第12話 「過去を見るのも悪くはないね」
扉の窓越しから見える過去の美玲は顔を真っ赤にしていた。彼女の目の前にいる過去の俺も顔を赤くしている。過去の俺はそれからすぐに彼女の方を見た。過去の俺の返事はこうだった。
「ありがとう。もちろん喜んで」
過去の美玲が過去の俺の返事を踏まえてこう言った。
「……よろしく、健太」
「こちらこそ、美玲」
過去の俺がこう返した。二人はそれからお互いを見つめ合った。この時、俺たちはかなり長く見つめ合っていたことを思い出す。俺の記憶が間違ってなければ、時計が十分以上進んでようやく二人で部屋を出たくらいだった。
この日、この瞬間、俺たちは正式な恋人になった。デートの頻度は交際開始前から然程変わりがなかったが、もっと恋人らしいデート内容に変わっていった。冬にはクリスマスデートをしたり、春には花見に行ったり、夏には少し遠出をして海に行ったりと様々場所へと二人で出かけた。それらのデートはどれも楽しかった。だからこそ、俺は美玲に突然振られてしまったことがショックだった。
過去の俺たちの様子を見続けていると横にいる美玲から肩を叩かれた。美玲はジェスチャーで「あっちへ行こう」という具合のことを示した。俺は頷いてそれを了解した。肝心の瞬間はもう見れたので思い残すことはなかった。
俺たちは過去の自分たちに気づかれないよう物音をできるだけ立てずにその場を離れた。
美玲はその足でキャンパスを出た。俺もそれに後ろからついて行く。目的地はときの駅で、俺たちは二〇二四年十一月に戻ることにした。大学から離れてきた所で美玲は言った。
「こうして自分たちの過去を見るのも悪くはないわね」
俺は彼女に追いついて横に並んだ。
「そうだな。俺も悪くはなかったと思う」
「色々なことを思い出したな」
「ああ」
美玲が立ち止まって遠くの方を眺めた。その視線の先には川が流れている。
「結局、私は時間という川の中でどうしたいんだろう」
美玲は悩んだ顔をしている。
「結局、君を振ったは良いもののそこから先は全く自分の思い通りにはできなかった。というと語弊があるわね。簡単に言うと自分自身の思い出を無かったことにしようとするのはこんなにも辛いのね」
俺はずっと思っていたことを彼女にぶつけることにした。
「そりゃあ、そうじゃないか。だって、俺との思い出自体は楽しかったんだろ? だから、躊躇ったんじゃないのか? 俺は美玲の一度決めたことはやり切るまでとことんやる姿勢が好きだ。だけど今回ばかりは嫌だった。どうして、過去の思い出まで無かったことにしようとしたんだって」
美玲は何も言い返さなかった。代わりに涙を流し始めた。俺は言ってからしまったと思った。謝ろうと彼女の方を向く。だが、どう言ったら良いのかがわからない。口から言葉が出ない。すると彼女は俺の様子に気づいたようで、こう言った。
「健太、君の言っていることは正しいし、私のやろうとしたことを嫌だと思ったのも当然だと思う。だから、今言ったことで私に申し訳ないことを言ったとは思わないで。もちろん、今の言葉には傷ついた。でも、これは私にとって必要な物なの、きっと」
そう言って彼女はまた歩き出した。俺はしばらく立ち止まって川の流れを見つめ続けた。俺は、彼女を傷つけてしまった。最低だ。俺は自分の拳を深く握り締めた。
ときの駅に着くと美玲はどこにもいなかった。さっきの泣いていた勢いで、まだどこかを彷徨っていたらどうしようと思った。探していると車掌が現れた。俺は車掌に美玲はどこかと聞くと車掌はこう答えた。
「美玲さんなら、先程二〇二四年十一月十二日行きの列車に乗って行かれましたよ」
「そうですか。それなら良かった」
ほっとした。すると車掌は話を続けた。
「ひとまず、すぐに対処すべき事態は収束したみたいです。いやはや、大事にならずに良かった」
車掌がにこやかな表情を浮かべる。そうだった。俺は美玲を止めようとしてこの時間まで来たのだった。どうやら美玲を止める必要はもうないということで、またほっとする。だが、本当にほっとして良いのだろうか。
「車掌、俺たちの問題って片付いたと思いますか?」
車掌はにこやかな笑みを引っ込めて至って真面目な口調でこう返した。
「いいえ、まだ片付いていません。健太さんと美玲さんの問題にはまだ何とかしなくてはいけないことがあります」
俺は駅舎から遠くの方を眺めた。まだ終わっていない。そうなると俺は一体どうしたら良いというのだろうか。考えていると、車掌に肩を叩かれた。
「ですが、ひとまずはこの辺で休みましょう。もうすぐ二〇二四年行きの特急列車が参りますので、元の時間に帰る準備をしておいてください」
そう言い残して車掌は俺のそばを離れた。俺は、言われた通り元の時間へ帰る準備を始めた。
変装用の服から元々着ていた服に着替えて列車を待つ。しばらくしてアナウンスが流れた。
「まもなく、二番線に特急二〇二四年十一月十二日午前零時半行きが参ります。黄色い線の内側でお待ちください」
列車が到着し俺は乗り込んだ。発車メロディが流れる。
「二番線、ドアが閉まります。ご注意ください」
ドアが閉まり列車は発車した。列車が走っている間、俺は客席に座り込んで車窓からの奇妙な景色を眺めていた。本当なら到着するまで眠りたかったが、眠れなかった。結局、到着までずっと起きていた。
列車が二〇二四年十一月十一月十二日午前零時半に到着した。俺は列車から降りて辺りを見回した。真夜中だった。ホームをなんとなく見ていると、俺のいる辺りからやや離れたところで列車に乗り込もうとしている人が見えた。目を凝らしてみるとその人は緑色のコートを着ていた。顔は見えない。でも、間違いなくその女性は時の切符を落としたあの人だ。俺は咄嗟に叫んだ。
「あの!」
だが、その声は届かなかったようで、その人はすぐに列車の中へと消えていった。それと同時に発車メロディが流れた。
「二番線、ドアが閉まります。ご注意ください」
扉が閉ざされ、列車は発車した。俺は走り去っていく様子をただ見ているしかできなかった。あの女性が結局何者なのか、俺にはわからない。だから、彼女から色々聞かなきゃいけないことは山ほどあるような気がした。
俺は駅舎を出た。気になることは沢山あるが、度重なる時間移動でかなり疲れた。早く家に帰って休みたい。元の時間に戻ったからなのかスマホが復旧した。画面に表示された時間を見ると時刻は午前零時四十分だった。
帰ろう。そう思った矢先、駅舎からやや離れたところで見覚えのある二人が話している様子が見えた。よく見ると一人は美玲、もう一人は樹である。美玲はさっきここに戻ってきたからで説明がつくが、どうして樹がここにいるのだろうか。それから一体何を話しているのだろうか。
程なくして二人の方が俺に気づいたらしく、目が合った。二人はすぐに何かを話し合ったようだった。美玲の方が手招きをした。こっちに来いということらしい。俺は二人のそばまで駆け寄った。
「二人で何を話してたんだ?」
すると樹の様子がおかしいことに気づいた。どうやら何かで弱っているような感じだ。美玲も深刻な顔をしている。樹の方がかなり焦った様子でこう言った。
「ああ、健太か。まずいことになったんだ。こんなの想定外だ。ああ、どうして……」
想定外、この手の言葉を聞くのは一連の出来事に巻き込まれてから二回目だ。今度は何が起きたのだ。
「想定外って何だ? 何が起きた?」
樹はかなり弱々しい声でこう言った。
「……紗奈がいなくなった」
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