カーテン越し、クロシェット

 仕事の帰りに革靴でステップを踏んでしまい、上司には驚いた顔をされた。今日くらいは許してくれ。真面目な仕事人の仮面は剥ぎ棄てたいんだ。

 電車のボックス席になんか座ってみて、『きれいだよ』と一言添えて夜景の写真を送ってみる。二、三日前から既読すら付いていないが、いつも通りだし構いすぎても怒られるのでそのままにしておく。

 上がる口元を隠しきれないまま駆け込んだ近所の洋菓子屋でケーキを購入する。見知った顔のおばちゃんが、心配そうな顔をしていたから「どうしました?」と直接聞いてみた。

「今日も、妹ちゃんの誕生日かい?」

「はい!」

 こんな元気な答えが返ってくると思っていなかったのか、おばちゃんは「喜ぶだろうね」と合わせるような苦笑を浮かべた。もしかしなくても、誕生日への熱さにドン引きしてしまったのかもしれない。娘さんに手招きされたおばちゃんは、不安定な足取りで店の奥へ消えていった。

 軽く踏み出した足は、迷いもなく自宅へ向かう。

 

 モンブランがひとつ、冷蔵庫の中央の段に鎮座している。酒も十分冷えていて、準備万端。あとは……そうだ。飾りつけをしなければならない。

 リビングに足を踏み入れた瞬間、体が硬直する。息が詰まる。手がしびれだす。思考のなみにのまれる。

 窓枠に飾られた作り物の花は厚くほこりをかぶっている。自分では食べることのない甘いチョコ菓子の賞味期限は、去年のもの。ソファの上にすでに置いてあるハンドクリームの箱は、未開封で、今日昼休みに買ってきたハンカチの店と同じ。

 それは誕生日会が行われていたことを意味している。だいぶ前に。

 まさか。そんな。そんなこと。

 先に先にと走る思考を止めたいかのように、足は自然と玄関に向いていた。

 靴箱を開けて隅まで見るけれど、妹の靴は一足もなかった。

 二階に焦る両足で駆け上がり、妹の部屋に飛び込む。カーテンを閉め切ったままの部屋は暗く、ほこりっぽく、せき込んでしまいそうだった。ベッドに寝れるはずもない。

 安心したいがために、なにかひとつでも妹は生きているという証拠を見つけたくて。無我夢中で一階の押入れの引き戸を開けた。

 息をする間もなく、自分の足元になだれ落ちてくる箱の数々。酒の缶たち。そのどれもが、自分では買わないようなしゃれたものばかりで。酒は甘く度数が低いものしか見当たらず、賞味期限は三年前から一か月刻みで全部ある。

 溶けてゆくんだ。形ひとつものこさず、とけてとけ、て。


 お昼に買ったハンカチをバッグに忍ばせて、あとの仕事も頑張るぞと自分を励ます。

 帰りはあそこに寄ろう。

 にこにことしていたのか、上司には驚いた顔をされた。

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