第7話 謎の会社

 日一日と病院から塚本の残影は消えて行った。

「来週百箇日の法要をします」と陽子さんから知らせをもらった日、小百合は警察へ提供した高木の関係した請求書や領収書などの控えを見直していて、あることに気が付いた。

高木の取り扱いしたものの中に、取引先一覧表に載ってはいるが、小口取引先でも一度は作ることになっている<事業内容説明書>を作成していないものがあったのだ。

請求書の社名には<高井物販(株)社長 高井龍二(たかい・りゅうじ)>となっていた。

「これって、もしかして架空の会社じゃないかしら」

端から疑っている小百合は請求書に書かれている電話番号に掛けてみた。

「……現在使われていません」とアナウンスが流れた。

――やっぱりだわ……

請求書には住所も記載されているけど、そこへ行く勇気は小百合にはない。そこで、小川に振ると、「わかった。俺、行ってみる」



 小川三次は翌日その領収書の住所へ向かった。

白湯も「一緒に行く」と言ったのだが、やばい相手かもしれないし平日だからと思い、万一に備えテレビ電話をオンにしたまま待機してもらう事にした。

 豊平区の該当住所の付近は、見栄えの良いビルが通りに沿って立ち並んでいたが、一歩中へ踏み込むと古ぼけた住宅街が広がっていた。

 その住宅街の各建物に貼られている番地プレートを頼りに探してゆく。

なかなか見つけられず同じ道を何回も往復していると、たまたま横に二人は並んで歩けないような細い路地奥に三階建てのビルが見えた、「まさか」と思いつつもそこへ行ってみる。すると、その玄関の横壁に貼られていた怪しげなパネルにその社名が見つかった。

「やっと見つけた。どうやら、ここの二階のようだ……」三次はスマホの向こうにいる白湯にその会社の場所を細かく説明しておいた。

それから暗い階段を上がると自販機を置けるくらいの広さのある踊り場があって、左右にガラス戸の玄関がある。その一方に目的の社名があった。

三次は深呼吸をし、おもむろにノックする。

……少し待ったが、返答は無い。

もう一度強めに叩く。

やはり何の反応も無い。

ガラス戸を通して中の様子を窺うが動きは無い。

「不在かな?」三次は呟き、恐る恐るドアノブを引く。

鍵は掛かっていない。

軋む音を立てながら少し開いたドアから中を覗いて、「こんにちわ」

天井も壁も床もむき出しのコンクリートで机が幾つか並んでいて、それで部屋は一杯な感じだ。左壁に小さな台所と<トイレ>と書かれたドアが見えた。窓にはブラインドが下げられて外は見えない。

そして机の上には無造作に電話機が一台置かれていて、その隣にどでかい靴底がふたつ見えた。

ドキッとして鼓動が急加速する。「落ち着け、落ち着け、……」三次は自分に言い聞かせ、ゆっくりと回り込むと、男が事務椅子の背もたれに身体を預けて首は後ろへ折れ曲がり手はだらりと垂れている。

スマホでその姿を写したとたん、「死んでる?」と、白湯が訊くほど異様な姿だ。

しかも室内は薄暗くて不気味。

三次はびくつきながらも、「もしもし、……」少し大き目な声で呼びかけ身体をそっと揺する。

「なんだぁてめぇ!」男がビクッと動いたかとおもったら、いきなりデカい声で怒鳴るので、三次は口から心臓が飛び出しそうなくらい驚いた。

「え、あ、生きてた」思わず声を出してしまい、ギロリと睨まれる。

立ちあがるといかにもやんちゃしてますと言った雰囲気の二十歳前後くらいの大男。三次より頭一つ背が高く、横幅は倍はありそう。胸板も厚く、よく見たら昔のまんがで人気を博した世界を股に掛けるスナイパーに似ている。

「あ、あの<原杉総合病院>のものなんですが、こちらの方ですか?」

動揺して訊かなくてもいい質問をしてしまった。

「お前がここへ来たんだろうが、俺が泥棒だとでも言いたいのか? こらっ」

肩を揺すって迫られ後ずさりしながら、「え、いや、こちらの事業内容を教えてもらおうと思って、……」

自分の震える声を押さえきれない。

「はぁ? 何か知らんが、俺は電話番だから、会社のことは知らん。用はそれだけか?」

迫る男に追い出されるように三次がドアの外へ出ると、バシャっとドアを閉められた。

「……ということだ。ここを調べるのは難しいな」

白湯に話しかける。

「そうねぇ、じゃ、小川さんの親友の一ノ瀬刑事にでも調べてもらえないかしら?」


 小川は病院に戻り、昼食時を待って休憩室で弁当を食べている高木係長の隣に座って、「ねぇ、高木さん<高井物販(株)>って会社知ってる?」

高木は妙な顔をしてかぶりを振って、「いや、知らんな。その会社がどうかしたのか?」

「そうですか、変ですねぇ。高木さんその会社から請求書をもらって現金出金してますよね……」

三次が言い終わらないうちに、「余計な詮索すんなよ。お前に何関係あんのよ」高木が喚く。

「一応、管理課なんで、気になったんで確認です」三次はしれっとして言った。

「何が管理課だ。形だけの部署のくせに、おまえら全員遊んでるだけだってほかの部署の奴らは言ってるぜ」蔑んだ目をして高木が言う。

三次は自分の仕事に曲がりなりにも誇りを持っていて、なのに頭ごなしにバカにされかっとなって、

「僕のやってる管理の仕事には重要な意味があるんですよ。それに訳のわかんない会社への支払い、それも現金だなんて不審な行為としか思えません。答えてくれないなら上司に報告してきちんと調べてもらいますからその積りでいてください」

相手が係長なのに言い過ぎかとも思ったが、自分の口を止められなかった。

高木は青筋を立てて「バカやろっ! 事務長に命じられてやってる事をお前ごときに何故ごちゃごちゃ言われんきゃなんないのよ。事務長に言ってお前なんか首にしてやる」

高木は啖呵を切って食べかけの弁当箱を閉じ食堂を出ていった。

三次も頭に上った血が収まり切れず肩を怒らせ事務長室へ向かった。


 事務長に事の子細を話した。

「小川くん、話はわかった。あとは任せてくれ自分が直接訊いてみるから」

「え、事務長が命じたんじゃないんですか?」

「そうかもしれんし、そうでないかもしれん。一々細かな物品の購入に口を出すことは無いんだよ。聞けば二十万未満の小口なんだろ、会計課長とかが俺の名を使って取引をしてるんじゃないかな。だからと言って、それを不正とは言い切れんだろ?」

三次を凝視する事務長の目力の圧に負け、反論したかったがうまい言葉が出てこなかった。

「そんなはした金の事であんたがモノ申す必要はない。小川くんには院内システムの管理責任者としての責任があるだろう、会計には会計の責任者がいるし税理士だってすべての帳簿類を確認する責任があるんだ。不正があればそこで発見される。いや、発見しなければならんのだ。だから、きみは余計なことはしなくて良い。どうしてもわたしの言う事に従えないと言うなら、仕事を失うことになるぞ」

厳しい顔をする事務長に突っぱねることができず「わかりました」

三次は尻尾を巻いて部屋を出た。


 白湯に話すと「そんな直接言ったって正直に答えるはずないでしょう。もう、軽率なんだから……」

三次は、「ごめん」と頭を下げるしかなかった。

「私は課内で色々訊いてみたのよ」

「誰か気の付いた人いた?」

「それがねぇ、なんか変だと思ってたひとは何人かいたんだけど、気にしないようにしてたって言うのよ。がっかりした」

白湯が両手を広げて不満たらたらの顔をする。

「そういう課内の環境が使い込みを容易にさせてしまうことに繋がってるのかもな」

「そう思うわ。で、どうするの?」

「んー、そうだなぁ、あの会社にいた男の写真を一ノ瀬に渡して、男の正体とどういう会社なのか調べるよう頼んでみるよ」

三次の落ち込んだ士気が白湯との会話で浮上、少し前向きに考えられるようになった。

「そうね、それが良いわ」

白湯は三次の気持の変化を読み切ったかのように肯いて、封筒を差し出し、

「請求書と領収書のコピーよ。あった方が刑事さん調べやすいでしょう」

と、何とも言いようのない優しさ溢れる笑顔を見せた。


 三次は念のため法務局へ行って<高井物販(株)>が実在するのか調べた。

結果は、該当無しだった。架空の会社である可能性が高まった。


「あの会社移転していて所在掴めなかった」

一ノ瀬が連絡してきたのは三日後のことだった。

「写真の男に前科は無かった。おそらくお前が行ったんで逃げたと考えた方が良いだろうな」

「何故逃げる必要があるんだ?」

「想像だが、よからぬことに使ってたからじゃないか?」

「じゃ、うちの病院と医薬品の取引をするためだけじゃないってことか?」

「そうだろう。考えてみろ、横流しだけなら法人じゃなくても良い訳だろう、ある程度相手に信用させる必要があるから法人名を使うんだよ」

「ふーん、詐欺とか、か?」

「まぁ、そういうことも有るかも知れないが、今はわからない。それと高井龍二って名前なんだが、その名前は前科者リストにはなかったんだが、<高井良龍二(たかいら・りゅうじ)>という名前ならあるんだよ。<高井良龍商会>というマル暴の会長さんなんだが、……」

「暴力団か、そんな奴らと高木は関係があったんだ」三次の背中に冷たいものが走った。

――やばいなぁ、下手すると何されるかわかんないな……

「いや、名前が似てるってだけだ、実際はどうなのかその高木が会う人物に話を聞かないとわからんな。だからって、お前が調べ続けても良いということにはならんぞ。もう手を引け、万一そういう相手なら無事ではすまんからな」

一ノ瀬が大袈裟に言ってるとは思えなかった。

「じゃ、俺は、高木が会う相手を調べてお前に教えるから、あとは頼んで良いか?」

「ああ、お前の頼みだからな。ただし、口外すんなよ。刑事事件とはっきりした訳じゃないのに俺が首突っ込んだと知れたら問題になる。刑事が民事介入してるってな、その関係にうるさい弁護士とかいるんでな」

「おぉ、了解。お前に迷惑を掛けるようなことはしないよ」

「ははは、もう、この時点で、迷惑なんだがな……それから写真の男と<高井良龍商会>との関係はこっちで調べる」

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