第8話 未来の欠片は、心に居座って



「ありがとうございました」


「いいのいいの。うちとしても有意義な時間だったしね」


 無事に三鏡家に着き、ドーナツ入りの小さな箱を片手に真白は車窓越しに頭を下げる。


 と、その時、背後で玄関が開く音がした。


 振り返ると、そこには家を出た時と同じスウェット姿の弌護がいた。


「ん、おお、リートじゃないか。一家揃って、なんで我が家の前に?」


「ショッピングモールに行ったら、偶然マシロに遭遇してねぇ。色々あった末に送り届けたってとこだよ」


「ほう。そういうことか」


 弌護がまるで初耳のような反応をしたことに、ニアがあれっ、と首を傾げた。


「おかしいなぁ。確かに私おじさんにテキストで伝えたんだけどなぁ……?」


「言ったところでこの時間は昼寝でどうせ反応せんよ。だろ」


「ご名答。まぁ、別にあまり心配はしてないからね」


 笑いながらそう言う弌護。


 無頓着というわけではないが、休日の日中にテキストで連絡をするとだいたい気づかないのは、息子の真白は知っていた。


「すまんねぇリート。うちの息子を届けてくれて」


「いーやぁとんでもない。こっちとしても、ニアを預けて愛しのマイワイフと楽しめたので大助かりだったよ。また貸してねぇ」


「俺は物ですか」


「ジョークだよ。そいじゃ、ぼちぼちマイホームに帰りますかね」


 そう言って、リートが顔の向きを正面に戻す。


「oh、そうだ。弌護、あのこと、よろしくね」


「ああ、分かった」


――あのこと?


 真白が問いかける前に、再度顔の向きを戻したリートが、車を運転して走り去っていく。



 そうして残された真白は、弌護に問い直す。


「あのこと……?」


「……中に入って、母さんと3人で話そう」


「ん? ああ……」


 少し雰囲気が変わった様子に戸惑いながらも、真白は弌護に続いて家の中に入っていく。


 玄関で靴を脱いで、リビングに向かう間に、父子の会話は一切なかった。その奇妙さが気持ち悪いものの、真白を口を開くことは出来なかった。



「母さん呼んでくるから、手洗いうがいして待ってて」


「……」


 応答する前に廊下の方へと消えていき、真白が1人リビングに残される。


 言われた通り、洗面所で簡単に手洗いうがいを済ませて出たタイミングとほぼ同じくらいで、弌護が部屋から六那を連れて出てきていた。


「お帰り真白。ニアちゃんとのデートはどうだった?」


「ああ、まぁ……楽しかったよ」


「そう、それならよかった」


 父親の雰囲気と母親の雰囲気がかみ合っていないことが気持ち悪さを継続させる。その気持ち悪さに耐えられるはずもなく、真白は続きを促した。


「んで、改まってなんだよ」


「ああ、『あのこと』というのはな……OI体質者と魔女体質者の契約についてだな」


「はぁ……?」


 契約について、弌護が真白に向かってこのような形で言うのはかなり久々だ。


 過去に一度だけあったのは、聖窮の中等部2年になり、契約用のお守り型の魔鉄器を渡された時。その時以来となる、家族内での契約についての話に、感情の中に戸惑いと疑問が混じる。


「実は昨日の夜、リートと瑞依さんと、うちとで電話で話をしたんだけどもね……。ニアちゃんも、リートと瑞依さんも、真白とニアちゃんが契約することを強く望んでいるんだと」


「んん?」


 先ほどまでそのような気配などなかった人たちからの、間接的に聞く望み。困惑の色を強めた真白は、次の言葉を待つしかなかった。


「リート曰く『私も瑞依も、ニアには出来れば普通の女の子として生きてほしい。だけど、魔女として誰かと契約して、その誰かと共に戦場に行くことがあるのなら、その誰かはマシロであってほしい』んだとさ」


「……」


「まぁ、そんな反応になるよな。言われた時、ちょっとビックリしたよ」


 弌護の言葉を聞き、飲み込むのが精一杯で、真白は声を出せなかった。


 それほどまでに契約相手であることを望まれて、流石に面食らってしまっていた。


「こうも言ってたね。『もし契約した相手と共に戦場に行くとして、その時知らない誰かに……言い方は悪いけど連れていかれるのは、嫌だなぁ』って」



 弌護伝いに聞く、リートの言葉。相変わらず、物の見方が違うな、と真白は思った。


 製鉄師の両親を持つ真白には、リートのような物の見方はできない。契約をすることを『連れていかれる』という言い方は、お互いの合意の上で契約を行うことを知っていて、それでもそういう見方があるのだと、真白は思わされた。


「それを聞いた時はちょっと面食らったけど、私も母さんも親ながらちょっと嬉しかった。お前がOWで苦労したのは知ってるからな」


「……それを言うってことは、契約しろってこと?」


「それを決めるのは真白だぞ」


「……」


「誰かが明確に、契約をしたいと望んできている。急かすつもりがないのは一貫して変わらないが、きちんと考えるべきところには来ているのかもしれないな」


 弌護の言葉が、真白の中に入り込んで楔となる。それは恐ろしいほどにするりと入り込んで、確かに突き刺さった。


 思い返せば、それっぽい言葉があったような気はする――


 そのくらい気に留めなかった小さなそれが、今自分の目の前に、間接的に積み上げられている。ようやく気づいて、少しばかり言葉を失って、そして口を開く。



「どうしたら、いいんだろう?」


 ぽつりと、独り言のように、言葉を零す。


「なんか、実感わかないや」


 戸惑いを素直に口にした真白を見て、弌護と六那が顔を見合わせる。


 真白も、この感情の行き場が分からない。戸惑いの色に染まったこの感情は、多分戸惑いだけでは出来ていない。


 だとすれば、何なのだろうか。理解したくとも、思考も知識も、追いついていない。



「真白」


 沈黙が支配しようとしていた空間に声を発したのは、これまで真白と弌護の会話を聞くことに徹していた六那だった。少し真剣さを帯びた表情で、真白を見ている。


「しても、しなくてもいい。ただ、真白自身がちゃんと納得できるまで考えて。私もお父さんも、これ以上、真白に諦めてほしくないから」


「……っ!!!」


 六那の言葉が、真白の感情を揺らす。


 母は強し、という言葉は、真白は嫌というほど知っている。真白に気分転換がてら体術を教えたのは他でもない母親である六那だからだ。


 流石に今では体格差もあって組手などはしていないが、魔鉄の加護を得た状態の六那と組手をして、何度もしんどい思いをしたのは、割と記憶に新しい。



「まぁ、母さんの言う通り、焦って出す答えじゃない。ただ、決めたんならきちんと自分でニアちゃんに伝えるんだぞ」


「……まぁ、頑張る」


 『結論は急がない』という、いつも通りの言葉に付け足された、弌護の言葉。確かに刺された楔は少し食い込み、空想上の確かな痛みを得ながらも、ひとまず場が締められた後、真白は荷物を持ち直して部屋に籠った。



 部屋に入ると、手に持っていたドーナツ入りの小箱を机に置いて、そのままベッドに飛び込む。しばらくうつ伏せの状態のままでいた後で、体を前後反転させて、仰向けで天井を見る。



――契約、か


 いつかは契約をする決断をしなくてはならないのは事実だ。それは、OI体質者である以上、不可避のイベントだろう。


 OWが発生する製鉄位階以上になった場合、どこかで魔女体質者と契約しない限り、OI体質者は『普通の生活』は送れない。製鉄位階がギリギリのラインであり、現在その1つ上の鍛鉄位階である真白は、契約なしにこの先を生きることはほぼ不可能だ。


 それを真白は人生の過程で痛いほど理解していた。故に、『三鏡真白にとって普通じゃなくなったもの』を切り捨てて、今の生活を維持している。


 気づけば、このOWと付き合いながら、人生の半分近い時間を過ごした。長いリハビリの末に生活が出来るようになってからもそれなりに立った。


 当然、その時間の中で、真白が諦めたものはたくさんあった。


――諦めるのなんて、もう慣れたとは思ってる


 『普通の生活』を夢見て、自分一人でどうにもならない現実に喘いで――それを何度か繰り返した先に、今日の真白がいる。



 そして、これから先も、何かを切り捨てて――もう切り離せなくなったら、最後は命を絶つ。行きつく先がそうなることは、真白も、おそらく両親も理解している。



 そんな、宿した人間の人生を蝕むOWを、OI体質者の視界から完全に消し去ってしまうには、契約しかない。


 そして、自分しか知らず、自分1人にはどうにも出来ない世界を、理解し、受け止めるために、魔女体質者がいる。


 受け止めてもらうためには、双方の同意の他に、OI体質者側のイマジネーションや、魔女側の素質が必要となる。真白側のイマジネーションが足りているかどうかは分からないが、仮に契約相手をニアとした場合、素質の方は問題がない。



 魔女の資質は、その髪や瞳に銀色を多く宿すほどに高いとされている。一般的に振鉄位階の製鉄師の魔女はだいたい相応に高い素質――瞳や髪色の高い銀色比率を持つ。見かけ倒しということがなければ、ニアの髪色はそれなりに銀に近く、瞳の色に関してもだいたい同じことが言える。



 そんな魔女の方から契約を持ちかけに来る、という状況は、OI体質者からしてみればかなり恵まれたものではある。特に、他に契約できそうな魔女体質者がいない真白にとっては、この点において他者よりもかなり恵まれている。


 ただ、急にどうしてそう言ったのかは、真白の中で気になっていた。ここ数年の間に雰囲気がガラリと変わったような出来事がない。



――なんで、急に、しかも遠回しに言ってきたんだよ


 加えて、真白はそれが理解できなかった。言うタイミングならいくらでも作れたはずなのに、ニアが契約に関する話題を出したのは、昨日の帰り道の1回だけ。


 何か意図がある、とは思う。流石にこの場においていつものように『気分で』とは言わないだろう。おまけに隠し事をしてもニアはかなり分かりやすい。


 そんなニアが、ここまで綺麗に隠し通せていることが、真白の理解が追いつかなくなっている原因なのだろう。



 真白は、ニアが契約する気があまりないのだと、自分と同じでなぁなぁにしていくのだろうと、勝手にそう思っていた。


 しかし、それは違った。間接的にとは言え、ニアは確かに、自身との契約を望んでいる。それを知って、面食らっている自分がいる。


 契約をすること――OWに侵食された視界と半永久的におさらば出来ることは、嬉しいことであるのには違いない。




 だとすれば、この内側に湧き出た、冷たさが居座ったような感情は、なんなのだろう。


 その答えは、ニアに対して気変わりの理由を聞けば分かるような気がして、いつも真っ白な脳内の予定表に、少しだけ文字を書き足す。


 それは確実に、真白が少しだけ前に進んだ、という証拠。そう思って何となく心が落ち着いたところで、存在を忘れかけていたドーナツの箱に手を伸ばした。


 取り出したドーナツは、相変わらず真白のOWでぶれていた。


「……」


 大好きなはずのドーナツの味は、感情に乱されてよく分からなかった。


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