第51話 1年E組、E気持ち

 8時29分。教室に着き、自分の席に着席したところだ。俺の席は後から二列目、その真ん中あたりに位置する。

 俺が一番最後に到着したところで全員集合となった。


 8時33分、朝礼はまだ始まらない。それどころか教壇の上に担任がまだ来ていない。


 8時35分、遠くから何やら声が聞こえてきた。


[気持ちいー、気持ちいー]


 調子外れな歌声だ。恐らく植村であろう。

 その歌声は段々と近付いてくる。


[ついてこいよ〜🎵ついてこいよ〜🎵]


 教室の引き戸が開け放たれた。

 そこに現れたのは植村だ。植村はパーティグッズのようなカツラを被っている。その姿にかつてのヅラリーノを重ね合わせた。


「ABC!ABC!🎵」


 植村はここで教室の皆に向かってマイクを向けるような仕草をした。

 この続きを歌って欲しいのだろう。しかし、誰もが無視をしている。

 これがいつものことなのだ。植村が朝礼に来るとこれなのだ。


「はぁ〜〜〜〜ん🎵」


 と歌いながら、植村は股間を押さえた。


「E気持ち〜🎵」


 植村は恍惚とした表情を浮かべた。いつものことながら、凍てついた空気が教室内を支配する。

 俺たちは一年E組なのだ。だからこれを歌うのであろう。


「黒岩くん。亀の子タワシは貰いか少ないか?」


 植村は唐突に最前列センターのクロの野郎に質問した。

 クロは意味不明な質問に困惑していると、不意に栗栖が立ち上がる。


「先生!それは朝礼と関係あるのでしょうか!」


 温厚な栗栖にしては珍しく語気が強い。


「シロタン…。植村のアレ、狩るか?」


 そんな中、背後からそんな声が聞こえた。

 真後ろの席の森本だ。

 俺は振り返り、


「ヅラリーノ亡き今、狩りにもってこいだな」


 と言うと、森本は笑みを浮かべた。


「決まりだな。やるぞ、パリス」


 森本は隣のパリスに呼び掛けると、パリスはいつもの薄笑いを浮かべたまま頷く。


「了解」


 とだけパリスは言った。




「私のロングブーツが無いっ!

 ロングブーツがっ!無い!」


 昼休みも残り十分を切ったころ、女の声が教室に響き渡った。

 声の主は今関 雅美。高校一年にして場末のスナックママのような容姿の女だ。自分でブリーチしたようなオレンジ色の髪が目印。教室内の後方窓際に陣取る、女子のボス猿的存在だ。

 その今関の一言によって、教室内では犯人探しが始まった。

 誰だ彼だと女子らが騒ぐ。

 こんな時、かつての俺なら真っ先に犯人扱いされたのだが、今は違う。

 坊主頭が微妙に伸び若干見苦しいものの、俺は絶世の美青年だからな。見た目だけで容疑者から外される。それは得な事だろう。


「栗栖くん、犯人はあなたでしょ?この前、雅美のロングブーツをいやらしい目で見てた!」


 特記事項もない、その他多数の女子の一人が栗栖を名指しした。


「言い掛かりはやめてくれないかっ!僕がそんな事をするわけ無いじゃないか!」


 栗栖は顔を紅潮させて反論した。

 栗栖はクセのある奴ではあるが、人の物を盗むような奴ではない。


「だったら、あのいやらしい目は何て説明するの?」


「それこそ言い掛かりだよ!

 僕は確かに今関さんのロングブーツを見てたことは認めるよ。

 だけどね、今関さんのふくらはぎが太過ぎてブーツの筒の部分がはち切れそうになってたから、ブーツが可哀想だと思って見てただけなんだよ」


 栗栖はそう捲し立てた後、ふと今関の方を見て失笑する。

 その栗栖の態度に女性陣の怒りに火が付いた。

 “この失礼なイガグリ小僧”だの“半ケツ野郎の分際で”だの、栗栖は罵詈雑言を一身に浴びる。



「みんな!落ち着いて!落ち着こうよ!」


 その最中、一際、大声で仲裁に入らんとする奴が現れた。

 クロだ。如何にも奴がやりそうな事だ。


「栗栖と今関さん、双方の話を聞いてみようじゃないか!」


 クロは身振り手振り交えて言った。無駄に熱苦しい。


「栗栖は本当にやっていないの?」


「やってないって!」


 クロからの問い掛けに栗栖は鼻の穴を膨らませた。


「今関さんはお世辞にも清潔感があるタイプだとは言えないし、そんな彼女が履くロングブーツなんて臭いに決まってるよ!

 だから僕はそんなブーツが可哀想だと言っているんだ!そのブーツを」


 と栗栖が言い掛けた時、電光石火の如く今関が動いた。

 その次の瞬間、今関の張り手が栗栖の頬を打ち抜くと、そのあまりの威力に栗栖は崩れ落ちた。

 この一連の流れに教室内は騒然となる。


「何をするんだ!本当のことだろ!」


 栗栖は尻もちをついまま叫んだ。そんな栗栖を今関は無言で見下ろす。

 その二人の間に割り込む影、一つ。


「栗ちゅ、言っていい事と悪いことがあるよ」


 小木田だ。小木田は栗栖のことを何故か“栗ちゅ”と呼ぶのだ。それが不快な事、この上ないのである。


「コッキー…」


 突然の小木田の介入に栗栖は戸惑っている。


「栗ちゅ、今関さんのロングブーツを盗んでいないのなら、それを証明して」


 小木田のその一言に、栗栖は黒目がちの目を大きく見開いた。


「栗ちゅ、今関さんのロングブーツを盗んでいないのなら、それを証明して」


 小木田の再びの一言に、栗栖は今にも泣き出しそうな顔をした。

 小木田はそんな栗栖を見つつ、女子学生らに誇らしげな顔をした。

 小木田の野郎、女子に媚びる為に栗栖をだしにいているのか?

 見ていられない。


「おい、小木田。それは悪魔の証明ってやつじゃないのか。

 自分の存在を女子に売り込みたいのなら、お前は恥を知ってからにしろ」


 俺はここで小木田から視線を外し、完璧な間を置いてから、強い流し目加減の眼差しを小木田へ送り、


「話はそれからだ…」


 と決め台詞を放つ。

 その刹那、女学生数名が失神した。


「小木田。栗栖にやっていないという証明を求めるなら、君は栗栖が今関のロングブーツを盗んだという証明をしたまえ」


 榎本だ。


「え?僕はただ」


 と小木田が言い掛けた時、俺は奴の言葉を遮るようにして、


「終礼だ。終礼の時までに栗栖が犯人だという証拠を持ってこい。

 話はそれからだ…」


 俺は完璧な流れで小木田へ流し目加減の眼差しを送る。



 終礼の時が来た。

 結局、小木田はいつの間にか早退し、姿を消していた。

 そんな中、終礼時刻の15時30分丁度に教壇側の引き戸が開いた。

 教室に入ってきたのは植村、驚いたことに、何やら緑色の野球帽を被っているのだ。

 これには教室内のあちこちで誰もが何事かと声をひそめる。


 植村はそのまま、教卓に立つと無言のまま立ちつくす。


「どうしたんだよ、あれ?」


 と後ろの森本が声をひそめたその刹那、


「ヴァーーー!」


 植村は唐突に言葉にならない叫びをあげた。


「僕の髪の毛が無い僕の髪の毛が無い僕の髪の毛がない」


 と植村は念仏のように連呼し始めた。

 だから、あの意味のわからない野球帽を被ってきたのか、と納得したその時、今度は何かが倒れたような大きな音が鳴り響く。

 教室内のほとんどの奴が驚き、注目は一気に植村からその音の主へと移った。

 音の主は教室の後方窓際、今関であった。

 引き出し部を上にして倒れていた今関の机……、あの大きな音は、そのときのものに違いない。



「私の網タイツが無い!

 網タイツがっ!無い!」


 と今関は顔面蒼白で叫んだ。

 そもそもだ。今関は何故、高校にロングブーツと網タイツを持ってくるのか、そこからして意味がわからない。

 今関をはじめとした女子遊び人派閥が、これをきっかけに犯人探しを始める。

その混乱を抑えるべき植村は、教卓で“僕の髪の毛が無い”とだけ呟き続けていた。


 一年E組は今や、混沌の坩堝と化した。

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