十四、椿妃
朔と別れた後、麗殊は窓際に座り、外の景色を眺めていた。まだ腹が空いていないので、極上の桃は木箱の中に秘したまま、後々の楽しみにとっておくことにした。
桃晴宮の庭には、椿の木が植えられている。多様な植物の中でも一際存在感のある、背丈の高い木だ。
──椿。
その鮮やかな花を想像して思い出されるのは、美しいと讃えられたその顔さえ見たことのない伯母──椿妃のことである。
椿妃の冤罪。それは、母や祖母から何度も言い聞かせられた話だ。諳んずることだってできる。
椿の赤い花が開く冬は、まだ来ない。
麗殊は静かに目を閉じて、今は咲くことのない椿の青々とした香りを、その苦い味を、想像してみることにした。
***
二十六年前、椿妃──甜
当時帝位に着いていた
椿妃の年齢に対して、黎晟帝は既に御歳四十六。三十も歳が離れていたが、椿妃は黎晟帝に心から尽くし、他の妃や皇后が羨むほど黎晟帝は椿妃を寵愛した。
その傾慕には、椿妃が持つ特殊な力が関係していた。甜氏の血を引く彼女は、麗殊と同じく食を媒介として記憶を読む幻食の力を持っていたのだ。
聡明な椿妃は後宮での己の地位を確実なものにするため、その力を用いて食解きを行い、黎晟帝の悩みの種となる宮中の謎を次々と解決していった。
事件は、椿妃が入宮してから四年後、今から二十二年前に起きた。
南方から嫁いできた槐妃は当代の四夫人の最高位で、椿妃が入宮するまでは皇后を凌ぐ最愛の妃であったという。
宴中に起きたこの事件の犯人として立てられたのが、椿妃であった。
椿妃は誹りを甘んじて受け容れた。そして、牢の中で毒を煽った。黎晟帝は彼女のこれまでの活躍を認め、槐妃の死の真相は公にせず、椿妃に関する物事は全て禁句とした。
……というのが、宮中からの文に書かれてあった事の顛末だ。麗殊も他の甜氏もこれ以上のことを知らない。共に出仕した侍女は誰ひとりとして、神顕山に帰って来なかったため、事件を直接見聞きした者もいない。
ただ、文を届けに来た官吏は事件を把握していたのか、「人喰い族め」と侮蔑の一瞥の残して去っていった。
それから、甜氏は人喰い族の汚名を被り、ことごとく官位を剥奪され、神顕山の隅で細々と暮らしてきた。
甜氏のような辺境の小さな一族は、仲間意識と誇りから来る自尊心が強い。椿妃の父であった族長は償いとして命を絶ってしまった。後追いする者もいた。残った者は椿妃の無実を信じた。甜氏が人間を害するはずがない、と。
肝を舐めて過ごすうちに、いつしかその信は怒りへと転じ、宮中に対する甜氏のやるせない
麗殊が生まれたのは、椿妃が死して六年後のことだ。麗殊は存命の甜氏の中で、異能を最も色濃く受け継いで生まれた。
だが、椿妃の記憶を見ることはできなかった。宮中に関する触媒は持ち得ず、当時の彼女が食していたものも分からない。知る術がなかったのだ。
母や祖母は麗殊を叱責したが、娘を、姉を亡くしたその心を思えば仕方のないことであると受け入れた。
それから、黎晟帝からその子
転機が訪れたのは二年前。驘寛帝が病で急逝し、その子である朧鳴帝へと後宮が刷新される際に、新しく大規模な妃選抜が行われた。宮中には、嬪位以上の妃嬪は皇帝が直々に選ぶという決まりがあり、朧鳴帝は充媛に麗殊を選んだ。今思えば、確実に麗殊があの甜氏であることを知った上でのことだろう。
ところが、実際に入宮を許されたのは朧鳴帝が即位して一年と半年後だった。理由は"諸準備"という曖昧なものであったが、椿妃事件が関係していると考えられる。朧鳴帝が認めても、他に椿妃事件を知る者が残っていたならば止めるはずだ。
麗殊も椿妃の無実を信じている。信じるという以前に、それこそが真実だと教え込まれてきたのだ。
宮中に入り込み、かつての椿妃の面影を捜し、彼女の、または真実を知る者の記憶を覗く。それにより、二十二年前に起きた椿妃事件の真相を明らかにする──これが、麗殊が背負う最大の使命である。
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