35. 追いかける少年たち


 3人の少年たちは宮殿の壁の陰で、女神とエヴァンネリの論争を聞いて怯えていた。


「エヴァ、やめろ」

ジャミルが飛び出して行きそうになったが、サナシスとハミルがその胴と手を掴んだ。


「今出て行ったら、殺されるよ」

「殺されたっていい」

「殺されたら、エヴァを助けられないだろ。冷静になるんだ」


 女神アテナが髪を振り乱して激高し、エヴァンネリが赤子にされて流星のように東に飛ばされたのを見て、こんなことが本当に起こったのか、こわい夢を見ているのではないのかとお互いの顔を見ると、どの顔も青白くこわばって、がたがたと震えていた。


 

 本当に起ったことなのか。

 どうすればいいんだ。


 少年たちはすぐにはどうしてよいかわからず、ただ立ち尽くした。知恵のある大人に助けてほしかったが、助けてくれる人はいない。

 いつも問題が起きた時、考えてくれたのはエヴァだった。

 そのエヴァが、目の前からいなくなってしまったのだ。


 女神アテナは怒りが収まらないまま、また手あたりしだいに壺を壁に投げつけて壊し、金色の馬車を荒々しく操り、アテナイの方角に帰っていった。


「エヴァを助けに行かなくっちゃ」

 ジャミルが震えた声で言った。

「どこへ助けに行けばいいんだい」

 とハミルが訊いた。 

「エヴァを追いかけるんだよ。飛ばされた方向へ行って、見つけるんだ」



「そうだ。赤ん坊を拾ってきて、ぼく達でこっそり育てるんだ」

 とサナシスが言った。

「そうだ、赤ん坊のエヴァを探して、ぼく達で育てよう」

 とハミルがジャミルの背中を叩いた。


「うん。そうしよう。見つけて、育てよう」

 ジャミルは方針が見つかったので、少しほっとして泣いた。

「でも、どこへ行けば見つかるんだ」

「女神が東の果て、と言っていたよな」

「赤ん坊だから、早く見つけないと死んじゃうかもしれないよ」

「エヴァを死なせてはだめだ」

 とジャミルがまた泣いた。


「そうだ、銀の馬車で追いかければ、きっと間に合うよ」

 ハミルは宮殿で働いていたので、銀の馬車があることを知っていた。

「女神の馬車を許可なくして使うと、問題になるんじゃないのかい」

 とサナシスが言った。

「そうかもしれないけど」


「ぼくがやる」

 とジャミルが言った。「馬車が、どこにあるか教えて」

 ジャミルはエヴァンネリのためなら、何でもするつもりだ。


「いや、ぼくが盗み出してくるから、待っていて」

 とハミルが言った。

「おれも、行く」

 とサナシス。

「ぼくも行く」


 3人は厩舎に忍んで行って、銀の馬車を盗み出した。

「ぼくは馬に乗ったことがあるから」

 とジャミルが手綱を取った。

 よしよし。ジャミルは暴れる馬を鎮めた。

 銀の馬車は坂を上がるように上に駆けあがっていき、大空を駆け始めた。

「そうだ、その調子。行くんだ、東の果てまで、飛んで行け」

 

 一方、空を走っていた女神アテナは、かん高い馬の嘶きを聞いて、誰かが馬車を盗み出したことに気がついた。振り返ると、銀色の馬とそれに乗っている少年たちが見えた。


「止まれ」

 と女神が叫んだ。

 あまりに大きな声だったので、それは島中に鳴り響いた。祭りの最中だった島民たちが、何事かと空を仰いだ。


「私の命令だ。止まれと言っている。聞こえないか」

 と女神が叫んだ。


 しかし、銀の馬車は止まらずに、空を駆け続けた。島民はこれまで、一度も、女神に逆らったことがなかった。でも、今、銀の馬車に乗っているのは島の子供たち、ジャミル、サナシス、ハミルの3人が女神の命令を聞かずに逃げているのだ。島民は恐ろしくなって、身体を縮めながら空を見ていた。


 ジャミルが必死で手綱を操っているのが見えた。

「ジャミル、がんばれ」

 と島民が応援した。

 何が起こったのかは知らないが、島民は少年たちが愛しい。


 女神アテナはますますおもしろくない。

「誰もが、私に逆らうのか。この島を豊かにしてやった恩を忘れたのか」


「がんばれ、がんばれ」

 島民は声を絞る。彼らは、いつでも子供たちの味方なのだ。


「よし、女神の威力を見せてやらねばならない。おまえら3人を3歳児に転生させ、13年間、島には戻れない呪いをかけてやる」

 女神はそう叫んで、金の槍を投げた。

 

 金の槍がハミルに当りそうになったので、とっさにサナシスが立ち上がって庇ったのだが、サナシスがバランスを崩して、地中海に落ちてしまった。


「サナシス」

 ハミルが叫んだ。


 しかし、サナシスは青い海に消えてしまった。

 海は静かで、サナシスは水から顔を見せない。


「サナシスは泳ぎが得意だよね」

 ハミルの瞳が涙でいっぱいになっている。

「漁師だから、得意だよ」

「なら、どうして水面に上がってこないの」

「……」

 

 ふたりはサナシスの名前を何度も叫びながら泣いて空を旋回した後、東のほうに飛んでいった。

 

 大空の女神がどうだと下の島民を睨んだから、彼らはこわくなって、くわばらわくわばら、木に隠れたり、家に逃げ帰ったりした。



 女神は一度、銀の槍を獲りに島の宮殿に戻り、体制を整えてから、それを力いっぱい投げたので、槍は彗星のように伸びて、その車輪にあたって、馬車ごと落下した。


 その落ちたのが、ゴ―ドン王国の宮廷の門前だった。

 ハミルは足に怪我をして、動けなくなっていた。


「ぼくはもう歩けないから、ジャミルはひとりで行って、早くエヴァを探して。早く見つけないと赤ちゃんなのだから、死んでしまうかもしれない」

「ハミルはひとりで大丈夫かい」

「ぼくは大丈夫。早くエヴァを助けて」


「ここで待っていてね。ぼくはエヴァを見つけて、必ず戻ってくるから」

「うん。ぼくはここで待っているから。必ずエヴァを連れて戻ってきて」

「わかった」

 そうして、ジャミルの小さな後ろ姿は夜の中を消えていったのだ。

 

 以後、ハミルはここで待ち続けているのだけれど、ジャミルはまだ戻ってきていないのだ。



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