-11-

 寒気がしたが、反してこめかみからは汗が流れた。


(ああ、やっぱりそうだったんだ)


 異界。ここではない、違う世界から、琴子はやって来た。もうとっくに気づいてことではあった。ただ、信じたくなかったのだ。

 ここが琴子の知っている世界の知らない土地であるならばまだ希望が持てただろう。しかし異世界とは、あまりに途方もない。世界を飛んだ理由がわからず、そして元の場所へ戻る方法もわからないなんて、考えたくもなかった。


「帰れるの?」


 まだ腕の中で眠っている子どもの、小さな手をぎゅっと握った。

 その子のためではなく、自分の不安を抑えるためだった。


「ねえ、わたし元の世界に帰れるの? ねえ、帰れるんだよね」

「帰り方がわからぬままここへ来たのか」

「来たんじゃないよ。いつの間にかここにいたの。こんなとこ、来たくて来たわけじゃない!」

「なるほど。迷い子であったか。憐れ」


 ユーグはすっと目を細めると、割れた声で言った。


「異界からの訪問者と出会ったのは我も初めてのこと。世界を繋げる方法は知らぬ」

「……そんな」

「案ずるな。次元の海を渡りここへ来たのならば、ふたたび渡る方法もどこかにあろう。森の精霊に訊いておく。ぬしは<蒼穹の君>と我らの恩人である。邪険にはせぬ。ぬしがするべきことはただひとつ、今を生き、耐え忍ぶことだ」


 耐え忍ぶ。

 この場所で、帰れるときが来るまで――帰れると信じて、ひとり。


「そんな、こと」


 家族も友人も誰ひとりおらず、それどころかやっと見つけた話せる相手すら人間ではないようなこの世界で、いつ戻れるかもわからないまま待つことなど、果たしてできるのだろうか。


(何も持たないわたしが、たったひとりで)


 この場所で、これから生きていくことなど……。


「ぬしが望むのならば我は手を貸そう。人の生きる土地へ行きたいのなら案内をする」

「……いや、とりあえず、今はりんごをすり潰す道具とか欲しいかな。この子に、食べさせてあげたい」

「了解した。りんごとは、赤い実のことであるな。<蒼穹の君>への供物であれば、初めからそう言えばいいものを。さすれば咎めなどしなかった」

「知らないし、そんなこと」

「道具を持ってくる。しばし待て」


 琴子は冗談半分で言ったのだが、本当に道具があるらしいことに驚いた。

 ユーグは滑らかに浮遊し先ほどの木のほうへと飛んでいく。けれど、姿が見えなくなる直前、ふいに振り返り、


「ここは<深夜しんやの森>。ぬしがこの森で生きるのならば、森はぬしを歓迎する」


 そう言った。

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