おまけ 室長の女子校見学 1/2

 両肩に置かれた手の力強さに、俺は事態の深刻さを知った。バルナカルドが倒されて三日、吹雪や氷点下の気温に悩まされることはなくなったが、依然としてゲームの残骸による問題は残っていた。


「デフォート。俺、どうにかなりそうなんだ……」


 真剣な表情で見つめられ、俺は少しだけ身構えた。彼に限ってそんなことはないと信じたいが、絶対なんてものはこの世に少ししか存在しない。彼の瞳はうるみ、日に焼けた顔はわずかに上気している。俺の耳には届かないが、彼には己の早い鼓動が聞こえているのだろうか。


「えーと、室長?」


 とりあえず呼びかけておく。いくらここがBLゲームの世界でも、級友に押し倒されてもおかしくないシチュエーションは初めてだった。

 就寝前の自由時間、寮に戻った俺と室長は、それぞれ自分のベッドに座って話をしていた。話題は学園の再開についてで、間違ってもイベントの引き金となりそうな言葉を言った覚えはない。


「なあ、デフォート。お前、おかしいと思わないか?」


 襲いかかる勢いで飛び移ったわりに室長の声は平静としていた。背中に食い込むヘッドボードは痛いが、後ろが壁なのは安心できる。少なくとも倒される心配はなかった。

 俺はひとまず会話を続けることにした。話をしているうちは安全だ、たぶん。


「えーと、何が?」


「この状況だよ」


 おかしいのは室長だ。そう言いかけて俺は慌てて口を噤んだ。むやみに犯人を刺激すれば、最悪の事態を起こしかねない。膝立ちで俺にまたがっている室長は、立てこもり犯と同等の危険人物だった。


「あー、避難生活が?」


 バルナカルドの脅威は去ったが、依然として学園にはウインタータウンの町民たちが避難していた。まだ先生たちも学生寮で寝泊まりしており、隣の部屋には先輩たちがいる。騒ぐような面子めんつや状況ではないが、一年生の俺たちにとって気楽とは言い難い。


「違う……いや、そうなのか?」


 室長は首を横に振って視線をさまよわせた。両肩にかかる力が弱まる。俺は脇に避けていた枕を手元に引き寄せた。騎士科が相手でも、目くらましぐらいの役には立つだろう。目くらましのまくら。回文みたいだ。

 学園に残った六人の一年生のうち、寮の部屋にいるのは四人だった。危機的状況下の俺と一触即発の室長、爆睡中のフランク、そして雪村さんだ。雪村さんは向かいのベッドで、いつものように本を読んでいる。角とそれなりに重さのある武器を装備している彼に助けを求めたいが、俺の視界は室長がふさいでいた。


 室長の目が俺に戻る。希望的観測だろうか。わずかに理性を取り戻しているように思えた。俺は交渉を試みることにする。


「室長……肩……」


「ああ、すまん」


 犯人に譲歩する姿勢が見られ、人質はひとり解放された。

 肩から手が離れてホッとしたのも束の間、室長は俺の頬を包みこんだ。顔を引き寄せられ、危険信号が灯る。


「ちょっ、室長!?」


 室長とのエンディングなんて知らされてない。頭の中で幾度となくしてきたクソゲーへの文句を並べたてながら、俺は自由になった手を振った。雪村さん、室長を止めてくれ……!


「おっと、クラウス。近づくなよ」


 俺の合図に気づき、雪村さんが動いてくれたのだろう。だが、騎士科の鋭さにはかなわなかったようだ。室長が続けた。


「デフォートの地味な顔を見ていないと、気が変になりそうなんだ」


「んっ?」


 気が変になりそう? 気が変になったから行動を起こしたのではなく?

 俺と同じ疑問が浮かんだのだろう。雪村さんが戸惑いを口にした。


「それはどういう意味でしょうか?」


「俺にもよく分からないんだが、デフォートの顔に普段の日常を感じるんだ」


「顔、ですか……」


 雪村さんが身をかがめ、室長の隣から俺をのぞき込む。怪訝そうに眉をひそめていても雪村さんの美貌が損なわれることはない。モブ顔の室長がかすんでしまうほどだ。


「そういうことか!」


 室長の言わんとすることが分かった。

 学園に残った六人の一年生のうち、室長以外は全員がゲームの登場キャラクターだった。初期設定時の主人公である俺は地味な顔立ちだが、そのほかの四人は元攻略対象者で、整った容姿をしている。いくら学園がゲームの舞台でも、人員の三分の二が元攻略対象者という状況は特殊だった。室長が異常をきたしそうになってもおかしくはない。

 俺は頬に添えられた室長の手を取って言った。


「室長、俺と一緒に女子校見学へ行こう!」


 彼をBLゲームの残骸から救うには、これしかないだろう。




 女子校見学を決めたものの、依然として町は復興の真っ最中だった。通信の魔法具が使えるようになり、要請を受けて領外からも魔法使いや騎士が派遣されている。強制ではないが、俺たち一年生も町に出て作業を手伝っていた。そんな状態で覗き行為に興じるわけにもいかず、約束を果たさぬまま一週間がたっていた。


「――というわけなんです」


 俺は地面を見つめたまま、ため息とともに話を締めくくった。妖精の血が半分流れているせいなのか、俺が話を始めてすぐに用務員のゴビットさんは顔を曇らせていた。俺は、彼が呆れ始める前に下を向いた。そうしないと、自分でも馬鹿らしいと思っている話を最後まで出来そうになかった。


「つまり半日休みが欲しいと……」


 町の復興は終わり、授業も三日前に再開していたが、学園内には雪の重みで壊れた場所がまだいくつも残っていた。俺はゴビットさんとの取引で、彼の仕事を手伝うことになっていた。雪村さんが対価を半分引き受けてくれたが、今日から半月、俺の放課後と休日はゴビットさんのものだった。


「はい」


 俺が恐る恐る顔を上げると、どういうわけかゴビットさんは深刻そうな表情をしていた。彼の視線が室長へと移る。用務員室は寮から遠く、俺は室長の騎士科タクシーで来ていた。

 室長が一線を越えてしまわないよう、授業が再開するまでの間、俺は毎晩彼に顔を提供した。寝る前の一時間、俺も室長のモブ顔を見つめていたせいで、彼のこめかみと鎖骨にあるほくろの位置まで完璧に覚えてしまった。今後、室長の偽物が現れても、俺には簡単に見分けられるだろう。顔を貸したお礼として、新学期まで室長は俺の専用車だった。

 ゴビットさんが笑みを浮かべた。


「室長くん、おれと取引しない?」


「取引っすか?」


「半日デフォートくんを貸す代わりに、キミも手伝うというのはどうだろう?」


「いいですよ」


 対価に縛られて生きるせいか、妖精は総じて取引が好きだ。特に、人間が相手だと過分に対価を要求できる。室長と会話をするゴビットさんは生き生きとしていた。


「じゃあ、手を貸してくれるかな?」


「はい。了解っす」


「交渉成立だね」


 俺はゴビットさんの正体を知らない室長が騙されるのを、黙って見ているしかなかった。

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