14代 第一次大隈重信内閣
14代 第一次大隈重信内閣 (2558(明治31・1898)年8月17日~2558(明治31・1898)年11月8日)
▽来歴・概要
元佐賀藩士。参議大蔵卿、子爵。憲政党員。
陸海軍大臣以外を憲政党員から採用するという史上初めての政党内閣となった大隈内閣であったが、初手から躓いた。当時は、各省の次官・局長といった行政府の高官を試験任用者からの昇格によって任命する「キャリア官僚」制度が制定されておらず、自由に任用されるものとされていた。これにより憲政党員が各省の次官・局長に就任したが、行政実務の経験のない管理職が生まれたことで行政機能が麻痺した。中央行政だけではなく、地方行政においても府県知事に地方の有力者であった憲政党員が就任するなどしたため、行政実務に混乱をもたらした結果となった。
大隈内閣退陣の原因となったのは共和演説事件である。文部大臣に就任した尾崎行雄が9月5日、帝国教育会にて行った演説が問題となった。演説の原稿は存在しておらず、速記録や各新聞報道でも微妙に差異があるため正確な内容は不明であるが、尾崎は、日本社会の拝金主義的な風潮を批判し、「日本が共和制となった場合には三井、三菱が大統領の候補者となる」という趣旨の発言を行ったとされる。
仮定であったとしても、日本が共和制になると仮定したことが問題発言であるされ、元老集団や国民協会に近い新聞社が一斉に尾崎批判を行った。また、憲政党内でも旧自由党系の議員からも尾崎は批判された。憲政党は、榎本による衆議院解散に対抗して合同したに過ぎず、結党当初から党内対立が存在していた。そのため、選挙後には対立が徐々に表面化していたが、この尾崎演説を巡る対応が党内抗争の引き金を引いたのである。旧進歩党系であった尾崎を擁護する大隈首相と尾崎を非難して辞職に追い込もうとする旧自由党系の対立は徐々に激しさを増していった。
それでも辞任しない尾崎とそれを擁護する大隈首相をはじめとする旧進歩党系に対して、旧自由党系は10月半ばには彼らと断絶することを決定した。10月21日、板垣内務大臣は単独で参内し、尾崎を弾劾上奏を行った。板垣の弾劾に対して、大隈は始めは撤回を求めていたが、自由党系の勢いに抗しきれず、尾崎への辞職の説得に舵を切った、26日、尾崎は辞職したが、その後継に対して、大隈は閣議に諮ることなく単独で後任の文部大臣に進歩党系の犬養毅を推薦する上奏を行った。国務大臣の推薦は首相が行うものではあるが、そのプロセスは政治情勢により変化する。大隈が独断で後任の上奏を行ったことに対して、板垣は参内し、犬養への文部大臣就任反対の意見を上奏した。
10月29日、旧自由党系は憲政党の一方的解党を宣言し、再度旧自由党系のみで「憲政党」の再結党を宣言した。同日、板垣をはじめとした旧自由党系閣僚は一斉に辞職した。これにより、国民協会と憲政党を足した数が過半数を超え、少数与党となった大隈内閣は辞意を固めた。
▽在任中の主な出来事
・共和演説事件
・
▽内閣の出した主な法令
・
・
▽内閣の対応した帝國議会
なし
▽内閣閣僚
内閣総理大臣
14 大隈重信(おおくま しげのぶ)
就任:2558(明治31・1898)年 8月17日(新任)
退任:2558(明治31・1898)年11月 8日(内閣総辞職)
生年:2498(1838)年3月11日(天保9年2月16日)、60歳
出生:肥前国佐賀郡佐賀城下会所小路(佐賀県佐賀市水ヶ江町)
学歴:佐賀藩校弘道館
官職:
会派:憲政党(旧進歩党系)
回数:
前職:佐賀藩士/太政官治部省出仕、幕府外務局出向、大蔵局転任、大蔵奉行、大蔵次官
大蔵大臣、外務大臣
特記:子爵
外務大臣兼任
外務大臣
15 大隈重信(おおくま しげのぶ)
就任:2558(明治31・1898)年 8月17日(新任)
退任:2558(明治31・1898)年11月 8日(内閣総辞職)
生年:2498(1838)年3月11日(天保9年2月16日)、60歳
出生:肥前国佐賀郡佐賀城下会所小路(佐賀県佐賀市水ヶ江町)
学歴:佐賀藩校弘道館
官職:
会派:憲政党(旧進歩党系)
回数:
前職:佐賀藩士/太政官治部省出仕、幕府外務局出向、大蔵局転任、大蔵奉行、大蔵次官
大蔵大臣、外務大臣
特記:子爵
内閣総理大臣兼任
内務大臣
19 板垣退助(いたがき たいすけ)
就任:2558(明治31・1898)年 8月17日(新任)
退任:2558(明治31・1898)年11月 8日(内閣総辞職)
生年:2497(1837)年5月20日(天保8年4月16日)、61歳
出生:土佐国土佐郡高知城下中島町(高知県高知市本町)
学歴:
官職:
会派:憲政党(旧自由党系)
回数:
前職:土佐藩士/自由党総理
特記:子爵
大蔵大臣
14 松田正久(まつだ まさひさ)
就任:2558(明治31・1898)年 8月17日(新任)
退任:2558(明治31・1898)年11月 8日(内閣総辞職)
生年:2505(1845)年5月17日(弘化2年4月12日)、58歳
出生:肥前国小城郡牛津(佐賀県小城市)
学歴:昌平坂学問所
官職:衆議院議員(佐賀県第2区)
会派:憲政党(旧自由党系)
回数:3回(1期、6期、7期)
前職:小城藩士/幕府陸軍局
長崎県会議員、同会議長、司法省出仕
特記:小城藩士横尾只七の次男
陸軍大臣
8 桂太郎(かつら たろう)
就任:2558(明治31・1898)年 8月17日(留任)
退任:2558(明治31・1898)年11月 8日(内閣総辞職)
生年:2508(1848)年1月4日(弘化4年11月28日)、50歳
出生:長門国阿武郡萩町(山口県萩市)
学歴:ドイツ留学
官職:陸軍中将
会派:
回数:
前職:長州藩士/陸軍次官、第三師団長、台湾総督
特記:
海軍大臣
7 西郷従道(さいごう じゅうどう/つぐみち)
就任:2558(明治31・1898)年 8月17日(留任)
退任:2558(明治31・1898)年11月 8日(内閣総辞職)
生年:2503(1843)年6月1日(天保14年5月4日)、53歳
出生:薩摩国鹿児島郡加治屋町(鹿児島県鹿児島市加治屋町)
学歴:
官職:海軍大将→元帥海軍大将
会派:
回数:
前職:薩摩藩士/江戸幕府陸軍局出仕、歩兵奉行、開拓使転出、内務省工部大学校校長、陸軍参謀本部高級部員、陸軍参謀次長、陸軍次官
特記:男爵
留任
日清戦争の功により子爵陞爵
国民協会会頭
司法大臣
12 大東義徹(おおひがし ぎてつ/よしあきら/よしてつ)
就任:2558(明治31・1898)年 8月17日(新任)
退任:2558(明治31・1898)年11月 8日(内閣総辞職)
生年:2502(1842)年8月20日(天保13年7月15日)、55歳
出生:近江国彦根(滋賀県彦根市)
学歴:
官職:衆議院議員(滋賀県第3区)
会派:憲政党(旧進歩党系)
回数:7回(1期~7期)
前職:彦根藩士/司法局出仕、司法省判事
特記:初入閣
文部大臣
13 尾崎行雄(おざき ゆきお)
就任:2558(明治31・1898)年 8月17日(新任)
退任:2558(明治31・1898)年10月27日(共和演説事件の引責辞任)
生年:2518(1858)年12月24日(安政5年11月20日)、39歳
出生:相模国津久井県又野村(神奈川県相模原市緑区又野)
学歴:慶應義塾(現・慶應義塾大学)中退、工学寮(現・東京帝國大学)中退
官職:衆議院議員(三重県第5区)
会派:憲政党(旧進歩党系)
回数:7回(1期~7期)
前職:東京府会議員
特記:初入閣
14 犬養毅(いぬかい つよし)
就任:2558(明治31・1898)年10月27日(新任)
退任:2558(明治31・1898)年11月 8日(内閣総辞職)
生年:2515(1855)年6月20日(安政2年4月20日)、43歳
出生:備中国賀陽郡川入村(岡山県岡山市北区)
学歴:慶應義塾(現・慶應義塾大学)中退
官職:衆議院議員(岡山県第3区)
会派:憲政党(旧進歩党系)
回数:7回(1期~7期)
前職:郵便報知新聞社記者
特記:初入閣
農商務大臣
13 奥平昌邁(おくだいら まさゆき)
就任:2558(明治31・1898)年 8月17日(新任)
退任:2558(明治31・1898)年11月 8日(内閣総辞職)
生年:2517(1855)年5月16日(安政2年4月1日)、43歳
出生:
学歴:慶應義塾、米国留学
官職:従五位下・美作守
貴族院議員・華族議員(伯爵)
会派:憲政党(旧進歩党系)
回数:1回(2期)
前職:東京府会議員、東京府芝区長、内閣書記官長
特記:伊予国宇和島藩第8代藩主・伊達宗城の四男。 豊前国中津藩第8代藩主奥平昌服の養子。
伯爵。
初入閣
逓信大臣
8 林有造(はやし ゆうぞう)
就任:2558(明治31・1898)年 8月17日(新任)
退任:2558(明治31・1898)年11月 8日(内閣総辞職)
生年:2502(1842)年9月21日(天保13年8月17日)、55歳
出生:土佐国宿毛(高知県宿毛市)
学歴:
官職:
会派:憲政党(旧自由党系)
回数:衆議院議員6回当選(1期~6期)
前職:高知県令
特記:初入閣
内閣書記官長
15 武富時敏(たけとみ ときとし)
就任:2558(明治31・1898)年 8月17日(新任)
退任:2558(明治31・1898)年11月 8日(内閣総辞職)
生年:2516(1856)年1月16日(安政2年12月9日)、32歳
出生:肥前国佐賀(佐賀県)
学歴:大学南校
官職:衆議院議員(佐賀県第1区)
会派:憲政党(旧進歩党系)
回数:6回(1期、3期~7期)
前職:「肥前日報」社長/佐賀県会議員、同副議長、同議長
農商務省商工局長、同省商務局長、大蔵省勅任参事官
特記:
法制局長官
8 梅謙次郎(うめ けんじろう)
就任:2554(明治27・1894)年 4月 1日(新任)
退任:2558(明治31・1898)年 8月81日(依願免本官)
生年:2520(1860)年7月24日(万延元年6月7日)、33歳
出生:出雲国意宇郡松江灘町(現・島根県松江市)
学歴:東京外国語学校仏語科首席卒業、司法省法学校首席卒業、仏リヨン大学法学博士課程首席卒業
官職:
前職:帝国大学法科大学教授、民法商法施行取調委員、法典調査会民法起草委員、東京帝国大学法科大学長
特記:
9 神鞭知常(こうむち ともつね)
就任:2558(明治31・1898)年 8月81日(新任)
退任:2558(明治31・1898)年11月 8日(依願免本官)
生年:2508(1848)年9月1日(嘉永元年8月4日)、50歳
出生:丹後国与謝野郡石川村(京都府与謝野町石川)
学歴:
官職:衆議院議員(京都府第6区)
会派:憲政党(旧進歩党系)
回数:7回(1期~7期)
前職:幕府大蔵局出仕、内務局、内務省、農商務省勤務、大蔵省主税局次長
特記:宮津藩出身
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