第二話 少女ザクロ
少女の背後からぬらりと、梅干しのような顔をした女が出現した。
「ちょいと……あなた様は……この老婆を置いて一人でホイホイ進んでしまわれる……もう少し労わってくれねば……」
乱れた呼気で非難を漏らすその声音は嗄れていて、腰もひどく曲がっている。
くたびれた
特に目を引くのは顎に刻まれた古い刀傷。その傷が老年のシワと相まり、黒ずんだ魚の骨のように見えてくる。
わずかに、人が良さそうな柔和な印象を感じ取るも、少年は思わず背後の木陰に戻ってしまう。
帯刀しているのだ。腰に、打刀を携えている。
──もうちょっと、様子見ようかな。
少々情けないがしょうがない。先ほど、刃物を持った男たちに追いかけられたばかりだ。
もう少し会話を盗み聞いて、判断材料を集めても良い。
「
少女が忌々しげに聞くと、彩李と呼ばれた老婆が顎を撫で付けて微笑む。
「ザクロ様は一四歳。今年で一五の成人を迎えられますね」
額の汗を拭って、彩李がザクロと呼ぶ少女の背に、諭すように手を添えた。
そして、打刀を押し付けるように持たせるのだ。
「だからこそ、成人を迎える前に、この彩李めをどうか安心させてくださいませ」
「うぜぇっ、首の一つや二つ、何度も落としてきたんだ。今更だろうが!」
「ならば、無駄口を叩かず、さっさとお見せください。これは〈
老婆が叱責すると、少女はこの世のすべてが忌々しいとばかりにため息を吐く。
「あーあーッ、心地良く昼寝してたってのによう! 〈
少女が恨みがましく怒号を上げる最中、老婆が背後の岩陰から何かを引きずってくる。
「「ダッコ……シテヨ……」」
灰神と呼んだその存在に、木陰から覗き見る少年は息を呑む。
後ろ手に縛られ、力無く項垂れる二十代と思しき男性が一人。
肌は生気の欠片も感じさせないほどに青白く、着物には点々と吹き付けるような赤いシミが散っていた。
「「ダッコ、シテ、ダッコ、シテ、ホシカッタダケ、ナノニ」」
うわ言のように呟く奇妙な怨嗟は、男と女が同時に発声しているような気味の悪い二重の低声。
加えて、顔面の皮膚を突き破って色とりどりの花が群生しており、そこから甘い花の香りを放っていた。
そんな恐ろしく気味の悪い異形を前に、少女と老婆は平然と口論を繰り広げ続けている。
「
「ババアが野犬みてぇに睨むんじゃねえッ、愚痴の一つも受け流せないか!」
「往生際が悪いッ、さっさと花を摘みなさい! ほれ、せっかく弱らせていたのに──」
老婆が嘆くと同時だった。
周囲の木々が一人でに倒れ始めたのは。
隠れていた少年は腰を抜かす。木々がけたたましく音を立てはじめたと思った瞬間。
半身を隠していた広葉樹が突如として両断され、ささくれ一つない見事な年輪を晒した。
まるで巨大な刃物が凄まじい速度で過ぎ去った。そんな有様だった。
少年が隠れていた樹木だけでなく、少女と老婆の背後の木々も次から次へと綺麗に両断されてゆく。
そんな暴力的な超常現象が巻き起こる中、少女はまるで恐れていないかのように、うんざりした顔を浮かべていた。
「ちッ、厄介な
大きく舌を打ち、少女は帯に差した打刀を鞘ごと抜き取った。
すると、舞踊を舞うように鞘を大きく薙いで正面に掲げ、刀の柄をゆっくりと引いて抜刀した。
「
少女の口からつらつらと呪言が紡がれてゆく。
抜いた刀身を陽光に照らしながら、流麗な所作で白刃を大上段に掲げはじめた。
「
少女が一通り唱え終わると、後ろに控えた老婆が満足げに首肯した。
「では、一思いに」
促されて、少女は裂帛の気合をもって異形の首に白刃を振り下ろす。
「ラァッ!」
鋭く風を切る音と共に、赤黒く濁った鮮血が散る。
ごろりと、花に彩られた生首が即座に地面に落下した。
「「ダッコ……ガ……スキデ……」」
落ちた首は掠れた声音で呟くと、枯れた
そこかしこに巻き起こっていた倒木の嵐もピタリと止んで、森林は元の静寂に包まれた様相へと戻ってゆく。
それを見届けるや否や、老婆が喜悦の声を上げて生首に飛びついた。
「オホウッウホホッ、まことに綺麗な断面でございます。この彩李めが死した際は、ザクロ様に首を落としてもらいましょうかね」
首の断面をねっとりと眺めながら肩を揺らして笑う老婆を、少女はうんざり
「勘弁しろ。気が滅入る仕事を押し付けるな」
「いやぁ安心しましたぞ。母君、
どうやらこの上ない賛辞らしく、老婆は誇らしいとばかりに少女の頭を撫で付ける。
少女はその腕を煩わしそうに払って、ため息と共にぽつりと漏らした。
「なあ、ババァ。楽しいか? こんなイカれた村にいて、楽しいことあったか?」
聞かれると、老婆は少し考えるように顎に触れ、次には腕に抱えた生首に視線を落とす。
「楽しい楽しくないではありませんよ。花を持って生まれた者の宿命です」
「つまらん答えだ」
「つまらないなどと言われましても……あっ」
「楽しいことと言えば、村の者らが騒いでおりました。なんでも化け物が現れたと」
その言葉に、覗き見ていた少年は身体をビクリと跳ねさせ、両断された切り株よりも低く身を屈めた。
きっと自分のことだ。緊張の糸が再び張り詰め、心臓の拍動が内側から鼓膜を叩き始めた。
「化け物? 灰神じゃなくてか?」
「どうやら違うようで」
二人の会話に注意を向けながら少年は悩みに悩む。
勇気を出して名乗り出るか、気が付かれていない今の内に逃げ出すか。
ここが唯一、自分の現状を打破する好機かもしれない。
しかし、少女と老婆は帯刀している。今しがた異形の者の首を落としたのを見たばかりだ。
ただでさえ追われる身の上。更に状況を悪くしかねない。
木陰で少年が逡巡をめぐらす最中、岩の上では老婆が呆れたように肩を竦めていた。
「まあ、ただの早とちりでしょう。聞くと、人の言葉を『喋る大きな鼠』が現れたとか」
喋る大きな鼠。
そう老婆が口にした途端、少女は自身の白髪を掻き上げて双眸を爛々と輝かせた。
「おもしろそうだッ」
明るい声音を上げると。
少女はおもむろに右手の皮膚を白刃で切り裂いた。
突然の少女の奇行に、潜む少年は思わず半身を起こして瞠目する。
少女は着物を汚すのも構わずに、だらだらと紅が伝い落ちる腕を掲げ、慈しむように呟く。
「開け、
カチカチカチカチ
人の骨をかち合わせたような乾いた異音が断続的に鳴り響き、少女の喉が波打った。
すると、掲げた傷口から
血に濡れた赤黒い三匹の羽虫が、肉と皮膚を突き破って我先にと少女の腕から這い出てくる。
「喋る大きな鼠がいるらしい、手分けして探すぞ」
少女に告げられると、羽虫は身を一つ震わせて羽根を広げ、一目散に飛翔して辺りに散る。
その光景に少年が絶句していると、一匹の羽虫の軌道が、
「まずいッ」
少年の潜む地点と重なった。獰猛な羽音を立てて、少年目掛けて飛んでくる。
咄嗟に身を起こし、少年は素早く駆け出した。川を背にして森林の奥へ奥へと逃走する。
最早、それは本能だった。
スズメバチに追いかけられるならば、逃げる以外の選択肢がない。
「秘するも花、おもしろきも花だ。喋る鼠……友達になれたら、おもしろき花だ」
少女が溢した声に、少年は気がつくことはなかった。
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