白銀の騎士と漆黒の姫

甘灯

白銀の騎士と漆黒の姫【前編】

「この国はいずれ滅びます」


 幽閉塔へ続く城壁を歩いていたスウルス国の姫ノワール=スウルスは漆黒の髪を風になびかせながら静かに呟いた。

白銀の騎士ブラン=ケオトルトは彼女の言葉がにわかには信じられなかった。


ーー眼下がんかに広がるグリーディオラ帝国。  


帝都の町並みはとても華やいで活気づいている。

いたるところに水路が通されており、客や荷を積んだゴンドラが忙しなく行き交っていた。


 この大陸では『金』よりも『水』に価値があり、各国共通の『富の象徴』とされていた。

そして大陸内でこれだけの水路がある国は『グリーディオラ帝国』一つだけだ。


「どんなに栄華を極めようと所詮しょせんは人が作ったもの…いずれ滅びる定めにあることには変わりません」


 ノワールは内心戸惑うブランを静かに見据えながら、さらに言葉を紡ぐ。


「それが“略奪”による栄華なら尚の事、また人の手によって滅ぼされることでしょう」


「…口を謹んだほうがいい」


 ブランはノワールの言葉を遮り、口を挟んだ。


「貴女は自分の置かれた立場をわかっておいでか?」


「ええ、わかっております」


 ノワールは揺らぎのない澄んだ青い眼差しをブランに向けてきた。

毅然とした彼女の態度に、ブランは不覚にもひるみそうになった。


 グリーディオラ帝国の『白銀の騎士』といえば、周辺諸国にその名が知れ渡っている。

返り血を一切浴びることなく、瞬時に敵を切り伏せる機敏さと卓越した剣術を誇る、ブラン=ケオトルト。彼の名声をさらに盤石なものにしたのが、『スウルス国』との戦いだった。

勝利を治めた凱旋では、傷も汚れもまったくない白銀の鎧を纏ったブランの姿に、自国民は敬畏けいいの眼差しを向けたのだった。

そんなグリーディオラ帝国の英雄が今は囚われの身である亡国の姫ノワール=スウルスに気後れしたのだ。

それほどまでに彼女の立ち振る舞いは気高く、そして堂々たるものだった。


「私は戦いに敗れた国の王女……今の言葉が“貴方の主人”の耳に入ったら、私は“殺さず生かしたのに恩知らずな女”として断罪される。そうでしょう?」


 皮肉を込めたノワールの言葉に、ブランは頷く。


「…そうだ。だから“言葉”を選んだほうがいい」


「私が死ぬこと…自分の命が惜しいと思っているとでも?」


 ノワールが初めて憤りをあらわにした。ブランは押し黙った。


「あの日……祖国が焼かれたあの時に、私の心はもう死んだようなものです」


 そう言い放ったノワールの顔を直視できず、ブランは黙ったまま目を伏せた。




  ────  ────  


 


 赤々と燃える、敵国の王都。

金目のものはすべて奪い尽くし、逃げまどう者たちを自国の兵士が次々と切り殺していく。

 そこらじゅうで、絶えず悲鳴が聞こえた。

白銀の鎧を纏ったブランはそんな町中まちなかをひたすら馬で走った。


 ブランはグリーディオラ皇帝から“ある勅令”を受けていた。

目的の場所に着き、適当な木に馬を繋ぎ止めたブランは、古い石造りの建物の中へ入った。

入口を入ってすぐのところに、地下へ続く階段があった。

両手を広げても余りある横幅の広い石造りの階段。

ブランはなるべく物音を立てないように、慎重な足取りで降りていく。

そして行き止まりと思われる最奥部には大きな石の扉があった。ブランは警戒しながら、その扉をゆっくりと押し開けた。


『ここが…水の神殿』


 目の前の幻想的な光景に、ブランは思わず息を飲んだ。

明かりが届かない地下のはずなのに、辺り一面に満ちた水面みなもが淡く光っている。

よく目を凝らして見てみると、水の中に発光した小さな浮遊生物が見える。

この生物が発する光が水面を明るく照らしているのだ。 ブランは前方へ視線を向けた。

細い石畳の道があり、それは広間のちょうど中央で途切れている。

途切れた先には台座があり一つの古びた“はい”が鎮座していた。


『あれが…【聖杯せいはい】?』


 ブランは我を忘れ、導かれるように石畳の道へと一歩足を踏み出した。

その時、風を切る音がした。

ブランが踏み出した靴先の石床に一本の矢が突き刺さる。

ブランは我に返り、すぐその場から飛び退いた。

素早い身のこなしで広間を出ると、片扉を盾にするように身を隠す。

ブランは一呼吸し、扉から少し顔を出して広間内の様子をうかがった。

目が闇に慣れると、広間の壁の上部にせり出したバルコニーのようなものがいくつも見えた。

そして、そこから弓を構えた敵兵がこちらに向かって狙いを定めている。


(さて…どうするか)


 流石のブランでも、これでは正面突破は難しい。


『……兄様?』


 その時、背後から若い女の声がした。


『!!』


 ブランは素早く剣を抜くと、体勢を少し屈めたまま振り返りざまに剣を真横に振った。

横一線に振られた剣先は、背後にいた女の喉元をぎりぎりかすめる。

漆黒の髪の一房が切れて、パラパラと床に落ちた。

女の澄んだ青い瞳が大きく見開く。

ブランはそのまま一切の隙を与えず、女の真後ろに回り込むとその細い首に自身の片腕を回した。


『くっ…!』


 背後から首を絞め上げられた女はブランの籠手こてめた腕に必死に爪を立てながら抵抗した。


『貴様は誰だ』


 ブランは締め上げる腕の力を少し抜き、一層低い声で女に問うた。だが女は何も答えない。


『首をへし折られてもいいのか?』


 ブランの本気の言葉に、女は息を呑んだ。


『ノワール様!!』


 その時、第三者の声が入り込んだ。

ブランは舌打ちをし、声がする方へ振り返った。

するとブランが先ほど通過した時には壁だった場所が、今はくり抜かれたような横穴がいていた。

そして入口付近に長い髭を蓄えた老人が立っていたのだ。


(壁ではなく隠し通路だったのか…いや、それよりも…)


 “ノワール”

その名前に聞き覚えがあった。


『スウルス国の姫君か』


『っ!』


 ブランの投げかけに、女はあきらかに動揺した。


その後ーブランはノワールを盾にして広間にいた弓隊の動きを封じると、いとも簡単に【聖杯】を手に入れた。こうして運さえ味方につけたブランは、スウルス国を滅ぼしたグリーディオラ帝国の英雄『白銀の騎士』として名を轟かせたのだった。


『ブラン、よくやった!この【聖杯】が手に入れば、枯渇した我が国土は昔のように再び潤う!!』


 凱旋したブランはグリーディオラ皇帝に褒め称えられたが、まったく喜ぶことができなかった。


(あの戦いに正義はなかった。無抵抗な他国への侵略と略奪…そして殺戮だけだった…)




  ────  ────




 無抵抗なスウルスの民を殺した。 


投降しようとした者の首をはねた。


『なぜだ…我々が何をしたというのだ…?』


『痛い…痛いよ』


『抵抗はしない!だから殺さないで!!』


 嘆き、悲しみ、もがき、スウルス国の死者達がブランの体へまとわり付く。


「っ!!」


 ブランはベッドから飛び起きた。


 ーー…あの戦いの後から、ブランは悪夢にうなされるようになった。



 ブランはノワールが幽閉されている塔を訪れていた。


「何か望むものは?」


 ノワールは首を小さく横に振る。

そしていつものように椅子に座りながら、小窓から外を眺め始めた。

食事に手を付けている様子は一切ない。給仕の女を見ると、静かに首を横へ振った。

ブランは黙って視線を落とした。


「なぜ、ここへ来るのですか?」


 ブランは顔を上げた。

言葉を投げかけたノワールの視線は、依然いぜんとして窓の外に向けられたままだ。


「あなたに……死なれては困るからだ」


「ああ、愚問でしたね。【聖杯】のお陰で、私は生かされているのでした」


 ノワールは生気のない眼差しをブランに向けながら弱々しく呟いた。 

【聖杯】はスウルス王家一族にしか、『その力』を引き出すことはできない。


 この大陸は深刻な“水不足”に陥っていた。

数年間、雨が地上を潤すことはなく、大陸中の至るところで水場が干上がってしまった。

乾き切った大地では作物が全く育たず、人々は飢饉ききんに苦しんだ。

ただ唯一、【聖杯】を持つ古い民族が統治する小国…『スウルス国』以外を除いてはー。


 スウルスの民は慈愛心の塊のような、そんな思いやりのある民族だった。

スウルスの民は困窮こんきゅうしている周辺諸国へ、【聖杯】を用いて『水』を無償で援助した。

彼らは水を独占することは決してなく、他国と均等に水を配当したのだ。

しかしグリーディオラ皇帝は無限に水をもたらす【聖杯】を独占しようと陰で画策していた。

グリーディオラ皇帝は『スウルスの民は水の配当を打ち切ろうとしている!!独占するつもりだ!』という嘘の情報を近隣諸国へ流した。

その嘘を信じた各国は激しく動揺した。


『スウルスの民が【聖杯】を独り占めしようとしている!』

『なんとしても阻止しなくては!!』


 各国の首脳たちが勝手極まりない非難の声をあげ始めた。

その波紋は瞬く間に広がり、国同士の【聖杯】を奪う戦いが始まった。

そして戦いの末、【聖杯】を勝ち取ったのはグリーディオラ帝国だった。


(……あの戦いに正義などなかった。独占力に駆られた、ただの暴力だ。スウルスの民の慈悲の心を踏みにじった。これは彼らへの冒涜ぼうとくに他ならない)


 


 幽閉される前はブランに口答えしてきた、スウルス国の王女ノワール。

数か月が経ち、かつて威厳のあった彼女の面影はもうそこになかった。 

ブランはノワールの痛々しい姿を直視できなかった。


『本当に彼女の心は死んでしまったのかもしれない』


『そうさせたのは一体…誰だ?』


 静かに責め立てる、姿なき亡霊の声がする。


(違うんだ…私は…!)


 耳に響く幻聴に、ブランは苦悶の表情を隠すように片手で顔を覆った。


 ノワールは自分が人質に取られたことで、まんまと国の宝である【聖杯】を他国に奪われた。

ノワールは自分自身をとても恨んだことだろう。

兄が来たと期待して隠し通路から出てきたノワールは、敵兵のブランの姿を見てどんなに絶望したことだろうか。


「…………」


 ブランは意を決して、椅子に座るノワールの前で片膝を折った。


「…何を、しているのですか」


 ブランの行動に、ノワールは疲れ切った顔のまま眉をひそめた。


「私は貴女に償わなければならない……」


 ブランは片膝をついたまま、真っ直ぐ彼女を見上げて告げた。


「何でも言うことを聞く…貴女が望むなら私の…この命を喜んで差し出す」


 その言葉にノワールは目を見開いた。


「何を…言っているの…?」


「私は本気だ…この剣で私を殺してくれてもいい」


 ブランは己の剣をノワールの前に差し出す。


「そんなことをして…なんになるの?」


 ブランの突然の行動に、ノワールは怒りで震えた声を振り絞った。


「貴方が死んだところで!死んだ父も、兄も、臣下の者たちも、民の皆も!みんな生き返るわけではないわ!!」


 ノワールは椅子から立ち上がり、泣きながら声を荒げた。


「何でもするなら、私の家族たちを“生き返らせて”よ!」


 悲痛な面持ちで叫ぶ。


「……ほらね、できないでしょ?」


 何も答えられないブランの姿を見て、ノワールは力なく再び椅子に座り込んだ。


「もう…いい。私の前から“消えて”」


 ノワールの願い・・に、ブランは黙って従った。


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