11代 第二次伊藤博文内閣

11代 第二次伊藤博文内閣 (2554(明治27・1894)年4月1日~2556(明治29・1896)年9月18日)

▽来歴・概要

 元長州藩士。枢密院議長。男爵。日清戦争の功績により子爵へ陞爵。

 第五議会はこれまでの与野党構造を一変させた。政府の与党として組織され、政府に協力する姿勢を見せていた国民協会が条約改正問題においては、積極的野党として政府反対の立場に立った。国民協会の議員は、江戸幕府が締結した安政条約によって居留地に押し込めていた外国人たちが内地に入ってくるということに対して忌避感を持っていた。そして、それは感情的な問題だけにとどまらない。改進党の議員の後援者のなかには、居留地に押し込めた方が外国人との貿易で主導権を握ることができるという思惑を持つものがいた。すなわち、内地への旅行すら制限させていたがために、外国人の商人は直接売り手と交渉することができず、仲買人を通すしかなかったために、貿易品の価格の高値が維持されたという見方である。

 このような情勢下で、自由党はこれら硬六派の動きに加わらずに政府との提携を模索した。だが、野党としてこれまで活動をしてきた経緯からすり寄るような態度は有権者の離反を招くという観点から「和協の詔勅」によって示された行政整理に協力するという姿勢から政府に対して是々非々の立場を貫くという大方針が決定された。それと同時に自由党執行部は、条約改正問題が存在する以上は政府側は野党側に一層の譲歩を見せるしかないという見通しを立てており、自由党の掲げる「民力休養・政費節減」を達成していくチャンスであるともとらえていた。

 第3回の衆議院総選挙において、国民協会は34議席減の35議席とその議席を大きく減らし、自由党は44議席増の120議席と勢力を大きく増やした。しかし、改進党も18議席増の60議席を獲得し、議会第二党の地位を維持した。「与党」勢力は後退したが、条約改正問題では自由党が政府を支持しているため、与党勢力は数を増やすという状態で第六議会は5月15日にスタートしたが、開会冒頭から硬六派が現行条約励行の上奏案を、自由党が行政整理と条約改正断行の上奏案をそれぞれが提出し、硬六派が自由党の案を、自由党が硬六派の案をそれぞれ攻撃し、衆議院の特別委員会は大荒れになった。

 奇妙なことに、特別委員会において自由党の上奏案の修正提案が硬六派の修正提案と差し替えられ、硬六派の主張に沿った自由党の上奏案が委員会で可決。自由党の幹部にとっては寝耳に水の状態となり、伊藤首相の秘書官へ釈明の協議を行っているさなか、31日本会議へと上程され可決成立した。すぐさま自由党は上奏案そのものではなく、参内上奏日程の延期についての特別審議を議案として提出した。しかし、イギリスとの条約改正交渉が大詰めを迎えていた伊藤内閣はこの事態を重く受け止め、6月2日衆議院解散を断行した。

 衆議院解散を政府の横暴と強く非難する声が貴族院でも上がり始めたが、9月1日の投票日までの3ヶ月余りの間に事態は大きく転換した。内地開放と領事裁判権の撤廃を織り込んだ、日英通商航海条約交渉は6月27日に合意に達し、7月16日に駐英日本公使青木周蔵と英外相キンバーリーによって調印された。条約改正に対して賛否が国内で吹き荒れる中、25日に朝鮮半島問題を巡って対清宣戦布告が行われ、日清戦争が勃発した。

 日清開戦により、自由党も硬六派もこれまでの政府批判を含めた選挙戦を一斉に転換し、政府支持の演説に置き換えた。この結果、選挙の争点は曖昧なものとなり、選挙戦への政党支援組織の結束も弛んだことから無所属候補の大量当選に繋がった。

 明治新国家始まって以来の対外戦争ということで挙国一致が叫ばれた。対立していた議会は言うに及ばず、政府と軍の協調、また国家と民間においても戦争に協力することが求められた。帝國憲法は天皇は大日本帝国の統治者であると同時に統治権の総攬者であるとする規定を置いている。すべての統治行為を天皇が掌握しつつ、自己の権限を分割して、分立させた諸機関に行使させるという体制がとられている。統治権を掌握はしても、専断するものではないとするのが帝國憲法の規定である。対外戦争と言う一大事業を前にして、これまで通りの権力分立の政治体制で難局を乗り切れるかと考えた伊藤内閣は、他の国家機関を巻き込んで、戦争遂行に必要な体制をつくることを提案した。それが、征夷大将軍職の復活である。

 戦争遂行の期間限定で天皇の国家統治の大権を一部委任するという形で極力な権力者を作り上げた。首相は、天皇の統治権を輔弼・補佐するものであるというのが建前であり、あくまでも実行者は天皇である。これに対して、征夷大将軍は自己の権限として統治権を行使する。斯くして、28年ぶりに征夷大将軍職が復活し、貴族院議員公爵徳川慶喜に将軍宣下の勅使が下向した。慶喜は首相官邸に入り、形式として伊藤首相・大本営・帝國議会を旗下に置きながら、実質としては伊藤博文に全権を委任し、戦争遂行に邁進した。

 日本陸軍は、8月から朝鮮半島の北上進撃を開始した。各地で清国陸軍を撃破しつつ9月中に朝鮮半島を制圧した。その後は鴨緑江を越え、翌明治28年3月上旬までに遼東半島をほぼ占領した。日本海軍は、前年9月の黄海の艦隊決戦に勝利して陸軍北上のための海上補給路を確保していた。11月に陸軍が遼東半島の旅順港を占領し、翌年2月には陸海共同で山東半島の威海衛を攻略して日本軍は黄海と渤海の制海権を掌握した。

 直隷決戦の準備が進む中、清国の首都北京と天津一帯は丸裸同然となり、ここで清国側は戦意を失った。明治28年3月20日から日清両国の間で講和交渉が始まり、4月17日に講和が成立した。

 日清講和条約の中で、日本は李氏朝鮮の独立を清国に認めさせた。また台湾、澎湖諸島、遼東半島を割譲させ、賠償金として2億両(2両=銀37g)が支払われた他、日本に対する最恵国待遇も承認させた。講和直後の23日に露仏独三国の外交要求が出された事で、日本は止む無く遼東半島を手放した。5月下旬に日本軍は領有権を得た台湾に上陸し、11月下旬までに全土の平定を終えた後に行政機構を敷いた。台湾の軍政が民政へと移行された明治29年4月1日に大本営が解散し、同時に德川慶喜、大政奉還を行った。戦争に勝利した日本はアジアの近代国家と認められて国際的地位が向上し、取り分けイギリスとの協調関係を築けるようになった。

 日清戦争の勃発と陸海軍の勝利は伊藤内閣の政権運営に大きな安定を与えた。明治27年12月から翌年3月まで東京で開かれた第8議会においても明治28年度予算案と臨時軍事費の審議はスムーズに進んだ。しかし、三国干渉、続く10月8日の乙未事変と明治29年2月11日の露館播遷によってロマノフ朝ロシア帝国が朝鮮に進出していき、日本の朝鮮半島への影響力は低下していった。対外硬派を中心とする野党勢力にとってこの動きを止められない政府への不満は日に日に高まり、戦時中の政府と民党の協調関係は次第に崩れていった。

 伊藤は腹心の陸奥外相と伊東巳代治内閣書記官長を通して自由党の提携に乗り出す。6月15日、対外硬勢力の政友有志会は軍備拡張・還遼問題・朝鮮問題を中心に据えて運動方針を策定したが、自由党はこれらの動きと一線を画することを宣言した。7月17日には政府の対外政策への支持を代議士会で表明し、11月22日には政府と自由党との間で提携宣言書が手交されるに至った。

 自由党との連携によって、続く第9議会(同年12月28日開院、翌29年3月28日閉会)では政府の議会運営は自由党の協力を得て円滑に進み、陸海軍の更なる拡張や増税など大幅に拡充した予算案が少ない削減だけで済み通過、航海奨励法・造船奨励法・民法・日本勧業銀行法など重要な法案も次々と成立した。一方の対外硬派は団結をすすめ、明治29年3月1日、改進党を中心に進歩党(大隈重信党首、91議席)を結成した(国民協会は参加せず)。

 4月14日には自由党の板垣総裁が内務大臣として入閣、星元議長が駐米大使となり、その他内務省ポストに自由党選出の代議士が就任するなど、自由党の与党化が進んだ。更なる政権の安定のため、伊藤は大隈党首の外相就任による進歩党の与党化も図ったが、これには板垣が反発したため実現しなかった。政府内部でも、伊藤の「政党内閣」化への動きを時期尚早と思う勢力が存在し、反発を強めていた。伊藤はこれ以上の政権維持は困難であるとみて8月31日に辞職の決意を固めた。元勲は後継首班の選定に動いた。

 元勲の展望としては、対外硬派の鎮静を目的として、政権運営に参加させることで、日本の実情を感知させることに合った。彼らは、まだまだ日本の国力は列強に及ばないため、下手に列強を刺激するようなことは避けるべきと考えていた。既に自由党の政党人は、政府に参画して国力の実情について理解している。そこで次は進歩党の側を取り込むべきと考え、枢密院議長の大久保に後継首班の話が行った。大久保は、次期蔵相に据えて金本位制確立を主導させたいと考えている松方正義が財閥の三菱と近い関係にあり、三菱は進歩党に近い関係にあるので、私が首班に座ると政党の色が濃くなりすぎると辞退した。そこで、貴族院に基盤を持つ小栗に大命が降下した。9月18日に小栗が首相復帰、進歩党を与党に迎えて第3次小栗内閣が成立した。

▽在任中の主な出来事

・日英通商航海条約締結(領事裁判権撤廃、内地雑居)

・日清戦争

・日清講和条約(下関条約)

・三国干渉

・進歩党結成

▽内閣の出した主な法令

・学校令(師範学校令・小学校令・中学校令・帝国大学令)

・民法第一編第二編第三編(総則、物権、債権)

▽内閣の対応した帝國議会

第6回帝國議會・臨時会

日程

 召集:2554(明治27・1894)年3月30日(官報公示31日)

 集会:2554(明治27・1894)年5月12日

 開会:2554(明治27・1894)年5月15日

 解散:2554(明治27・1894)年6月 2日

 会期:21日、実数19日

議院役員

2 蜂須賀茂韶(はちすか もちあき)

 就任:2552(明治25・1892)年 6月14日

 退任:

 生年:2506(1846)年9月28日(弘化3年8月8日)、47歳

 出生:

 学歴:英オックスフォード大学卒業

 官職:貴族院議員・華族議員(侯爵・無所属)

 前職:外務省御用掛、駐仏公使

 特記:第14代徳島藩主。

    第13代徳島藩主・蜂須賀斉裕の次男。斉裕は第11代将軍・徳川家斉の二十二男。

貴族院副議長

 空席

衆議院議長

4 楠本正隆(くすもと まさたか)

 就任:2554(明治27・1894)年 5月12日

 退任:2554(明治27・1894)年 6月 2日(解散)

 生年:2598(1838)年4月14日(天保9年3月20日)、55歳

 出生:肥前国玖島城下岩船(長崎県大村市玖島)

 学歴:

 官職:衆議院議員(東京府第4区)

 会派:立憲改進党

 回数:3回(1期、2期補欠、3期)

 前職:大村藩士/新潟県令、元老院議官、東京市会議長

 特記:

衆議院副議長

5 片岡健吉(かたおか けんきち)

 就任:2554(明治27・1894)年 5月12日

 退任:2554(明治27・1894)年 6月 2日(解散)

 生年:2504(1844)年2月14日(天保14年12月26日)、50歳

 出生:土佐国高知城下中島町(高知県高知市)

 学歴:

 官職:衆議院議員(高知県第2区)

 会派:自由党

 回数:3回(1期、2期、3期)

 前職:土佐藩士/高知県会議長

 特記:

第4回衆議院議員総選挙

 改選数:300

 投票日:2554(明治27・1894)年9月1日

 選挙制度:小選挙区制(一部2人区制)

 実施地域:45府県(北海道、沖縄県、小笠原諸島を除く)

 選挙権:

  直接国税15円以上納税の満25歳以上の日本国民男性

下記の者は権利の適用除外

   華族の当主、現役軍人

   禁治産者、破産者、公民権剥奪者及び停止者、刑事被告人

 被選挙権:

  直接国税15円以上納税の満30歳以上の日本国民男性

下記の者は権利の適用除外

   華族の当主、現役軍人

   禁治産者、破産者、公民権剥奪者及び停止者、刑事被告人

   宮内官、裁判官、会計検査官、収税官、警察官

   管轄区内の府県郡官吏

   各選挙区の市町村選挙管理担当吏員

   神官、僧侶、教師

 選挙結果:

  自由党

   前回選挙:120

   選挙直前:119

   獲得議席:107(△12)

  立憲改進党

   前回選挙:60

   選挙直前:51

   獲得議席:49(△2)

  立憲革新党

   前回選挙:新党

   選挙直前:40

   獲得議席:39(△1)

  国民協会

   前回選挙:35

   選挙直前:26

   獲得議席:32(+6)

  立憲帝政党

   前回選挙:17

   選挙直前:14

   獲得議席:13(△1)

  中国進歩党

   前回選挙:新党

   選挙直前:

   獲得議席: 4

  無所属

   前回選挙:26

   選挙直前:50

   獲得議席:55

第7回帝國議會・臨時会

日程

 召集:2554(明治27・1894)年 9月22日(官報公示同日)

 集会:2554(明治27・1894)年10月15日

 開会:2554(明治27・1894)年10月18日

 閉会:2554(明治27・1894)年10月22日

 会期:5日

議院役員

2 蜂須賀茂韶(はちすか もちあき)

 就任:2552(明治25・1892)年 6月14日

 退任:

 生年:2506(1846)年9月28日(弘化3年8月8日)、48歳

 出生:

 学歴:英オックスフォード大学卒業

 官職:貴族院議員・華族議員(侯爵・無所属)

 前職:外務省御用掛、駐仏公使

 特記:第14代徳島藩主。

    第13代徳島藩主・蜂須賀斉裕の次男。斉裕は第11代将軍・徳川家斉の二十二男。

4 黒田長成(くろだ ながしげ)

 就任:2554(明治27・1894)年10月6日

 退任:

 生年:2527(1867)年6月7日(慶応3年5月5日)、27歳

 出生:筑前国福岡(福岡県福岡市)

 学歴:英ケンブリッジ大学キングス・カレッジ卒業

 官職:貴族院議員・華族議員(侯爵・無所属)

 前職:宮内省式部官、福岡県立中学修猷館館長

 特記:第12代福岡藩主黒田長知の長男。

    侯爵

衆議院議長

5 楠本正隆(くすもと まさたか)

 就任:2554(明治27・1894)年10月15日

 退任:

 生年:2598(1838)年4月14日(天保9年3月20日)、56歳

 出生:肥前国玖島城下岩船(長崎県大村市玖島)

 学歴:

 官職:衆議院議員(東京府第4区)

 会派:立憲改進党

 回数:4回(1期、2期補欠、3期、4期)

 前職:大村藩士/新潟県令、元老院議官、東京市会議長

 特記:

衆議院副議長

6 島田三郎(しまだ さぶろう)

 就任:2554(明治27・1894)年10月15日

 退任:

 生年:2504(1852)年12月17日(嘉永5年11月7日)、41歳

 出生:武蔵国江戸(東京都)

 学歴:昌平黌、ブラウン塾、沼津兵学校、大学南校、大蔵省附属英学校

 官職:衆議院議員(神奈川県第1区)

 会派:立憲改進党

 回数:4回(1期、2期、3期、4期)

 前職:幕臣/元老院書記官、文部省書記官、横浜毎日新聞社長、神奈川県会議長

 特記:

第8回帝國議會・通常会

日程

 召集:2554(明治27・1894)年11月11日(官報公示同日)

 集会:2554(明治27・1894)年12月22日

 開会:2554(明治27・1894)年12月24日

 閉会:2555(明治28・1895)年3月23日

 会期:90日

議院役員

2 蜂須賀茂韶(はちすか もちあき)

 就任:2552(明治25・1892)年 6月14日

 退任:

 生年:2506(1846)年9月28日(弘化3年8月8日)、48歳

 出生:

 学歴:英オックスフォード大学卒業

 官職:貴族院議員・華族議員(侯爵・無所属)

 前職:外務省御用掛、駐仏公使

 特記:第14代徳島藩主。

    第13代徳島藩主・蜂須賀斉裕の次男。斉裕は第11代将軍・徳川家斉の二十二男。

4 黒田長成(くろだ ながしげ)

 就任:2554(明治27・1894)年10月6日

 退任:

 生年:2527(1867)年6月7日(慶応3年5月5日)、27歳

 出生:筑前国福岡(福岡県福岡市)

 学歴:英ケンブリッジ大学キングス・カレッジ卒業

 官職:貴族院議員・華族議員(侯爵・無所属)

 前職:宮内省式部官、福岡県立中学修猷館館長

 特記:第12代福岡藩主黒田長知の長男。

    侯爵

衆議院議長

5 楠本正隆(くすもと まさたか)

 就任:2554(明治27・1894)年10月15日

 退任:

 生年:2598(1838)年4月14日(天保9年3月20日)、56歳

 出生:肥前国玖島城下岩船(長崎県大村市玖島)

 学歴:

 官職:衆議院議員(東京府第4区)

 会派:立憲改進党

 回数:4回(1期、2期補欠、3期、4期)

 前職:大村藩士/新潟県令、元老院議官、東京市会議長

 特記:

衆議院副議長

6 島田三郎(しまだ さぶろう)

 就任:2554(明治27・1894)年10月15日

 退任:

 生年:2504(1852)年12月17日(嘉永5年11月7日)、41歳

 出生:武蔵国江戸(東京都)

 学歴:昌平黌、ブラウン塾、沼津兵学校、大学南校、大蔵省附属英学校

 官職:衆議院議員(神奈川県第1区)

 会派:立憲改進党

 回数:4回(1期、2期、3期、4期)

 前職:幕臣/元老院書記官、文部省書記官、横浜毎日新聞社長、神奈川県会議長

 特記:

第9回帝國議會・通常会

日程

 召集:2555(明治28・1895)年11月14日(官報公示15日)

 集会:2555(明治28・1895)年12月25日

 開会:2555(明治28・1895)年12月28日

 停会:2556(明治29・1896)年 2月15日自

    2556(明治29・1896)年 2月24日至(10日間)

 閉会:2556(明治29・1896)年3月28日

 会期:90日、延長2日

議院役員

2 蜂須賀茂韶(はちすか もちあき)

 就任:2552(明治25・1892)年 6月14日

 退任:

 生年:2506(1846)年9月28日(弘化3年8月8日)、47歳

 出生:

 学歴:英オックスフォード大学卒業

 官職:貴族院議員・華族議員(侯爵・無所属)

 前職:外務省御用掛、駐仏公使

 特記:第14代徳島藩主。

    第13代徳島藩主・蜂須賀斉裕の次男。斉裕は第11代将軍・徳川家斉の二十二男。

4 黒田長成(くろだ ながしげ)

 就任:2554(明治27・1894)年10月6日

 退任:

 生年:2527(1867)年6月7日(慶応3年5月5日)、28歳

 出生:筑前国福岡(福岡県福岡市)

 学歴:英ケンブリッジ大学キングス・カレッジ卒業

 官職:貴族院議員・華族議員(侯爵・無所属)

 前職:宮内省式部官、福岡県立中学修猷館館長

 特記:第12代福岡藩主黒田長知の長男。

    侯爵

衆議院議長

5 楠本正隆(くすもと まさたか)

 就任:2554(明治27・1894)年10月15日

 退任:

 生年:2598(1838)年4月14日(天保9年3月20日)、57歳

 出生:肥前国玖島城下岩船(長崎県大村市玖島)

 学歴:

 官職:衆議院議員(東京府第4区)

 会派:立憲改進党

 回数:4回(1期、2期補欠、3期、4期)

 前職:大村藩士/新潟県令、元老院議官、東京市会議長

 特記:

衆議院副議長

6 島田三郎(しまだ さぶろう)

 就任:2554(明治27・1894)年10月15日

 退任:

 生年:2504(1852)年12月17日(嘉永5年11月7日)、43歳

 出生:武蔵国江戸(東京都)

 学歴:昌平黌、ブラウン塾、沼津兵学校、大学南校、大蔵省附属英学校

 官職:衆議院議員(神奈川県第1区)

 会派:立憲改進党

 回数:4回(1期、2期、3期、4期)

 前職:幕臣/元老院書記官、文部省書記官、横浜毎日新聞社長、神奈川県会議長

 特記:

▽内閣閣僚

内閣総理大臣

11 伊藤博文(いとう ひろぶみ)

 就任:2554(明治27・1894)年4月 1日

 退任:2556(明治29・1896)年9月18日(内閣総辞職)

 生年:2401(1841)年10月16日(天保12年9月2日)、52歳

 出生:周防国熊毛郡束荷村(山口県光市束荷)

 学歴:松下村塾

 官職:貴族院議員(勅選)

 前職:長州藩士/幕府内務局出仕、内務奉行並、工務奉行、

    農商務大臣、枢密院議長、

    内閣総理大臣(8)、枢密院議長

 特記:実父は農民。

    帝國憲法制定の功により男爵。

    日清戦争の功により子爵陞爵。

外務大臣

11 陸奥宗光(むつ むねみつ)

 就任:2554(明治27・1894)年4月 1日(留任)

 退任:2556(明治29・1896)年5月30日(病気療養のため辞職)

 生年:2504(1844)年8月20日(天保15年7月7日)、51歳

 出生:紀伊国和歌山(和歌山県和歌山市吹上三丁目)

 学歴:神戸海軍操練所

 官職:

 前職:紀州藩士/太政官大蔵省出仕、外務局出仕、

    駐米公使、

    農商務大臣、衆議院議員(1期)、枢密顧問官

 特記:条約改正の功により男爵叙爵。

    日清戦争の功により子爵陞爵。

12 西園寺公望(さいおんじ きんもち)

 就任:2556(明治29・1896)年5月30日(前任辞任)

 退任:2556(明治29・1896)年9月18日(内閣総辞職)

 生年:2509(1849)年12月7日(嘉永2年10月23日)、42歳

 出生:山城国京都(京都府京都市)

 学歴:ソルボンヌ大学卒業

 官職:貴族院議員・勅選議員(侯爵・無所属)

 前職:東洋自由新聞社長/

    駐墺公使、駐独公使、兼駐白公使/

    賞勲局総裁、法典調査会副総裁(総裁は伊藤博文)

 特記:文部大臣兼任

内務大臣

12 井上馨(いのうえ かおる)

 就任:2554(明治27・1894)年 4月 1日(転官)

 退任:2554(明治27・1894)年10月15日(特命全権公使就任)

 生年:2496(1836)年1月16日(天保6年11月28日)、58歳

 出生:周防国吉敷郡湯田村(山口市湯田温泉二丁目)

 学歴:長州藩校明倫館

 官職:

 前職:長州藩士/太政官大蔵省出仕、幕府大蔵局出向、内務局、内務奉行並、工務奉行、外務奉行、外務次官、農商務大臣

 特記:

13 芳川顕正(よしかわ あきまさ)

 就任:2554(明治27・1894)年10月15日(再入閣)

 退任:2556(明治29・1896)年 4月14日(自由党との提携の為ポスト譲渡)

 生年:2502(1842)年1月21日(天保12年12月10日)、52歳

 出生:阿波国麻植郡山川町(徳島県吉野川市)

 学歴:

 官職:

 前職:徳島藩士/江戸幕府大蔵局出仕、内務局転任、内務次官、内務大臣

 特記:

14 板垣退助(いたがき たいすけ)

 就任:2556(明治29・1896)年 4月14日(初入閣)

 退任:2556(明治29・1896)年 9月18日(内閣総辞職)

 生年:2497(1837)年5月20日(天保8年4月16日)、58歳

 出生:土佐国土佐郡高知城下中島町(高知県高知市本町)

 学歴:

 官職:

 前職:土佐藩士/自由党総理

 特記:

大蔵大臣

9 渡邊國武(わたなべ くにたけ)

 就任:2554(明治27・1894)年4月 1日(留任)

 退任:2555(明治28・1895)年8月24日(明治29年度予算案の取扱いを巡り閣内混乱の引責)

 生年:2506(1846)年3月29日(弘化3年3月3日)、48歳

 出生:信濃国諏訪郡東堀村(長野県岡谷市)

 学歴:諏訪高島藩校長善館

 官職:

 前職:諏訪高島藩士/江戸幕府大蔵局出仕、高知県令、大蔵省調査局長、主計局長、大蔵次官

 特記:

10 松方正義(まつかた まさよし)

 就任:2555(明治28・1895)年8月24日(再入閣)

 退任:2556(明治29・1896)年4月 1日(自由党との提携問題を受けて辞職)

 生年:2495(1835)年3月23日(天保6年2月25日)、60歳

 出生:薩摩国鹿児島郡鹿児島近在荒田村(鹿児島県鹿児島市下荒田一丁目)

 学歴:藩校造士館

 官職:

 前職:薩摩藩士/太政官民部省出仕、幕府大蔵局出向、大蔵奉行、大蔵次官、大蔵大臣(3、5)、枢密顧問官

 特記:男爵

11 日下部太郎(くさかべ たろう)

 就任:2556(明治29・1896)年 4月 1日(再入閣)

 退任:2556(明治29・1896)年 9月18日(内閣総辞職)

 生年:2505(1845)年7月10日(弘化2年6月6日)、44歳

 出生:越前国福井城下江戸町(福井市宝永四丁目)

 学歴:米ラトガース大学科学校

 官職:

 前職:福井藩士/江戸幕府大蔵局出仕、主計部長、大蔵次官

 特記:再入閣

陸軍大臣

6 大山巌(おおやま いわお)

 就任:2554(明治27・1894)年 4月 1日(留任)

 退任:2554(明治27・1894)年 9月25日(第二軍司令官任官)

 生年:2502(1842)年11月12日(天保13年10月10日)、51歳

 出生:薩摩国鹿児島郡加治屋町(鹿児島県鹿児島市)

 学歴:幕臣・江川英龍門下生

 官職:陸軍中将

 前職:薩摩藩士/スイス・ジュネーブ留学、陸軍次官

 特記:男爵

    日清戦争の功により子爵陞爵

7 大築尚志(おおつき たかゆき)

 就任:2554(明治27・1894)年 9月25日(前任転任)

 退任:2556(明治29・1896)年 9月18日(内閣総辞職)

 生年:2495(1835)年12月24日(天保6年11月5日)、58歳

 出生:下総国印旛郡佐倉(千葉県佐倉市)

 学歴:佐倉藩藩校、成徳書院

 官職:陸軍中将

 前職:佐倉藩士→幕臣/幕府陸軍歩兵差図役、沼津兵学校頭取、陸軍省砲兵局長、砲兵会議議長、監軍部砲兵監、

 特記:男爵

    日清戦争の功により子爵陞爵

海軍大臣

7 西郷従道(さいごう じゅうどう/つぐみち)

 就任:2554(明治27・1894)年4月 1日(留任)

 退任:2556(明治29・1896)年9月18日(内閣総辞職)

 生年:2503(1843)年6月1日(天保14年5月4日)、50歳

 出生:薩摩国鹿児島郡加治屋町(鹿児島県鹿児島市加治屋町)

 学歴:

 官職:海軍中将→海軍大将

 前職:薩摩藩士/江戸幕府陸軍局出仕、歩兵奉行、開拓使転出、内務省工部大学校校長、陸軍参謀本部高級部員、陸軍参謀次長、陸軍次官

 特記:男爵

    留任

    日清戦争の功により子爵陞爵

    国民協会会頭

司法大臣

7 井上毅(いのうえ こわし)

 就任:2554(明治27・1894)年4月 1日(留任)

 退任:2554(明治27・1894)年8月29日(病気療養のため依願免官)

 生年:2504(1844)年2月6日(天保14年12月18日)、50歳

 出生:肥後国熊本城下坪井町(熊本県熊本市中央区坪井)

 学歴:必由堂、熊本藩校時習館、横浜仏語伝習所

 官職:枢密院書記官兼任

 前職:熊本藩士/太政官大蔵省出仕、幕府司法局出向、内閣書記官、制度取調局

 特記:帝國憲法制定の功により男爵叙爵

臨 榎本武揚(えのもと たけあき)

 就任:2554(明治27・1894)年8月29日(臨時兼任)

 退任:2554(明治27・1894)年9月15日(免兼)

 生年:2496(1836)年10月5日(天保7年8月25日)、57歳

 出生:武蔵国江戸下谷御徒町(東京都台東区浅草橋)

 学歴:昌平黌、長崎海軍伝習所修了

 官職:海軍大将

 前職:江戸幕府軍艦頭、海軍副総裁、開拓使長官、駐露公使、農商務大臣

 特記:西丸御徒目付・榎本武規の次男

    男爵

8 丹羽賢(にわ まさる)

 就任:2554(明治27・1894)年9月15日(新任)

 退任:2556(明治29・1896)年9月18日(内閣総辞職)

 生年:2506(1846)年6月26日(弘化3年閏5月3日)、48歳

 出生:尾張国名古屋(愛知県名古屋市)

 学歴:昌平黌

 官職:勅任判事

 前職:司法局出仕、民事部長、内閣書記官長(8)

 特記:

文部大臣

7 川路太郎(かわじ たろう)

 就任:2554(明治27・1894)年 4月 1日(留任)

 退任:2554(明治27・1894)年12月 1日(枢密顧問官任命)

 生年:2505(1845)年1月28日(弘化元年12月21日)、47歳

 出生:武蔵国江戸番町冬青木坂上(東京都)

 学歴:蕃書調所、昌平黌、横浜仏語伝習所、英国留学

 官職:文部省高等教育局長兼参事官

 前職:幕府大蔵局、文部省初等教育局長。文部大臣(5)。

 特記:男爵。川路聖謨の孫。

    退任日に枢密顧問官に就任。

8 西園寺公望(さいおんじ きんもち)

 就任:2554(明治27・1894)年12月 1日(前任辞任)

 退任:2556(明治29・1896)年 9月18日(内閣総辞職)

 生年:2509(1849)年12月7日(嘉永2年10月23日)、42歳

 出生:山城国京都(京都府京都市)

 学歴:ソルボンヌ大学卒業

 官職:貴族院議員・勅選議員(侯爵・無所属)

 前職:東洋自由新聞社長/

    駐墺公使、駐独公使、兼駐白公使/

    賞勲局総裁、法典調査会副総裁(総裁は伊藤博文)

 特記:外務大臣兼任(2556(明治29・1896)年5月30日)

農商務大臣

10 河野敏鎌(こうの とがま)

 就任:2554(明治27・1894)年4月 1日(新任)

 退任:2556(明治29・1896)年9月18日(内閣総辞職)

(2552(明治25・1892)年3月11日任~ )

 生年:2504(1844)年11月29日(天保15年10月20日)、48歳

 出生:土佐国高知城下(高知県高知市)

 学歴:

 官職:

 前職:土佐藩士/太政官刑部省出仕、幕府司法局出向、元老院議官、退官、立憲改進党副総理、枢密顧問官

 特記:初入閣。立憲改進党系。

逓信大臣

5 榎本武揚(えのもと たけあき)

 就任:2554(明治27・1894)年4月 1日(留任)

 退任:2556(明治29・1896)年9月18日(内閣総辞職)

 生年:2496(1836)年10月5日(天保7年8月25日)、57歳

 出生:武蔵国江戸下谷御徒町(東京都台東区浅草橋)

 学歴:昌平黌、長崎海軍伝習所修了

 官職:海軍大将

 前職:江戸幕府軍艦頭、海軍副総裁、開拓使長官、駐露公使、農商務大臣

 特記:西丸御徒目付・榎本武規の次男

    男爵

    司法大臣臨時代理

内閣書記官長

11 伊東巳代治(いとう みよじ)

 就任:2554(明治27・1894)年4月 1日(新任)

 退任:2556(明治29・1896)年9月18日(内閣総辞職)

 生年:2517(1857)年5月29日(安政4年5月7日)、36歳

 出生:肥前国長崎(長崎県長崎市)

 学歴:長崎英語伝習所

 官職:

 前職:内務局出仕、元老院書記官、制度取調局御用掛、枢密院書記官、首相秘書官(伊藤博文)、枢密院書記官長

 特記:男爵綬爵(2555(明治28・1895)年)

法制局長官

7 末松謙澄(すえまつ けんちょう)

 就任:2554(明治27・1894)年4月 1日(新任)

 退任:

 生年:2515(1855)年9月30日(安政2年8月20日))、38歳

 出生:豊前国前田村(福岡県行橋市前田)

 学歴:東京師範学校中退、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン、ケンブリッジ大学卒業

 官職:前衆議院議員

    貴族院議員・華族議員(男爵・1期補欠・無所属)

 前職:東京日日新聞記者、英国留学、文部省参事官、内務省参事官、内務省県治局長

    衆議院議員(当選回数3回、1期~3期、福岡県第8区)

 特記:大庄屋役末松房澄の4男

    伊藤博文女婿

    男爵綬爵(2555(明治28・1895)年10月31日)

    貴族院議員(2556(明治29・1896)年6月25日)

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