7. 新入りは物知り


 地震ことセレザールがおずおずと少女たちのいる広間にはいってきた。

 

 汚れていた顔を洗い、髪をとかしてもらったのですっきりした顔をしていて、みんなと同じ青い部屋着を身につけている。

 九月と五日はまだ小さいので、しばらくはアー二ャがそばにおいて育てることにしたので、地震だけが、みんなのいる広間にやってきたのだ。

 

 地震は部屋をぐるりと見回して、

「よろしくお願いします」

 唇をきっと結び、緊張した白い顔をして頭を下げた。

 

 その時、みんなが声をそろえて、

「わかりのぽんぽん」

 と言ったので、地震はますます顔をこわばらせて2歩後ろにさがった。

 

 さっきは「ぽっぽぽっぽ」だったが、今度は新しいのがきた。

 あまりに驚いている地震の反応を見て、少女たちがもっと驚いた。


「わしら、何か変なこと、言ったかい」

 玄関がやさしいで訊いた。


「普通はわかりのぽんぽんとか、そういうふうには言わないものですよ」

「じゃ、なんて言うんじゃ?」

「わかりましたとか、こちらこそよろしくとか」

 地震に指摘されるまで、少女たちは自分たちがおかしな言葉で話しているとは思ってはいなかった。

 みんな幼い頃にここに来て、こういう言葉で話しているので、これが普通なのだと思っていた。


「はい」と「いいえ」は言えるし、意思を伝えるのにそれほど不自由をしたことがないし、誰にも注意されたこともない。

 この家では、「いただきます」は「いただきでござる」と言うし、おやすみ「寝るぞ」という。どうもよそではそうではないらしい。


 だからラティハが学校に行き出してから、その目つきが批判的になり、少女たちの近くにこなくなったわけがわかったような気がした。


「セレザール、ちゃんとした言葉を教えてけれ」

 玄関が地震の隣りに座って言った。

「ゲンカンさん、ちゃんとした名前で呼んでくれてありがとうございます。わたしが知っているかぎりのことを教えてあげます。まず、教えてけれ、ではなくて、教えてくださいです」

「はい。教えてください」


「あんた、きれいな言葉、たくさん知ってんだな」

「特別に、そういうわけではありません」

「学校に行ってたんか?」

「はい。3年生でした」

「すごい」

「すごいですか」

 すごいよね、と玄関と散歩が顔を見合わせた。


「なんか、うれしいな。ここがどきどきする」

 玄関は胸に手を当てて、にこにこして頭を左右に振った。

「とうしてですか」

「だって、セレザールが来たから、新しいことが、習えるけん。いろいろ教えてくれるか」

「はい。わたしでよければ」

 玄関は「わたしでよければ」という言葉の使い方に感動した。 こういう言い方があったのか。

        

「わしたちの中で、一番上まで行った人はアー二ャ姉さんの小学1年だ」

 と玄関が少し自慢するみたいに言った。

「最終学歴が1年生ですか」

 地震がつばを飲んだ。

 この工房には驚くことがいっぱいある。 


「今、その難しい言葉、なんだい?」

「さいしゅうがくれき、のことですか」

「そういうの、誰もわかんないのさ。またひとつ覚えた」

 玄関が口でごもごも言って、忘れないように暗記した。


「みなさんは何と言うんですか」

「わしたちは……一番上のとこ、そういう話になったことがないけん」

 玄関が言葉につまった、というか、知っている言葉が少ないから、いくら考えても出てくるはずがないのだ。


「わしたちはむずかしい言葉は使わんのじゃ。使わんくとも、通じるさ」

と言ってはみたが、いやいやと頭を横に強く振った。

「そんなことじゃ、いかんいかん。みんな、セレザールに習って、よい言葉を使おう」 

「わかりのぽんぽん」

 とみんな。


「違うだろ。今日からは、はい、わかりましただろ。わかったか」

「はい。わかりましたぽんぽん」

「ぽんぽんをつけるなっつうの」

「さいごにぽんぽをつけんと、なんか、すっきりせん」

 それはそうだよな。ずうっとこれできたからと少女たちが頷き合った。


「慣れるんだ。わかったか」

 と玄関が声を強めた。

「わかりのぽん……」


「セレザールはきれいな名前をもっちょるんだな」

 夕食の時、玄関が言った。

「ありがとう。玄関さんの本当の名前は、何ですか」

「さんはいらねー、玄関でええ。わし、もとの名前はないんだ。でも玄関は好かんから、ここを出たら、別の名まえにする」

「もう決まっているのですか」

「ツルにするんだ」

「ツルですか。あの鳥の」

 地震がそう言うと、「玄関はツルが好きなんじゃ」と散歩がくくくと笑った。


「わしはイピゲネイア」

 と散歩が得意そうに言った。

「散歩は遠い国の難しい名前がほしいんじゃ。イピゲネイアは今までに聞いた一番難しい名前じゃ。親方は絶対に覚えられん」

 と玄関が笑った。


「イピゲネイアはミューヶナイ王の王女でしたが、女神アルテミスにいけにえとしてだされたんですよ」

「難しい言葉ばっかりだ。王女とか、女神とか、いけにえって、なんだべ」

 と玄関が目を丸くした。

「ギリシャの神々の話を知らないのですか」

「そんなのは、聞いたことがない」


「ギリシャというところには、いろんな神々がいて、いろんな国があるのです。生贄とは、生きたまま神に供えられて、殺されるのです」

「散歩、大変だぞ。殺されるぞ」

「わし、イピゲネイアをやめる」

 と散歩が泣きべそをかいた。


「そうだ。いけにえはこわいから、変えたほうがいい。花か鳥の名前でも考えろ」

「そうする」

「セレザールは、すっげえよく知っているなぁ」

「ぽっぽぽっぽ」

 とみんなが拍手をした。


「ぽっぽもだめっつうの」

「そんな、急には直らんつうの」


 その晩、布団の中で、地震が泣いていた。

「セレザール、こわいのか。何も、心配することはないぞ。わしがついとるでよ」

 隣りで寝ていた玄関が頭を撫でた。

「ほかの工房のことは知らんけど、よそでは親方にぶんなぐられたり、食べ物をもらえなかったりするそうだけど、ここではそんなことはないからな。心配すんな」

「はい」


「セレザール、おまえは一番いい時にきたんじゃよ」

「一番いい時ですか?」

「市場に行けるし、風呂にもはいれるんじゃ」

「お風呂ですか」

「はい。わしはそのことを考えただけでここが動くんじゃ」

 と玄関が胸を抑えた。





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