第一章「ただの少女」
第1話「エロ漫画好きJK」
織物産業の中心地とも言われた群馬県桐生市。
その中心から、少し山の方へと進んでいくと県立の女子高である桐生第一女子高等学校がある。通称、桐女と呼ばれる市内唯一の女子高だ。
その校舎二階にある二年生の教室内は、朝のホームルーム前ということもあり、生徒たちの談笑で賑わっている中、読書に一人勤しむ少女、
少し空いた窓から吹き込む風にセミショートカットの黒髪が揺れていて、整った顔立ちとスラリとした体躯は、ただ座っているだけでも絵になるだろう。
それが、真剣な表情で本のページをめくっているのだから、その姿はさながら文学少女といった雰囲気だ。
澄ました様子で本へと目を落としていた美羽だったが、次の瞬間にだんだんと表情が崩れはじめる。
それは、年頃の少女が浮かべる可憐な笑顔などとは程遠く、下卑た中年のオヤジが色気のある女性に鼻の下を伸ばしている姿そのものであった。
「えへ……えへへ」
気色の悪い声が漏れ始めたあたりで、その頭上に加減のついた手刀が振り下ろされた。
「痛っ……」
振り返った美羽の背後にいたのは、金髪ロングに緑のカラコンという見るからにギャルといった様相の友人、
百合は困ったようにため息をこぼす。
「美羽、あんたは相変わらず学校でそんなもん読んで……」
美羽の持つ本をひょいと取り上げた百合は、ぺらぺらとページをめくると。
「今度もまた、痴女もの?」
眉をひそめる百合の一瞬の隙を突き美羽はさっと本を奪い返すと、頬をぷくりと膨らませてジトりと百合を見据えた。
「いいじゃん! 可愛いんだから! そう言う百合だって、昨夜は遅くまでお楽しみだったんじゃないんですか?」
百合はわざとらしく目をそっぽへ向けると、美羽の後ろの机に腰をかけた。
「美羽だって、一人くらい攻略したんでしょうに」
お楽しみと言うのは、発売されたばかりのゲームの話である。
何を隠そう重度のエロゲマニアの百合は三日前の発売初日に初回限定版を購入していた。
店舗予約もしている徹底ぶりだ。美羽もエロ漫画だけでなく、エロゲも守備範囲であるのだが……。
「……私、買ってないから」
「え、うそ!? 話題の作品だったのに、なんで?」
「私、車とか興味ないし」
話題となっている新作エロゲとは『萌える! 峠伝説!』という作品で、峠の走り屋である主人公が美少女走り屋とのレースに勝って情交に及ぶ、単純明快なゲームである。
「いやいや、確かに車が題材のエロゲだけどさ、大事なのは女の子のエロさでしょうに。美羽の好きそうなエッチ大好きな感じのキャラもいたよ?」
百合はスマホでゲームのキャラクターを調べると、半ば強引に美羽に見せつけた。
黒髪ロングの巨乳キャラが映っており、『運転がうまい人は、エッチのテクニックも上手いって言うじゃない?』などと、どこかで聞いたような古臭いセリフが踊っている。
「それなら、この漫画も負けてないもん」
読んでいる漫画のヒロインにご執心の美羽は、食い気味に漫画を広げて見せつけた。
「雨の日に透けた下着を見られたことを切っ掛けに、見られることに興奮を覚えていったJKが、次第に沼にはまっていってね!」
「わ、わかったわかった。わかったから落ち着けって」
早口になる美羽に気圧された百合だったが、何かを思い出したようにハッとすると。
「そうだ、美羽! 車の免許取りに行こうよ!」
「え? 何急に。大体、私たちまだ16歳じゃん。バイクの免許しか取れないよ?」
「違うよ、特殊限定免許だよ!」
「ああ、それか」
普通自動車免許特殊条件下限定仮免許。通称、特殊限定免許。
有効期限は三年で、中学校を卒業していれば15歳から取得可能。
運転するための条件は、運転経験五年以上の保護者が同伴するか、本拠地や学校を起点に10キロ圏内であって午前7時から夜10時の間であること。
以上の条件を満たしていれば、車の前後に特殊限定車標章を貼ることで普通自動車の運転が可能となる。
「百合、ごめん。私パス」
「え、なんでよ。特殊限定免許取っとけば、本免取るとき割引とか免除項目とかあって、安く楽にとれるからさぁー。興味なくても、損はしないから行こうよぉー」
手を合わせて必死に頼む百合に、美羽は困ったように頬をかく。
「私、実はとっちゃったんだよね」
「え?」
「特殊限定免許。去年、親に言われてさ」
「えーっ! なんで誘ってくれなかったのよぉ!」
百合は美羽の肩をつかんで詰め寄ると、非難の目を美羽に向ける。
「いや、百合は車に興味なかったじゃん」
「そうだけどもさー。今回のエロゲ、マジで面白くて、私も運転してみたくなったんだよ!」
「そんなことだろうと思ったよ」
「でも、どうしよう。一人で行くには勇気がなー」
肩から手を離した百合は頭を捻りつつ、免許取得をどうするかとブツブツ独り言をこぼしながら考え始めた。
それを横目にエロ漫画のページをめくろうとした美羽だったが。
「すいません。あなたが森先輩で、あってますか?」
凛とした声に顔を上げると、美羽の横に茶髪ポニーテールの小柄な少女が立っていた。
「えっと、どちらさま? 新入生かな?」
この女子高の制服は学年の識別がなく、紺地に同色ネクタイと白ラインが入ったものを一様に身にまとっている。
が、制服に着られている感満載の少女が一年生であることは疑いようもなかった。
「あの、あたし、
「……有名な人?」
そう返しつつも、美羽はどこかひっかかりを感じていた。
聞いたことがあるような気がする。けど、出てこない。
そんな、気持ち悪い感覚は魁利の次の一言で解消された。
「中学自動車競技大会で去年優勝しました」
「……へぇ」
美羽は一人納得しながらも、その肩書に少しばかりの不快感を覚えてしまっていた。
妹を破って優勝したのが、この娘なんだと知ったから。
美羽の不穏な空気を感じとった百合は、すかさず後ろから話に割り込んでくる。
「え、優勝したのになんでこの学校に来たの? うち、強豪でも何でもないどころか、弱小だよ? 確か。ねえ、美羽?」
「うん」
先ほどから急に、美羽の表情からやわらかさが消えていた。
百合はそれに気づいていたが、一切触れずに口を開く。
「で? 何の御用?」
「森先輩にお願いがあるんです」
「何かな?」
冷静を装っているつもりでも、美羽の口調は無意識に冷たくなっていた。
それがお願いだというのなら要件は何なのか、美羽は察しがついていた。
「自動車競技部に入ってもらえませんか?」
やっぱりだ。
「入って私にどうしてほしいの?」
「……公式戦に一緒に出場してほしいんです」
「お断りだよ」
「っ!」
あまりの即答に、魁利は勿論、百合も少々驚いて目を見張ってしまう。
魁利の表情は完全に引きつっていた。
のどに言葉がつっかえたように口を開いたままの魁利だったが、それでも諦めるつもりはないらしい。
「あたし、高校でも総合優勝を目指したくて……」
「じゃあ、転校したほうが良いね」
「っ! いや、そういうわけには……」
「あなたにはあなたの事情があるんだろうけど、こっちにもあるから。第一、こんな貧乏公立女子高で本当に勝てると思ってるの?」
「……それは」
魁利の瞳には迷いが見て取れた。
勝算がほとんどないと自分でわかっていながら、なぜ勧誘に来たのか。
そう思った時にはすでに、美羽の感情は口から出てしまっていた。
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