第54話 拘束の反復弁当

 放課後の小学生、それは拘束からの解放感で理由もなく突っ走る者が多い。

 しかし、俺たち清志係の拘束は解けない。

 何故なら、清志の昼食が終わっていないからである。


 清志の昼食は、奴が持参する弁当を給食の時間に食べさせる決まりになっている。

 だが、清志はほとんど口をつけず、飲まず食わずのまま拒否することが多い。

 それでも、一口でも食べさせないと昼食が終わりとならないのだ。

 よって給食の時間に清志が食べなければ、俺たち清志係も残業となる。

 今日も例の如く、残業だ。


 昼食といっても量は少ない。

 いつも直径10センチぐらいの丸いタッパーの中に、おかゆの上にカレーを掛けた物を持ってくる。

 毎回、これなのだ。

 清志係を押し付けられた当初は、弁当の中身が毎回違っていた。だが清志が過去に一度だけカレーを食べて以来、ずっとカレーなのである。

 清志の昼食は反復の儀式のようだ。

 一度食べたからといって、カレーがずっと続くなぞ悪夢でしかない。清志の親は何を考えているのか。

 その点においてのみ、清志へ同情出来なくもないのだがな…

 清志の弁当、それは反復という名の牢に閉じ込められている。



「清志くん。食べようよ。食べないと栄養失調になっちゃうよ」


 清志係の一員、大久保がカレーを掬ったスプーンを清志の口元へ差し出す。

 しかし清志は大久保の手を払い除けようとする。大久保はそんな清志の手を避け、スプーンを口元へ差し出すも、清志はさらにその手を払い除ける。

 これの繰り返しだ。


 清志係、計三名のもう一人、川俣が痺れを切らした。


「もういいよ、無理矢理食わせちゃおうぜ」


 川俣はクラスの中で一番、怒りの沸点が低い男だ。粗暴な面があることからして嫌われているのだが、さほど悪い奴でも嫌な奴でもない。

 緑色の野球帽が目印のナイス害といったところか。

 一方の大久保は弱気が服を着ているような奴だ。いつも悲壮感漂わせた顔の小太り、悪い意味で柔道着の似合う男である。



「川俣くん、駄目だよ。清志くんのお婆ちゃんが無理には食べさせなくていいって言ってたよ」

 

 大久保だ。こいつはいつもルールや、大人から言われたことを遵守したがる。


「だけどよ、清志の婆ちゃんが迎えに来るまでに食わせないと、俺たち、明日の朝礼で怒られるだろ。

 あの婆ちゃん、俺たちにはいつもありがとう、だなんて言うけど、村上には何で食わねえのかって、毎回いちゃもん付けてるらしいぞ」


 川俣が反論した。

 教室の壁掛け時計を見ると、針は午後3時56分を指している。

 清志の婆ちゃんが迎えに来るのは16時半、残り30分ぐらい…

 清志の家は共働きなのか、清志のこととなると、この“婆ちゃん”だという老婆がいつも出てくるのだ。小柄だが鋭い眼光で、俺たちを値踏みするような視線を送ってくる奴である。



「捨てちゃおうよ」


 と大久保は言った。


「馬鹿野郎!この前それやってバレただろ!食ったのになんで清志がウンコしねぇのかって言われたの忘れたのかよ!」


 川俣の言葉に大久保は無言となった。

 川俣の言う通りだ。


「グンちゃんの言う通りだよ。無理矢理食わせようぜ」


 川俣は通称、グンちゃんであった。

 俺の一言に川俣は目を輝かせた。


「そうだよな!シロタン!やっちゃおうぜ!」


 俺はこの頃から通称、シロタンであった。


「シロタンは清志の腕押さえてて」


「わかった!」


 俺は川俣の指示通り、椅子に座らせている清志の後ろへと回り、細くて折れそうな両方の手首を掴む。

 清志はその拘束を振り解こうと抵抗してくる。しかし、その力は弱く、非力な俺でも充分に制圧出来る程であった。


「よし、行くぞ」


 川俣がカレーの乗ったスプーンを慎重に清志の口の前に差し出すと、意外にも清志はスプーンを口の中に含んだ。


「やった!」


 川俣は素直に喜びを表現した。

 清志が本当に嫌なら顔を背けそうなものだが、それもせず俺に腕を掴まれて抵抗を諦めたのか。

 とにかく何故かはわからないが、清志は次に差し出されたスプーンも口に含んだ。

 その後、以外にも順調に清志はカレーを食べ続けた。


 10分もせずに小さなタッパーは空となった。



「グンちゃん!凄いよ!」


 正直なところ、清志が食うか食わぬかなど、どうでもよかったのだが、この難問を解決したことに達成感を感じていた。


「やった!凄いよ川俣くん!」


 大久保も喜んでいる。

 それだけ清志に物を食べさせることが難しいのだ。


「俺もここまで清志が食うとは思わなかったよ」


 川俣も満面の笑みを浮かべ嬉しそうにしている。


「グンちゃん、これで俺たち胸を張って朝礼出れるよな!」


「そうだよ、シロタン」


 俺たち三人、清志係は椅子に座らせた清志の周りで飛び跳ねんばかりに喜びあった。

 その最中、清志は椅子から降りて四つん這いとなった。


「おい、あれ…」


 川俣がそんな清志を見て、険しい表情を浮かべ、声をひそめた。


「やってるよ、あいつ…」


 と俺も声をひそめた。

 清志が四つん這いになった時はオムツ内に放尿している節がある。

 このまま、四つん這いの状態を続けたら確定だ。

 清志は若干、恍惚とした表情を浮かべ、四つん這いの状態を続けた。


「おしっこ、おしっこ」


 清志は蚊の鳴くような声で訴えてきた。


「何なんだよ、てめぇ!わざとやってるだろ!それならトイレでやれよ!」


 川俣はそう叫びながら、清志持参のタッパーとスプーンを床に叩きつけた。


「川俣くんっ」


 大久保は狼狽えつつ、川俣を宥めようとする。


「清志には小便したいって感覚があるんだ。だからああやってオムツの中にしているんだよ。

 だったら俺たちと同じくトイレ行って出来るはずなのに、それをやらないのは何故か!

 それは清志の親が何も教えないからだろ!」


 俺は腹の内をぶちまけた。


「シロタンの言う通りだよ!トイレトレーニングなら家でやってこいってんだ!

 面倒な事だけ俺たちに押し付けやがって!」


 川俣も俺の意見に同調した。


「それなら僕たちが清志くんのトイレトレーニングやろうよ」


 大久保がそう言った刹那、川俣は大久保へと向き、


「何言ってるんだよ、大久保っ!

 お前、やるのかよ?やるのかよっ!?

 お前いつも面倒なことから真っ先に逃げるくせに、提案だけして善人ぶるんじゃねぇよ!」


 川俣は大久保に掴みかかりそうな勢いで捲し立てた。

 川俣の言う通りだ。大久保は言うことは一人前だが、口先ばかりで行動が伴わない奴なのだ。


「大久保、お前一人で清志のオムツ交換してみろよ!おしっこ、おしっこ言ってただろ?

 一人でやってみろよ!

 お前はいつも言い訳して逃げるだろ!お前は何も!やらねえだろうがーっ!」


 大久保は川俣の言葉に涙ぐんだ。


「ごめん…、川俣くん…」


「ほら見ろ!偉そうな事を言ってても、オムツ交換さえ一人で出来やしねえ!

 シロタン。俺たちだけでやろうぜ」


「うん」


 俺と川俣は清志を仰向けに寝かせ、オムツ交換することとなった。



 オムツ交換を終え、一息つこうとしたその時、どこか間抜けな響きの破裂音が不意に聞こえた。


「おい、なんだよ。大久保!お前屁こいたろ?」


「え?僕じゃないよ」


「じゃあ、シロタンか?」


「グンちゃんじゃないの?俺じゃないって!」


 と俺が言ったその刹那、再び放屁音が聞こえた。今度のは大きい。

 川俣が鼻をひくつかせる。


「シロタン…、なんか臭わない?」


 川俣の言う通りだ。何か不穏な臭気を感じる。


「動物園みたいな臭いがする」


 と言いつつ、俺はまさかと思い仰向けに寝そべる清志を裏返し、背中を見る。

 その刹那、俺は言葉にならない叫びをあげた。

 時既に遅し、清志のズボンの腰辺りに小さな茶色いシミが出来ていたのだ。

 そのシミは徐々に臀部へと広がっていく。



 俺たちの成功体験は雲散霧消し、地獄への長く険しい道のりが始まった。

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