」

「は、はい。こちらこそ」

 そう答えてから机に向かうサタリャーシャの後ろでは、カシャカシャとパズルを動かす音がひっきりなしにずっと聞こえ続けた。少なくとも、彼女が日記を書いている途中までは、ずっと。


「・・・あれ?」

 ギシリ、と自分で椅子を軋ませた音で我に返ったサタリャーシャの耳に聞こえてきたのは、スウスウという寝息であった。そっと首を後ろに回して見れば、いつの間にかマリアライゼが布団を被って寝息を立てているではないか。

「マリアライゼ、さん?」

 恐る恐る声をかけてみるが、閉じられた彼女の瞼は閉じられたまま開く様子はない。どうやら、本当に寝入ってしまっているようだ。

「・・・ふう」

 小さく、溜息を吐く。

 ここまで、誰かと一緒にいることは彼女の記憶の中に無いことだ。だが、それにもかかわらず、彼女に不快感や疲労感は無い。勿論、マリアライゼの言葉にドキリとされらたりヒヤリとされられることはあったが、何故だろうか。サタリャーシャにとって、それらは全くと言っていいほど気に障るものではなかったのだ。

「・・・ううん」

 そんなことを思いながら眺めていたせいだろうか。マリアライゼは脚で蹴り上げるようにして体にかかっていた布団を撥ねのける。その寝相の悪さに苦笑を浮かべ、サタリャーシャは椅子を軋ませないように立ち上がるとそっと歩み寄り、彼女が撥ねのけた布団の位置を体の上に戻す。

 しかし、親の心子知らずの亜種だろう。マリアライゼの体の上に布団があった時間は短く、再びバサリと払いのけられた。

「まったく」

 それを見て、困ったように呟く。

 まるで子供だ。いや、「ううん」と漏らしながら身を捩らせるマリアライゼは当然だが化粧は落とされ、更に起きている時に見せる高飛車な様子が削ぎ落されているせいだろう。そのギャップ故に、どこか幼い風貌に見えた。

「・・・さて」

 勿論、サタリャーシャは彼女の親では無いのだから無駄な行いはせず、布団をそのままにして背を向け机に戻る。もっとも、今日の日記自体は書き終わっているし、今の出来事を書面にして残すほど恐れ知らずでもない。

 だから、日記を片付けて自分も寝ようと思って机に向かおうとしただけなのだが、

「・・・・・・」

 その道中、マリアライゼのサマードレスが目に入る。

 それに彼女はそっと、さっきベッドに近づいた時よりもずっと静かに近寄ると、指先を口に含んで唾液で湿らせる。そして、先ほど彼女が見つけた汚れに指を付け暫くしてから離すと、その指は薄くではあるが朱に色づいていた。

 それを卓上ランプの微かな灯りの下で暫く眺めていたサタリャーシャだったが、やがてその指を舌に乗せ、汚れを舐り取るように自身の人差し指を舐め回してから独り呟いた。

「・・・・・・うそつき」

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夜陰仕事人と夜歩く者 駒井 ウヤマ @mitunari40

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