第20話「予期せぬ来訪者と新たな光」

雪に閉ざされた冬の午後、カフェに差し込む日差しは、先ほどまでの緊張を優しく溶かしていくようだった。窓の外では積もった雪が太陽の光を受けて煌めき、溶け始めた雫が窓ガラスをゆっくりと伝い落ちている。その一滴一滴が、この特別な一日の時間を刻んでいるかのようだ。


アリアはカウンターを丁寧に拭きながら、朝からの出来事を振り返っていた。最初のお客様、ミナさんの感動的な反応。その後に訪れた様々なお客様の表情。一つのデザートが、これほど多くの思いを呼び起こすことに、彼女自身が驚きを覚えていた。


「不思議ね」

アリアの言葉は、静かな店内に柔らかく響いた。

「同じデザートなのに、一人一人に違う色が見えて、違う思い出が呼び覚まされる」


リリーは奥のテーブルで、使用した魔法の粉を丁寧に補充していた。水晶の小瓶に、月光を集めた粉を注ぎ足しながら、嬉しそうに答える。

「きっと、これがサイトウさんの言っていた"心に寄り添う"ということなのかもしれません。見てください、粉さえも一つ一つ違う輝きを持っているんです」


確かに、瓶の中の粉はそれぞれ微妙に異なる光を放っていた。まるで、お客様の数だけ色合いがあるかのように。


エリオはオーブンの温度を細かく確認しながら、今朝からの記録をつけていた。何度目のフォンダンで温度が安定するのか、生地の状態はどう変化するのか。職人らしい几帳面さで、全てを書き留めている。


「この温度管理が、フォンダンの命ですからね」

エリオが眼鏡を直しながら呟く。

「特に、マーマレードの溶け出すタイミングが重要で...」


ノアは窓際のテーブルで、お客様の反応を細かくノートに記していた。年齢層、表情の変化、光の色合い、そして語られた思い出の内容まで。それらの情報は、きっと次の改良に活かされるはずだ。


「面白いね」

ノアがノートを見返しながら言った。

「若い方は比較的明るい色が多くて、年配の方は落ち着いた色合いになる傾向があるみたいだ」


その時、カフェのドアが開く。冷たい外気が流れ込み、風鈴が澄んだ音を響かせた。


入ってきたのは、見たことのない少女だった。10歳くらいだろうか。薄い青のワンピースに白いカーディガンを羽織り、首に同じ色合いのマフラーを巻いている。大きな瞳で、おずおずと店内を見渡していた。


「あの...ここが、噂の『夢見のカフェ』ですか?」

小さいながらも、はっきりとした口調で少女が尋ねる。手には小さな手提げバッグを持ち、きつく握りしめているのが分かった。


「ええ、そうよ。いらっしゃい」

アリアが優しく声をかけると、少女は少し安心したように肩の力を抜いた。店内の温かな空気が、彼女の緊張を少しずつ解いていくようだった。


「祖母が...」

少女は言葉を探すように一瞬躊躇い、そして続けた。

「祖母が入院する前に、このカフェに来たいって言ってたんです。新しいデザートのことを新聞で読んで、とても楽しみにしていたみたいで...」


少女の声が少し震える。小さな手がバッグをより強く握りしめる。

「でも、具合が悪くなってしまって。急に入院することになって...だから、私が代わりに」


アリアたちは、思わず息を呑む。少女の瞳には、強い決意と切なさが混ざっていた。その眼差しは、年齢以上の深い愛情を感じさせるものだった。


「おばあさまは、どんなものが好きなの?」

アリアが優しく尋ねると、少女は少し考えてから答えた。

「甘いものが大好きなんです。特に、温かいデザート。寒い日に食べるのが好きって、いつも言ってました。私と一緒によく手作りのプリンを作って...」


言葉の最後が消え入るように小さくなる。四人は顔を見合わせ、小さく頷き合った。

「それなら...」


リリーが特別な魔法の杖を取り出し、エリオがオーブンの温度を調整し始める。ノアは最高級の材料を選び分け、アリアは少女にホットチョコレートを勧めた。


「少し待っていてね。おばあさまのための、特別なデザートを作るから」


少女をカウンター席に案内し、温かい飲み物を出す。彼女はおずおずとカップに手を伸ばし、一口飲むと小さく目を見開いた。


「美味しい...まるで、おばあちゃんが作ってくれたココアみたい」


その言葉に、アリアたちの決意はより強くなった。今まで以上に丁寧に、心を込めて準備が進められる。


エリオは生地を練り上げる時、いつも以上に力加減に気を配った。ノアは材料の配合を微調整し、よりなめらかな口当たりを目指す。リリーは魔法の強さを慎重に調整した。


フォンダンが焼き上がり、リリーの魔法がかけられた瞬間、驚くべきことが起こった。デザートから放たれた光が、今までに見たことのない温かな桃色に変化したのだ。まるで、夕焼けに染まった雲のような、優しい色合い。それは、祖母への愛情そのものが形になったかのようだった。


「これを、おばあさまのところへ持って行ってあげて」

アリアは特製の保温容器にフォンダンを丁寧に入れていく。容器は魔法で特別な細工が施されており、デザートの温かさと風味を長時間保つことができる。


「この中に、私たちの想いも込めさせてもらったわ」

アリアが説明を加える。

「温かいうちに食べられるように、特別な魔法をかけてあるの。それに...」


リリーが前に出て、魔法の杖を軽く振った。保温容器の周りに、小さな光の粒子が舞い始める。

「これは祝福の魔法です。おばあさまの具合が良くなりますように、という私たちの願いを込めました」


少女が容器を受け取る時、その小さな手が震えていた。目に涙が溢れそうになるのを、必死にこらえているのが分かった。


「本当に...ありがとうございます。おばあちゃん、きっと喜ぶと思います」

少女は深々と頭を下げ、大切そうに容器を抱きかかえた。


「待って」

エリオが声をかける。彼は厨房から小さな紙袋を持ってきていた。

「これは、フォンダンに添えるクッキー。僕たちからのささやかなプレゼントです」


少女が去った後、カフェには不思議な余韻が残った。窓から差し込む午後の光が、先ほどのフォンダンの桃色の輝きを思い起こさせる。


「あの光の色...」

リリーが魔法の杖を見つめながら呟く。

「まるで、愛情そのものが形になったみたいでした。私の魔法も、今までにない力を感じました」


「うん、生地も今までで一番しっとりとした焼き上がりだったね」

エリオが付け加える。


「きっと、あの子の純粋な想いが、私たちの技術や魔法を高めてくれたんだと思う」

ノアの言葉に、全員が深く頷く。


彼らが作り上げたデザートは、単なる料理以上のものになっていた。人々の想いを運び、心と心をつなぐ架け橋。そして時には、祈りや願いを形にする力も持っていたのだ。


夕暮れ時、再び雪が降り始めた。カフェの窓から見える街並みが、また白く染まっていく。街灯が一つ、また一つと灯り始め、その光が雪に反射して、幻想的な風景を作り出していた。


「ねぇ、みんな」

アリアが静かに切り出した。窓際に立ち、降り積もる雪を見つめながら。

「このフォンダン、もっと可能性があると思うの。もっと多くの人の心に、温かさを届けられるように...」


その提案に、全員が賛同の意を示す。確かに、今日一日で見えてきた新しい可能性があった。技術と魔法の融合は、まだまだ未知の領域を秘めているのかもしれない。


「私たちには、まだ見ぬ可能性がある」

ノアが言葉を添える。

「今日の経験は、それを教えてくれた気がする」


窓の外では雪が舞い続け、街は静かに夜の帳に包まれていく。カフェの中では、新たな夢が静かに育まれていた。明日はまた、誰かの大切な思い出に出会えるかもしれない。そんな期待を胸に、彼らは閉店の準備を始めた。


「夢見のカフェ」の物語は、また新しいページをめくろうとしていた。


(次回に続く)​​​​​​​​​​​​​​​​

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