しあわせの味ver苺

「しあわせの味」ver苺


鹿原 苺(かはら いちご)

仁科 公寛(にしな きみひろ)


公寛N「ふんわり香る、いちごの香り」

苺「ひろくんはずーっと私のヒーローだよ」

公寛N「君が好きだと言ってくれたこの黒いカーテンがゆらゆら揺れる。」

苺「だから、いつか私を迎えにきてね」

公寛N「鼻の奥がツン、と熱くなる。誰にも言えない秘密の約束、止まった時間と戻らない秒針、ただただ籠城を続ける。それが僕の毎日だ」


苺(たいとるこーる)「しあわせの味」


______


公寛N「僕には2つ上の姉と1つ下の妹がいた。姉は昔から優秀で、跡取りは男の僕なんかより姉にすると父は随分前に決め込んでいたようだった。中学の頃には既に毎日が面倒で姉に対する劣等感に埋もれて、学校へは週に一度行けばいい方だった。」


公寛N「そんな頃、唯一毎日顔を合わせていたのが」


苺「ひーろーくーん」


公寛N「幼馴染の鹿原 苺だった。」


苺「今日も行かないの?」

公寛「行かない」

苺「今日、美術あるんだよー?」

公寛「興味ない」

苺「ひろくん、絵上手でしょ?」

公寛「上手じゃないから」

苺「うっそだー!小学校の頃、美術部でもないくせに入賞してたの知ってるんだからね!」

公寛「僕は銀だったんだ。姉さんは金賞だった。」

苺「…またそうやって。賞に変わりないでしょ?」

公寛「あるよ。順位なんだから」

苺「まーた窓閉め切っちゃって!真っ黒のカーテンかっこいいけどさ!あ、ほら!窓開けた方がヒラヒラして揺れてさ、こっちの方がかっこいいよ!」

公寛「勝手に開けるなよ。」

苺「換気換気!」

公寛「…」

苺「…ね、転校生、来たんだよ?」

公寛「…へー」

苺「あ、ちょっと興味湧いた?」

公寛「…」

苺「漫画のネタにはもってこいだもんね!突然現れた転校生!美少年かな?美少女かな?もしかして宇宙人だったりー?」

公寛「そんなありきたり今時ウケない」

苺「もう!ありきたりだからいいんだって!王道だからいいんだって!いつだって王道は正義なんだよー!ひろくん!王道は最高なんだよ!夢がある!そう、王道こそ揺るが」

公寛「分かったもういい」

苺「描いてよ!ひろくん!私がヒロインで、ひろくんがヒーロー!ね?王道ど真ん中の少年漫画!」

公寛「…」

苺「そしたら今日は私1人で行くからさ、学校。」

公寛「…」

苺「渋々諦めてやるからさ!」

公寛「…わかった描くよ」

苺「ふふ。よろしい!じゃあ鹿原苺は行ってきます!」

公寛「うん。」


公寛N「嵐のように去っていく。僕の幼馴染は可憐で破天荒で頭のいい、僕には勿体無い恋人だった。」


______


苺「ひーろーくん!」


公寛「描けたよ。」

苺「え!漫画?」

公寛「うん。トーンとか貼ってないから俗に言うネームというか下書きというか…雑だけど…」

苺「読んでいい?」

公寛「うん、だって苺が読みたいっていうから描いたんだしそりゃ読んでもらわなきゃ困るっていうか…」

苺「わー!ひろくんの絵大好きだからとっても嬉しい!ありがとう!」


公寛N「そうやって、初めて描いた僕の漫画はやがて僕の夢になった。描くと苺が喜んでくれたから。学校にも行かずひたすら少年漫画を読み漁り勉強し、卒業証書を親が取りに行った頃、僕は資生社に原稿を送った。」


苺「ひろくん。」


公寛「苺。来てたんだ。」

苺「うん。卒業おめでとう」

公寛「…卒業、できるわけないだろ。普通」

苺「できたじゃん」

公寛「仁科だからだよ。」

苺「大学生だよ。私。4月から」

公寛「…うん」

苺「いつ受験勉強してたんだーとか聞かないの?」

公寛「クマできてたから。知ってる」

苺「え!」

公寛「合格、おめでとう。」

苺「ありがとう。」

公寛「…」

苺「ひろくん、あの」

公寛「あのさ。また新しいの、描いたんだ」

苺「え、そうなの?」

公寛「それで、上手く描けたから出してみた」

苺「ん?」

公寛「し、資生社」

苺「え?!」

公寛「新人賞、取れるわけない、けど」

苺「すごい!すごいよ!ひろくん!」

公寛「いや、出しただけ、出しただけだから」

苺「ううん!それでも、それでもすごいんだよ!」

公寛「いや、だから、大袈裟…苺?…な、泣いてん、の?」

苺「すごいよ…ひろくん」


公寛N「大粒の涙をこれでもかと流す苺。久しぶりに外に出ただけでこんなに喜んでくれる、僕の拙い漫画を相手にされるわけがない出版社に出しただけでこんなに喜んでくれる、彼女がとても愛おしかった。」


______


苺「ひろくん?」


公寛「…またダメだった。」

苺「ダメなんかじゃないよ。ここに、ほら。名前あるじゃん。すごい事なんだよ!」

公寛「ここに載らなきゃダメなんだよ。」

苺「…なんで?」

公寛「1番じゃなきゃ、ダメなんだよ。」

苺「お母さん、褒めてくれなかったの?お父さん、喜んでたでしょ?」

公寛「喜ばないよ。父さんも母さんも、僕のことは興味ない」

苺「ひろくん、佳作だってね。立派な賞なんだよ。初めて出した漫画がこうやって誰かに評価されて、すごいねって褒められて。素晴らしいことなんだよ。ねえ、ひろくん。」

公寛「…」

苺「あのね。私、夢ができたの。いつか、ひろくんの天才アシスタントになりたいから私も描く。描けるようになる。ひろくんのヒロインになるの。そしたら、なんでも2人でできるでしょ。トーンもベタ塗りも背景も全部私、完璧になるよ。ね?楽しみでしょ」

公寛「苺…」

苺「だから、一緒に約束しよ」


公寛N「絡めた小指」

苺「私がひろくんのヒロインになるから。」

公寛N「ふんわり香る、いちごの香り」

苺「ひろくんはずーっと私のヒーローだよ」

公寛N「君が好きだと言ってくれたこの黒いカーテンがゆらゆら揺れる。」

苺「だから、いつか私を迎えにきてね」


公寛N「鼻の奥がツン、と熱くなる。誰にも言えない秘密の約束、止まった時間と戻らない秒針、ただただ籠城を続ける。それが僕の毎日だ」


公寛N「彼女は、瞬く間に売れた。」


______


苺「こんにちは。苺です。え、あ、…会いたく、ない。えっと、何で…あ、ごめんなさい。あ、ありがとう、ございます。賞、はい。見てくださったんですね。…ええ。…また、来ます。はい。」


______


苺「こんばんは。苺です。ご無沙汰してます。公寛くんは…。あ、はい。…そ、うですか。いえ。大丈夫です。ありがとうございます。最近は少し忙しくてなかなか。あ、ええ。連載、はい。妹さんも小説を?そうなんですか。はい。あー、そろそろ。出直します。はい。ではまた。」


______


苺「ごめんください。鹿原です。…はい。…そうですか。いえ、ではまた。…いいえ。あ、これ、よろしければおばさま達で召し上がって下さい。はい。では、失礼します。」


______


公寛N「僕は彼女から逃げ続けた。籠城を続けた。迎えにも行かなかった。会話もしなかった。別れもしなかった。」


公寛N「そうして、僕自身の年齢もパッと言えなくなってきた頃、トイレから戻ると自室の閉めたはずの扉が開いていた。」


公寛N「中にいたのは、見違えた少女漫画家の“鹿原いちご”だった」


苺「久しぶり。元気だった?」

公寛「な、んで」

苺「おばさんに言って入れてもらったの。不法侵入じゃないよ。」

公寛「…」

苺「口説き落とすの大変だった。何年もかかったよ。やっぱり一人息子は可愛いんだ。興味なんかないって言ってたけどそんなことない。可愛いんだよ大切なんだよ。よかったね。間違いが正せたね。」

公寛「出てけよ」

苺「久しぶりに会った彼女にそれはないんじゃない?」

公寛「まだ恋人だと思ってんのかよ」

苺「別れてないんだもん。別れてくれてないんだもん仕方ないじゃない。」

公寛「じゃあ今、今別れてやるよ。終わり、終わりだから。だから出てけよ」

苺「はは」

公寛「出てけって!」

苺「あはははは」


公寛N「屈託なく笑う彼女が好きだった。笑うと目がなくなる彼女が好きだった。こんな笑い方をする女を僕は知らない」


苺「可哀想。可哀想だよ、可哀想。可哀想でとっても可愛い。好きになっちゃう。嘘。嘘だよ。だってまだ好きだもん。」

公寛「何言って、」

苺「はは、…。ひろくんは鹿原いちごがひろくんより有名になってくのが耐えられないんだもんね。どんどん、どんどんたかーいお城に登っていくのが見てらんないんだもんね。でもね、お姫様を迎えにいくのが王子様なんだよヒーローなんだよひろくん。お姫様がどんな悪役だって、悪役になったって、ヴィランに堕ちたって…迎えにきてよ。…待ってたのに。…待ってるのに。酷いよ。…酷いよ。ね、ひろくん。」

公寛「ぁ、」

苺「私、今年何歳だと思う?あれから何年経ったと思う?ひろくんがここに閉じ籠ってから何年経ったと思う?分かんないか。分かんないよね。だってここはなーんにも変わんない。そこのカレンダーもなーんにも変わってない。ここはひろくんを守ってくれる、大事に大事に守ってくれる鉄壁のお城だもんねー。ひろくんのお父さんもお母さんもなーんにも変わらない。羨ましいなー。」

公寛「羨まし」

苺「私達、今年で35!ねえ、35歳!分かる?私あなたを待って何年経ったと思う?計算してみて?」

公寛「っ、」

苺「私、結婚して子ども産んでひろくんと一緒に庭でピクニックシート広げてって夢だったの。覚えてる?昔話した。ね。でも、もうできなくなっちゃったー。私子どもは難しいでしょうって。言われちゃった。病院で。…はは。」

公寛「ごめん」

苺「ごめん、って…何?…ごめんって。ごめんって、さ。何?それ。ごめんって。謝って欲しいわけじゃない。謝って済む話じゃないし。…済まないし。戻んないし。時間巻き戻らないし。戻せないし。」

公寛「…」

苺「…いつまでここに閉じ籠ってるの?」


苺「いつになったら現実、見るの?」


苺「ひろくん。いい加減、籠城やめたら?」

公寛「…」

苺「あなたはもう、私のヒーローなんかじゃない。夢を語る資格なんかない。だって夢に生きてないでしょう。夢を語っていいのはね、夢を叶えようと死に物狂いで食らいついてる人だけなの。夢をお金に換えようと必死に生きてる人だけなの。夢に命賭けてる人だけなの。夢なんて泡(あぶく)、必死にならなきゃすぐ消えちゃうの。何年も籠城してるようなあなたに私達作家の苦労なんて分かりっこない。」

公寛「っ、」

苺「楽して描いてると思ってる?楽しくて描いてると思ってる?違うよ?必死なんだよ。手にタコ作ってネタ考えて毎日締め切りにネームに必死に生きてる頑張ってるの。あなたが迎えにくるその日まで生きていられるようにって!ヒロインになるためにって!約束したからって私は必死に描いてきた!」

公寛「…」

苺「…でもあなたは違った。ひろくんは違ったね。私が有名になるのは違ったんだね。私は一生馬鹿なままが良かったんだ。馬鹿な鹿原苺が良かったんだ。現代文の点数が低い、絵の下手な鹿原苺が良かったんだ。ごめんね。絵が上手くなって。売れちゃってごめん。ひろくんの思い通りになれなくて、都合のいい女になれなくてごめん。いいお人形さんじゃなくてごめんね。」

公寛「苺、」

苺「ひろくん。」

公寛「…」

苺「私、しあわせだった。しあわせだった。いつか、いつか迎えにきてくれるその日を待つの、待ってるの、しあわせだった。ひろくんが大好きだったから。ひろくんが大好きだったから。」

公寛「苺、」

苺「ね。ひろくん。しあわせってどんな味がすると思う?」

公寛「…分からない」

苺「鉄の味がするのよ。下唇を噛んだ、血の味。」

公寛「…ごめん」

苺「…さよなら、だね。」

公寛「…」

苺「私、もう描かないの。」

公寛「…え」

苺「連載分はもう描き終わってる。出版社にももう渡してある。漫画家、鹿原いちごは終わりなの。」

公寛「何で」

苺「鹿原苺が終わるからだよ」

公寛「何」

苺「ひろくん。あなたはもう、私のヒーローなんかじゃない。こんなお城から出て、現実世界で生きなきゃダメ。世の中にはもっと、もーっとたくさん可愛いヒロインがいるんだから。」

公寛「苺…?」

苺「まだ、やり直せるよ。大丈夫。きっと、大丈夫。現実は痛くて、苦しくて、ずーっと大変だけど。あなたは本当に最低だけど。私、あなただから好き。あなただから、あなたがあなただったから好きなの。」

公寛「…死なない、よな」

苺「…もし死んだら、呪ってやるから。」

公寛「待って」

苺「じゃあね。」

公寛「待って、苺」


苺「おばさま、ありがとうございました。お邪魔しました。」


公寛N「彼女は、5ヶ月後に進行性の病気で亡くなった。」


______


公寛N「高台に並ぶ石の群れ。磨き上げられた墓石、添えられた白いカーネーション。」


公寛N「大きな苺を一粒だけ。」


公寛「しあわせの味がした。」

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しあわせの味 有理 @lily000

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