第26話「新しいメニューの物語」
改装工事が佳境を迎える中、支店のメニュー開発チームは本店の一室に集まっていた。窓から差し込む春の陽光が、テーブルに広げられたレシピノートを照らしている。
アリアは新鮮なレモンの皮を軽くこすり、立ち上る爽やかな香りを確かめる。傍らでは、リリーが特別な魔法の粉を計量カップで慎重に測っていた。粉は月光のような淡い光を放ち、空気中でゆらめいている。
「支店のメインメニューは、やはり"物語のデザート"で行きましょう」
アリアが切り出す。テーブルには、篠原が選んだ様々な童話や小説が積まれていた。
「この本たち、それぞれに素敵な食べ物の描写があるんです」
篠原が眼鏡を直しながら説明する。
「例えば、この場面...」
彼女が開いたページには、魔法の森でのティーパーティーが描かれていた。月城がそっとページに触れると、本から淡い光が漏れ出す。
「不思議…」
高田が息を呑む。
「本の世界が、本当に目の前にあるみたい」
「これを使えば」
エリオが意見を出す。
「本の中の料理を、現実のデザートとして再現できるかもしれません」
試作が始まる。月城の特殊な魔法で本の情景を捉え、リリーの魔法でそれを形にし、エリオとアリアが実際の味と食感を作り上げていく。三村は経験豊かな視点で細かなアドバイスを送る。
最初の試作品は「眠れる森の木苺タルト」。タルト生地には、月城の魔法で捉えた森の静けさが封じ込められ、木苺のソースはリリーの魔法で夜露のような輝きを帯びていた。
「食べると、物語の中に入り込んだような…」
山崎が感動した様子で呟く。彼の不完全な魔法が、意外にも料理に独特の味わいを加えていた。
二つ目の試作は「人魚姫の真珠ムース」。真珠のように白く輝くムースの中には、波間の記憶が溶け込んでいる。スプーンを入れると、まるで海の歌が聞こえてくるような不思議な体験ができた。
「これは素敵!」
コウタが目を輝かせる。
「本好きのお客様が喜んでそうですね」
開発は午後まで続いた。成功と失敗を重ねながら、少しずつ支店らしいメニューが形になっていく。
「あ、このアイデアはどうでしょう」
月城が静かに提案する。
「お客様の思い出の本を持ってきていただいて、それをモチーフにしたオリジナルデザートを…」
その言葉に、全員が興味を示した。確かに、それぞれの大切な本の思い出を、魔法のデザートで表現できたら素敵だ。
「でも、それには高度な魔法の制御が必要ですね」
リリーが心配そうに言う。
「大丈夫」
アリアが優しく告げる。
「みんなで力を合わせれば、きっとできるはず」
午後の試作では、より挑戦的なメニューに取り組んでいった。テーブルには様々な材料が並び、それぞれが魔法の光を帯びて輝いている。
「不思議の国のアリスの"マッドハッターのお茶会"を再現してみましょう」
篠原が提案する。紅茶の香りが立ち込める中、月城とリリーの魔法が織りなす光が、カップの周りで踊り始めた。
完成したのは、飲むたびに味が変化する不思議な紅茶と、時計の文字盤のように美しく装飾されたケーキ。食べる人の想像力によって、味わいが変わっていくという趣向だ。
「これは面白いわ」
三村が感心したように頷く。
「でも、提供方法には工夫が必要ね。お客様に楽しみ方をしっかり説明しないと」
その言葉をきっかけに、メニューの説明方法についても話し合いが始まった。
「それぞれのデザートに、小さな物語カードを添えるのはどうでしょう」
高田が提案する。
「本の一節や、デザートにまつわる説明を書いて」
「それなら」
山崎が少し躊躇いながら話し始める。
「僕の魔法で、カードに動く挿絵を付けられるかもしれません」
試しに作ってみると、山崎の不完全な魔法が思いがけない効果を生んだ。挿絵は完璧ではないものの、どこか温かみのある動きを見せる。むしろその不完全さが、手作りの味わいとなっていた。
夕方近く、支店の基本メニューがようやく形になってきた。
「物語のデザートシリーズ」として:
- 眠れる森の木苺タルト
- 人魚姫の真珠ムース
- マッドハッターの不思議なお茶会セット
- 長靴をはいた猫のミルフィーユ
- お客様の思い出オーダーメイドデザート
そして通常メニューとして:
- 季節の魔法パフェ
- 本の森のケーキ各種
- 物語に出てくる伝統的なお菓子
「これなら、本店とは違う個性が出せそうですね」
コウタが満足げに言う。
「魔法と物語と美味しさが、うまく調和していると思います」
試食を重ねながら、最後の調整が行われていく。味の微調整、見た目の改良、そして何より大切な魔法の強さのバランス。
「支店では、本を読むスペースも作りますからね」
アリアが言う。
「デザートを楽しみながら、ゆっくり読書ができる空間に」
夜が近づき、開発の一日が終わろうとしていた。テーブルには試作品の数々が並び、それぞれが柔らかな魔法の光を放っている。
「明日は実際の厨房で試作してみましょう」
エリオが提案する。
「設備の使い勝手も確認しないと」
片付けを始めながら、月城が静かに言った。
「今日は、本当に楽しかったです。みんなの力が合わさって、新しい魔法が生まれていくのを感じました」
その言葉に、全員が共感を覚える。確かに今日は、単なるメニュー開発以上のものがあった。それは新しい物語の始まりのような、特別な一日だった。
「さあ、明日からが本番ね」
アリアが締めくくる。
「みんなで、素敵なカフェを作っていきましょう」
窓の外では、夕暮れが深まりつつあった。開発室に漂う甘い香りと魔法の余韻が、新しいメニューへの期待を一層高めている。
支店のオープンまで、あとわずか。物語と魔法が織りなす、新しい「夢見のカフェ」の世界が、今まさに始まろうとしていた。
(次回に続く)
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