第17話 一筆啓上、嬌声が聞こえた
俺たちの歓迎会は何事も無く終わった。
ゴマシオ銀縁の出現に緊張感が走ったが、他に何か不穏な動きも無く済んだ。
そして今、時計の針は午後8時を過ぎた。
尻毛からの伝言を栗栖によって聞かされた。俺たちは食堂で寝泊まりしてくれ、とのことらしい。
尻毛学生会館は生憎、満室らしいのだが、幸いなことに俺たちの人数分のベッドはあり、それを使ってくれということであった。
床で寝るとか誰かと一緒に寝る事態を避けることが出来て、俺は安堵感で胸を撫で下ろす。
パリスとだけは一緒になりたくないからな…
栗栖が学生会館の学生らに指示すると、学生らが食堂のテーブルを他所へ移し、人数分のベッドを六床持ってきて設置する。
「栗栖、お風呂入りたいんだけど」
パリスだ。ベッドの準備が済んだ頃合いを見計らっていたかの如く、栗栖に向かって言い放った。
パリスはいつ如何なる時でも風呂か…
「大浴場がニ階にあるから、好きな時に入って」
その栗栖の一言に、パリスはこれ以上無いぐらいの薄笑いを浮かべ、自分のリュックサックを開ける。
「いつでも入っていいの?」
西松だ。
「そうだよ。24時間、いつでも可能だよ。
しかもここのお風呂は天然温泉、24時間かけ流しなんだよ」
西松の問い掛けに、当然とでも言いだけな態度で返事をした栗栖であった。
「すげえな。天然温泉かよ!ここって元々、ホテルか何かだったのか?」
堀込だ。天然温泉という言葉を聞き興奮した様子である。
「そうだよ」
「じゃあ、早速風呂へ行こうぜ」
堀込も自分の荷物を漁り始めた。
「やっぱり天然温泉は違うな!最高だよ!」
堀込はそのくどすぎる顔を上気させ、風呂場に設置されていた冷蔵庫から持ってきた缶ビールの蓋を開けた。
俺たちは一名を残して、二階の温泉に入り、食堂へ戻ってきたのである。
「風呂上がりのビールも最高!」
堀込はビールを喉奥へ流し込む。
「堀込くん、呑気過ぎるよ。全然最高じゃないって」
西松だ。
西松は一人食堂に残り、自分のベッドの上に腰掛けていた。その表情は陰鬱だ。
「どうしたよ、西松?お前も飲むか?」
堀込は計三本のビールを持ってきていた。そのうちの未開封のビールを西松に勧める。
「いらないよ」
「西松、楽しんだ方がいいぞ」
二号だ。二号も顔を上気させ、後頭部から襟足にかけてのみの長い髪をゴムで纏めながら言う。
「この状況を楽しめるわけないだろ。
お前ら昼間のことを忘れたのかよ?」
西松はストレスへの耐性が低い。
尻毛のことや、この尻毛学生会館に巣喰う活動家みたいな連中、それに対するラ・セクタ・ミヤツカのことで頭が一杯なのであろう。
しかしだな、
「おい西松。そもそもお前と榎本さんが、ストリートライブを聞きたいと言い出したのが事の発端だろうよ」
「ごめん、それは謝るよ」
西松は俺の一言に両手を合わせた。
「だけど、もう嫌だよ。物騒なことに巻き込まれるのはもう御免だよ。さっさとここから出ようよ」
西松は今にも泣き出しそうに、顔を紅潮させ捲し立てる。
「そうは言っても、私たちにはこれが無い」
榎本が例の大尉風の口調で言いつつ、指を丸め金を表す。
「それでも嫌だよ!もうこんな世界嫌だよ!」
西松は涙を流した。
西松の気持ちはわからないでもない。糞平の世界で俺たちはペヤングに処刑され、キズナ ユキトの世界では血で血を洗うかのような抗争を繰り広げた。
そして、今この世界。これまでと同様に不穏な雰囲気に満ちている。
かつての俺たちと言えば、日陰者なりに悩みや嫌なこともあったが、平穏無事な日々を過ごしていた。
俺たちはこんなギリギリの状況で生きるような類ではなかったはずなのだ。
「それなら終わらせるか?」
その一言に、皆の視線が二号へと集まる。
二号は既にテンガロンハットを被り、丁度その広い唾を人差し指で上げ、顔を覗かせたところであった。
風呂上がりの半裸に黒革テンガロンハットか…
二号のその一言に、一同、息を呑む。
「どう終わらせればいいの?」
西松は声をひそめつつ、恐る恐る二号へ尋ねた。
「簡単な話だ。この世界の主を殺せばいい」
二号がそう言い放つと、皆で集まり円となった。
「主は誰だと思う?」
堀込は声をひそめた。
「多分、尻毛だろうな」
二号のその意見には同感である。皆も同様のようだ。
「証拠はあるのかね?」
大尉…、じゃなくて榎本だ。
「証拠と言われると弱いんだがな。
根拠なら皆も同感のはずだ」
二号のその一言に皆、ゆっくりと頷く。
「試しにやってみるか?
それで終わらなきゃ、また主を探せばいいさ」
二号のお気楽な様子に底無し沼を見た気分だ。こいつは今までこの世界で何をしてきたのか…
二号は自分の荷物の中から散弾銃を取り出した。
「だとしたら西松。お前がやれよ。
話はそれからだ…」
俺は決め台詞を言い放ち、流し目加減の視線を西松へ送る。
「えっ、俺が…」
西松は露骨なまでに躊躇し始めた。
「お前が言い出したのだからな。
お前がやれ。
話はそれからだ…」
俺は再び、流し目加減の視線を西松へ送ると、二号は散弾銃の銃把を西松へと差し出す。
西松は散弾銃を手に取ろうとしない。
そうだ。俺や堀込、パリスはこれまでの世界で銃を手にし人を撃ったが、西松はまだであった。
「わかったよ…、俺がやるよ。
俺が尻毛をやるよ。
でも尻毛にこの世界を止めてくれって、説得出来ないかな?」
「この雰囲気だと難しいぞ。あの尻毛って奴はかなりお楽しみのようだ」
二号だ。
「だったら、もう少し様子を見て確証を得たら、
俺がやるよ」
西松は決意をしたかのような表情を浮かべると、散弾銃を手に取った。
その後、23時ぐらいに食堂の灯りを消した。
俺たちは長旅…、本当に長旅であったのかわからないが、それによって疲れていたようだ。
皆、誰もが自分のベッドに入ると、直ぐさま寝息が重なり合って聞こえてきた。
俺にも睡魔がやってくる…
深い静寂の世界に耳障りな足音が聞こえてくる。
その足音は次第に近づきつつあり、夜中であるのに遠慮が無い音を立てていた。
足音の後には人のものとも、獣のものともつかぬ、鼻息か吐息が聞こえてくる。
その後には衣類か何かが激しく擦れ合う音が聞こえてくると共に、俺の意識が覚醒に近付く。
粘液を弄ぶような音が聞こえると共に、オットセイの鳴き声が聞こえた。
この下衆野郎がっ!
俺の心が一気に燃え上がる。
この時、俺の意識が完全に覚醒した。
同時に誰かが舌打ちをする音が聞こえる。
睡眠を妨害され、燃え上がる激情を抑え、
「パリス、いい加減にしろ」
声をひそめつつも、力の入った声を発する。
「俺じゃないよ」
パリスだ。
パリスじゃないだと?俺はパリスの野郎が自家発電でもおっ始めたと思っていたのだが、
「婦人、駄目ですよ」
と誰かの声が聞こえた。
押し殺したような男の声だ。食堂に並べられたベッドからの声では無い。しかも聞き覚えの無い声だ。
だとしたら、誰のものか。
俺は上半身を起こす。
ほぼ同時に皆も起きていた。
食堂の隅にはエレベーターホールへと繋がる通路があり、そのエレベーターの手前にトイレがある。
食堂と通路は消灯され、トイレ内からの明かりが灯る中、トイレ入り口前でその身を絡ませる男と女の影が見えた。
激しく絡み合う二人の影はトイレの壁へ寄りかかる。
その時、トイレ内からの明かりによって女の横顔が浮かび上がる。
元黒薔薇婦人だ…
真紅のその唇は半開きで艶かしく蠢く。
生気無く儚げでありながらも、全身から動物的な本能を思わせる。
その様は凄艶の一言だ。
「婦人!我慢出来ないよ」
見覚えのない男と元黒薔薇婦人は、雪崩れ込むようにしてトイレ内へと入っていった。
そこは男性用トイレだったはずだ。多目的ではないはずだ…
それから数秒もしないうちに獣のような嬌声が聞こえてくる。
それはまるで中学時代にクラスで一番の助平野郎から借りた、無修正の海外ポルノの如く、だ。
俺はベッドへうつ伏せとなり、布団を頭から被る。
しかし、それでも嬌声が寄せては返す波のように聞こえてきた。
その声が大きくなればなるほど俺の心が痛む。
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