第10話 私の家庭教師②


ガチャ



「たっだいまー!」

「夏海、手を洗ってねー」



羞恥心を少しずつ帰路に置いてきた私は、家に着くころには平常心に戻れていた。といっても……



「お邪魔します」



家庭教師をお願いした勇運くんも一緒に家の中に入るのだから、静かになりつつあった心臓の音は、クレッシェンドのように再び強く鳴り始める。



「俺も手を洗う。夏海について行けばいい?」

「は、はい……っ」



勇運くん、夏海の事を名前で呼んでくれてるんだ。昨日よりも、更に歩み寄ろうとしてくれてるんだね。



「でも、勇運くん……また無理してないかな?」



病室では無理がたたって、石化してしまった勇運くんだ。今だって、相当無理してるんじゃ――!?


心配になって、二人の姿をチラリと覗き見る。

すると、



「おい、ここの泡が落ちてないぞ」

「にーちゃんだって、まだ泡ついてるぞ!」

「マジかよ」



ちはぐな背の男の子二人が、仲良く(?)手を洗っている。鏡に写った勇運くんの顔を見ても、青白くなってない。今のところは、大丈夫そうだった。



「良かった……勇運くん、ありがとう」



ほっと一息ついたのも、つかの間。これから勇運くんが足を踏み入れるだろう領域の掃除を行うため、お菓子を準備した後、猛ダッシュで片付けへと移行する。



「わ! こんなもの見せられないし、きゃあ! 洗濯物も!」



出るわ出るわの、見せたくない物ばかり。二人の声がだんだん近づいてきたのを察し、取り込んだ洗濯物をどこへ隠そうか迷った――その時だった。



「ねーちゃん、せんたくもの落ちてるよ?」

「夏海、ありが、」



そう言って、夏海が持っている物を見て、ピシリと固まる。なぜなら……それは、私の下着。



「あ、ぼくおやつ食べたい! にーちゃん、コレねーちゃんに渡しといて!」

「は? あ、おい!」



ぽーいと投げられた物を、勇運くんは反射的に取ってしまう。そして、



「……~っ」



顔を明後日の方へ向けながら、無言で私に手を伸ばした。すごくソフトに、下着に触ってくれてるのが見ただけで分かる。



「あ、ああああ、ありがとう……っ」



帰路に置いてきたはずの羞恥心は、再び私へ集中し……



「穴があったら入りたい~……っ」



私は泣きながら、今度こそ洗濯物を「しっかりと」別の部屋へ隠したのだった。


そして――夏海と勇運くんと私でテーブルを囲み、おやつを食べる。一息ついたら、やっと勉強の始まり。



「で、どこが苦手なんだよ。ノートと教科書だして」

「はい、ここです……」



向かい合って、私はシャーペンを持ち、勇運くんはメガネをかけた。聞けば、さっきまでコンタクトをつけていたけど、夏海と手を洗う際に”泡こうげき”を受けたかなんだかで、目が痛くなって外したそう。



「夏海がごめんね」

「別に、楽しかったからいーよ」



目を伏せながら、ふっと笑みを浮かべる勇運くん。メガネをつけているからか、雰囲気がいつもと違って……夏海のイタズラを快く許してくれた事も重なり、ドキリと心臓が音を立てる。



「勇運くんは優しいね。私だったら怒ってるよ」

「好きな奴の弟なら、同じように優しくするだろ。それよりホラ、ノートと教科書」

「……あっ。ご、ごめん!」



また、だ。

また勇運くんはサラリと「好き」と言った。その涼しい顔で、ダメ―ジの大きい攻撃を何度くり出すんだろう。そして私は、いつになったら慣れるんだろう。



「……」



全く慣れる気がしない。




「勇運くん……、お、お手柔らかにお願いします……っ」



色々と――!


そんな思いが伝わったのか、勇運くんは「ニッ」と笑った。そして、二人だけの勉強会がスタートする。



「よくある”一問正解するごとにご褒美”ってやつするか?」

「よ、よくあるの? もちろん、しないです……っ」

「ちぇ、つまんねー」



なんて言いながら、夏海がうたた寝している間にサクサク進める。勇運くんの教え方が上手くて、すごい速度で理解が進む。勇運くん、学校の先生になればいいのに。



「ねぇ勇運くんの志望大学ってさ、」



気になって、こんな事を聞いてみた。

その時だった。


ブブブ、とスマホが震える。電話がかかってきたのは、私のスマホ。発信元は、お母さん。ん? 何の用だろう?



「はい、もしもし?」

『あぁ冬音、夏海のお迎え行ってもらってごめんね。ありがとう』

「ううん、今日は疲れてたのか、夏海いま寝てるよ」



すると、電話口でお母さんが「ちょうど良かったわ」と言った。



『これから来客があるから、夏海が寝てるなら好都合よ。だけどお母さん、ちょっと仕事が長引いちゃって遅れそうなのよ』

「来客?」



初耳だった。でも、そうか。だから私に夏海のお迎えをお願いしたんだね。仕事が終わって、家に直帰したいから。


だけど、そんなに急いで帰る来客って……誰なんだろう?


その時だった。家のインターホンが、大きな音で鳴る。電話越しに音が聞こえたのか、お母さんが「もうすぐ着くから、それまで対応してね!」と電話を切った。な、投げやり……!



「冬音、俺が出る」

「え、でも」

「今の音で、夏海が起きそうだぞ」



見ると、夏海が「うぅん」と言って、みじろぎしていた。ここで起きられるとマズイので、急いで背中をトントンする。すると勇運くんは、その間に玄関に移動した。そして――「はい」と。ドアを開けたのだ。


ガチャ



「どちら様で、」



だけど、なんと。

外に立っていたのは……



「あれ、勇運くん?」

「柴さんと……兄貴?」



警察の制服を着た、柴さんと守人さん。どうやら、お母さんのいう「来客」とは、この二人らしい。そして、お母さん不在の間に、



「どうして勇運が、冬音ちゃんの家にいるのかな?」

「……」



何やら新たな火種が、我が家に放り込まれるのだった。

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