第7話
花は、増田の役員室で村山と面談した。
年上だと思ったが、年齢は同じだった。
「失礼ですが、村山さんは、ハーフですか」
「いえ」
「言われませんか」
「言われます。子供の頃は、いじめられました」
「ごめんなさい。いじめているわけではありませんから」
「大丈夫です、慣れています」
「あなたのCD聴かせてもらいました。ご自分で作曲したんですか」
「はい、作詞も作曲も自分でやりました。今、聴くと、自分でも恥ずかしいですが、あの時は、必死でしたし、それなりに音楽になっていると思っていました」
「香港のクラブで歌っていたと聞きましたが、どうして、香港なんですか」
「半ば、やけくそだったと思います」
「村山さん、率直な方なんですね。これ、テストですよ」
「わかってます」
「また、やけくそ、ですか」
「ううん、少し違います。あなたなら、歌で判断してくれると聞きましたので、正直に話そうと思ったんです。気が強いのは認めます」
「よかった。私も、負けないくらい、気は強いですから」
「ありがとうございます」
「では、歌ってもらいましょうか」
三人はピアノのある部屋に移った。
「弾き語りしますか」
「出来れば、弾いてもらえると嬉しいです」
「私でいいですか」
「はい」
花は、楽譜を広げた。三松がアレンジした楽譜だ。
村山は、大きく息をして「お願いします」と言って窓の方を向いた。
確かに、5年前より、表現力は格段に上達していた。それでも、声は変えられない。ただ、ほんの少しだが、村山の声には優しさがある。それを前面に出せるかどうかはわからないが、可能性がない訳ではない。何よりも、村山は美しい。
「素晴らしい声と歌でした。作曲者としては、嬉しいです」
「ありがとうございます」
「どうして、あのCDは、売れなかったのでしょう」
「作詞も、作曲も、駄目でした」
「その通りです。ごめんなさいね。あなたの声は、あの時も今も、同じ声です。説得力はこの5年で上達したのでしょうが、別人ほどの差はないと思います。いい曲といい詩に出会えれば、あなたの歌は売れると思った増田さんの判断は間違っていないと思います。もちろん、私の曲がいい曲だと言う意味ではありません。私の曲よりいい曲は山のようにあります。でも、料金を払ってもらうためには、それをクリアしなければなりません。あなたの曲には、それがなかっただけです。でも、それは、あなたの責任ではありません。音楽会社の責任です。ですから、増田さんは、その失敗を取り戻そうとしているのです。あなたの声に合う曲は、詩は、と考えて、必死で、脅しの気持ちを出しながら、強引に私に迫ってきました。一度は、お断りしたんです。ですから、前回の失敗は許してやってください。私は、あなたに、歌ってもらいたいと思っています」
「ありがとうございます。ほんとに、ありがとうございます」
「お礼は、増田さんに言ってください」
「ありがとうございます」
村山は、増田に深々と頭を垂れた。
「ただ、勘違いしないでくださいね。売れると保証したわけではありません。売れるかどうかはお客様が決めます。気紛れなお客様が決めるのです。これは、どうしようもないことですから、覚悟はしておいてください」
「はい」
「さて、ここからが、本番です。増田さん、ドラマ主題歌の商談をお願いします」
「ドラマですか」
「そうです。村山さんを歌手にするんでしょう」
「もちろん」
「できない、なんて言いませんよね」
「まあ、それは」
「ソロ歌手で売り出すんですか」
「それは、まだ、決まってない。先ず、曲が決まらないと」
「話題性が必要ですが、その戦略はあるんですか」
「いや、そこまでは」
「じゃあ、提案してもいいですか」
「もちろん」
「村山さんのルックスは売りになります。編曲が出来て楽器ができる美人を一人と、作詞が出来て楽器ができる美人を一人、用意してください」
「美人ですか」
「そうです。ドラマの主題歌と美人トリオ、そして、村山さんの歌唱力、ここまでやっても売れる保証にはなりませんが、確率は上がると思います」
「ま、確かに」
「推薦したい女性が一人います」
「はい」
「三松さんのお孫さん、知ってますよね」
「ええ、紗枝ちゃん」
「この楽譜、私が、ここで、三松先生のテストを受けた時の編曲、誰がやったか知ってます」
「いえ」
「紗枝さんです。彼女はピアノも弾けますし、美人です」
「彼女、まだ、高校生ですよね」
「私が、歌手になったのは、中学生の時です。年齢なんて関係ありません」
「・・・」
「あと一人は、増田さんが探してください。私の曲には、全て詩がありません。作詞が出来て楽器ができる美人。できれば、少し変わった楽器、フルートとかサックスが吹ける美人がいいですね」
「・・・」
「増田さん。村山さんを売り出すんでしょう。私に面談しろ、歌を聴け、曲を提供しろと言ったのは増田さんですよ」
「わかった」
「村山さん」
「はい」
「ロンドンに行ってください。何曲でも構いません、聴き比べ、自分に合っている曲を見つけてください」
「いいんですか」
「勿論です。増田さん、費用は出ますよね」
「ええ、それは」
「村山さん。何か、問題はありますか」
「いえ、ありません」
「増田さん、いいですか」
「まあ」
「それと、作詞家の美人には、私も面談させてくださいね」
「はい。花さんは、グループには入らないのですか」
「私は、曲を提供するだけです。グループのリーダーは村山さんにお願いします。ロンドンからクレームがつかないように、作曲者の名前も新しい名前でお願いします。増田さんだって、自分の会社の歌手が他所で音楽活動したら許せませんよね」
「どうして、ここまで。三松さんの供養ですか」
「それもあります。私、先生に恩返しできてませんから。先日、紗枝さんが訪ねて来てくれました。その時思ったんです。先生が、私に声をかけてくれたのは、孫を宜しく、と言いたかったんじゃないかと」
「そうですか」
「それだけではありません。村山さんの歌は多くの方に聴いてもらいたいし、村山さんなら紗枝さんを託すことが出来るんじゃないかと思ったからです」
「わかりました。全力でやります」
「ありがとうございます」
ついに、また、荷物を背負うことになってしまった。
こうなるような予感はあった。覚悟を決めるしかない。雪乃には日本に戻ってもらおう。ほんの一部の聖職者の邪心に怯えている者は、今でもいると思う。奴隷にも屍にもなりたくない。巨大な力と戦う力などないのだろうが、抗いたい。何も出来ないのだろうが、それでも、抗いたい。人類は、何千年もの間、同じ不条理に抗い続けてきたけど、現実は何も変わっていない。それでも、どんな卑劣な方法を使ってでも抗いたいと思う。
「雪乃さん。また戦いますよ。覚悟はいいですか」
「もちろん、です」
雪乃には近くのマンションに住んでもらうことになった。父にも母にも了解してもらった。母は眉をひそめたが反対はしなかった。父は、セキュリティシステムを入れてくれた。気休めにしかならないのだろうが、それでも、有難いと思う。
当分、大学は諦めて、また、作曲作業に戻った。
流行りのAIも使ってみたが、魂の消えた曲は、曲にはならないので、手作りの手間をかけるしかない。山のようなフレーズを1つずつ曲にしていく。やはり、音の神様は一人ではないと思う。以前の神様の曲よりも、丸くなっているように感じる。それがいい事なのかどうかは分からないが、変えようがないので、受け入れる。
もう、自分で歌うつもりはないが、三松に教えてもらった発声練習は日課なので続けているし、空手の練習もしている。
看護学校に行く予定だった紗枝は、看護師の道を諦めてグループの一員になり、今は、ピアノの練習に専念している。
まだ、作詞家は見つからない。作詞が出来て、楽器が出来て、美人という条件が厳しいのだから、簡単ではないだろう。増田は、走り回っているようだ。
あっと言う間に1カ月が過ぎ、方針転換を考える必要があると考え出した時、増田が候補者を見つけてきた。
先ずは、花が会ってみる。
「初めまして、向井恵と言います」
花は、日本でのペンネームを小学校時代の友人の名前を使わせてもらうことにした。本人には断っていない。向井亜由美の向井と坂本恵の恵を借りて、向井恵とした。
「松岡玲子と言います。よろしくお願いします」
「お歳を聞いていいですか」
「39です」
「見えませんね」
「ありがとうございます」
25歳は無理でも、28歳や、32歳であれば信じてくれるだろう。
「お仕事は」
「今は、無職です」
「それまでは」
「ある楽団にいました」
「クラシックですか」
「はい」
「どうして、辞められたのですか」
「言いたくありません」
「わかりました。楽器はフルートだと聞いていますが、フルート以外の楽器の経験はありますか」
「ありません」
「では、あなたの詩が何らかの作品に採用されたことは、ありますか」
「ありません」
「増田は、作詞が条件だとは言いませんでしたか」
「いえ、お聞きしています」
「あなたが、作詞することに問題ないと判断した根拠は何ですか」
「増田さんには、個人的に作った詩をお見せしました」
「今日、持ってきておられますか」
「はい」
「見せていただいて、いいですか」
「はい」
松岡は、バッグからノートを取り出して、花に渡した。
「拝見します」
曲名と、詩が書かれていた。世界的な童謡もあれば、世界的にヒットしたポップスもあった。
「あなたの曲もあります」
「えっ」
松岡は身を乗り出し、ページをめくった。
そこには、farという曲名と、日本語の詩が書かれていた。
「私のこと、ご存じなんですか」
「花さんですよね」
「どうして」
「イギリスでは、あなたは有名人ですし、私はイギリスに住んでいたことありますし、友人も沢山います。増田さんは、あなたの名前を出しませんでしたが、イギリスで歌手活動をしていた日本人は、他にいないのではありませんか」
「この詩は、昔、書いた詩ですよね」
「はい。そうです。まさか、とは思いましたが、今日お会いして、確信しました。その事を知ることも、私の目的でした」
「私が、面接されている、ということですか」
「いえ、そうではありません。あなたが作るグループであれば、是非、参加したいと思って、来ました」
「増田は、そのこと、知っているのですか」
「いえ、増田さんには言ってません。多分、そのノートにあなたの曲の詩が入っていることも、増田さんは知らないと思います。花さんの曲、そのノートに3曲あります」
「驚きました」
「そのfarの詩は、どうでしょう」
「いい詩だと思います」
「ありがとうございます。あなたと同じ日本人の音楽家だということでリスペクトされ、私は、随分高い評価を貰いました。あっ、このことも、増田さんはご存知ありません」
「いや、こんな展開、予想もしていませんでした」
「ごめんなさい。なんか、押しかけて来たみたいで」
「とんでもありません」
「花さんと仕事ができるなんて、夢のようです。どうか、採用してください。全力で詩を書きますから」
「その前に、フルート、聴かせてもらえますか」
「もちろんです」
松岡はケースからフルートを取り出し、farを吹いてくれた。
もともと、フルートは優しい音色だが、松岡のフルートは、より優しかった。
「ぜひ、グループに入ってください」
「ありがとうございます。嬉しいです」
「念のために、もう一度聞きますが、ほんとに、39歳ですか」
「はい。39です」
これで、美人が3人揃った。年齢は気にしないでおこう。
「早速ですが、詩を書いてもらいたい曲が5曲あります。その中の1曲が、皆さんのデビュー曲になります。増田さんには、ドラマのテーマ曲の仕事を取って来てもらうように頼んでいます。ドラマのシナリオを読んで、書き直してもらうかもしれませんが、作詞は早急に始めてもらいたいと思っています」
「わかりました」
「この後、仲間に会ってもらいますが、いいですか」
「お願いします。年齢ではじかれるのが心配ですが」
「そこは、わかりません」
「あら」
「このノート、しばらく預かっていいですか」
「はい」
「私、全く、詩が書けないんです。ほんとに、恐ろしいほど書けません。全部、松岡さんが書かねばなりません。お願いしますよ」
「自分で詩を書いた曲はないんですか」
「ゼロです」
「それも、驚きですね」
「ですよね」
3人が待っている部屋へ行った。
増田は、二人が入ってきたのを見て、「よかった」という顔して、村山と三松は、驚きの表情だった。花は、自分もあんな顔をしていたのだろうかと思った。
「作詞とフルートを担当してくれる松岡玲子さんです」
「松岡です。よろしくお願いします」
村山と三松が、慌てて頭を下げた。
「松岡さんは、クラシックのフルート奏者でした。松岡さんの音を聞いてもらえば、納得してもらえると思うので、最初に、音を聞いてください」
松岡は、farを楽譜なしで演奏した。
「私達と出会う前に、松岡さんは、私のfarの日本語歌詞も書いてくれていました」
増田も驚いていた。
ノートを開いて、テーブルに置いた。
「向井恵だと自己紹介したけど、バレていました。増田さん、気付いていました」
「いえ、全然」
「私、イギリスでは、顔バレしてますので、言い逃れできませんでした」
「私、何も話してませんよ」
「知ってます。それと、松岡さんは39歳だそうです。何か、問題ありますか」
フルートの音を聴いた後では、納得するしかないだろう。
「それでも、リーダーは村山さんです。それでいいですか」
三松が手を挙げた。
「ピアノ、私で、いいんでしょうか」
「紗枝さんの音と編曲で皆に認めてもらってください。大変だと思いますが、紗枝さんならできると思います。一日も早くプロになってください。皆さんも協力してくれると思います」
花は、松岡の方へ向き直った。
「三松さんはピアノと編曲を担当します。村山さんはボーカルです。今は、増田さんがマネージャのような仕事をしてくれていますが、増田さんは、ここの役員ですから、ずっとマネージャをやるわけではありません。皆さんがプロの仕事を始めれば、マネージャーをつけてくれると思います。そうですよね、増田さん」
「もちろん、です」
「私は、曲作りしかしません。私は、イギリスのD-ミュージックの歌手でしたから、形の上では、今も、その立場は同じですから、一切、表には出ませんので、よろしくお願いします」
村山が手を挙げた。
「でも、花さんは、親分なんですよね」
「そうですよ」
「ここは、ヤクザ一家ですか」
「じゃあ、ボスでもいいし、元締めでもいいです」
「私は、作曲者です」
「作曲者は、親分なんです」
「そうです」
「増田さん、何とかしてくださいよ」
「私も、花さんが親分だと思います」
「もう」
「花さんは、表の活動ができないから一歩引きたいんですよね。でも、この5人に限れば、親分でもいいんじゃないですか」
「松岡さんまで、何を言い出すんです」
「花さん、皆、気持ちは一緒です。内内の親分を引き受けてください。お願いします」
「増田さん、そういう話ではなかったですよね」
「そんな約束しましたか」
「もう」
「花さん、私は一度負けた負け犬です。花さんは、成功者です。拠り所が欲しいんです。成功者花組の一員でいたいんです」
「そうです。私は、成功も失敗もしていないひよっ子です。花さんが声をかけてくれたから、私、清水の舞台から飛んだんです。今更、それは、違反だと思います」
「私も、花さんがいなければ、この話、受けなかったと思います」
「花さん。3年間だけ、影の親分をやってくれませんか。この子たちが成功すれば、自分達の道を歩めるようになったら、引退してもらってもいいです。3年間だけ」
「わかりました。3年だけ。3年経って、成功していようと失敗していようと、私は手を引きます。それでいいですか」
「はい」
「あくまでも、影の親分ですからね。表に出たら、この企画、潰れるかもしれませんよ」
「はい。それでいいですか、皆さん」
皆が、大きく頷いた。
「花さん、グループ名を決めてください」
「私が、ですか」
「はい」
「それは、3人が決めることでしょう」
「美人3人組が提供する優しい音楽という発案者は花さんです。花さんに責任があると思います。皆は、どう思いますか」
「うん、うん」と3人が頷く。
「わかりました、考えておきます。でも、実際のリーダーは村山さんですよ」
「わかってます」
村山が鞄の中から楽譜を取り出し、三松と松岡と自分の前に置いた。
「これが、花さんのロンドン事務所から提供してもらった曲です。5曲あります。どの曲から始めるのか決めたいと思います。三松さん、練習してくれた」
「はい。何とか、というレベルですが」
「弾いてくれる」
「はい」
三松が緊張した表情で弾き始めた。何ヶ所か音が外れたが、それでも、いいピアノだった。
「じゃあ、どれにするか、決めよう。3、2、1、0の0で、指で投票して。いい」
「3、2、1、0」
3人共、指を2本立てていた。
「嘘みたい」
「ボス、この風-128って、どういう意味ですか」
「風の128番目の曲。風は、私のイメージ。森とか空とかの自然やその現象で分けているだけ。歌う人か詩を書く人が、曲名を決める。そうしてもらってる」
「じゃあ、詩ができてから決めましょう。三松さんはアレンジを、松岡さんは詩をお願いします」
「はい」
少し、肩に力入っているけど、詩織はリーダーをしている。
花が手を挙げた。
「グループ名、Breezeでどうかな」
「Breezeって、どういう意味ですか」
「そよ風」
詩織と玲子が同時に答えた。
「ヤバイ、知らないの、私だけ」
「気にしない。詩織さんは香港にいたし、玲子さんはイギリスにいた、紗枝は、純国産だから気にしない」
「はい」
「私、賛成」
「私も」
「私も」
グループ名も決まった。
Breezeが動き出した。
「紗枝のおじいさんは、ポップスの世界ではトレーナーとして有名な方でした。詩織は、CDを出した経験があり、最近まで香港のクラブで歌っていました。でも、松岡さんは、この世界は初めてですよね。やっていけそうですか」
「やはり、私が心配ですか」
「正直、心配です」
「わかります。でも、私が、なぜ、詩を書いていたのか。私も、今日、そのことに気付きました。私は、ずっと、この世界で仕事をしたいと思っていたようです。でも、そんなチャンスは滅多にありません。そして、この歳になってしまいました。そんな中年女を皆さんは受け入れてくれました。今の私には、ここしかなかったと思っています。ここで、私、頑張りたいです。全力で」
「そうですか」
「私、玲子さんのフルート、とても優しい音色だと思います」
「私も、そう思う。私達に必要なのは、年齢じゃなく、音だと思う」
「ありがとう」
「松岡さん、私達は、Breezeは、ヒットチャートの1位を取るためのグループを目指しているのではないんです。音楽の優しさを追い求めるグループが必要だから、この企画を始めたんです。昔、初めて花に会った時、どうして、日本ではなくイギリスなんだと聞いたことがあります。そしたら、花が、私の曲は日本では受け入れて貰えないと言ったの。中学生の花に、そう言われたの。最初は、何て変な子だと思ってた。でも、花はイギリスでブレイクした。イギリスには、まだ、花の音楽を受け入れる土壌があったんだと思った。日本で、花の曲が支持されただろうかと思った時、私達は、土壌を失いかけているのかもしれないと思ったの。優しい音楽を失ってはいけない。役員になって、少し無理が言える立場になったので、花を引きずり込んだ。多分、迷惑だったと思うけど、私は、音楽を失いたくなかった。あなた達は音楽界のてっぺんは取れないでしょう。私の我儘に付き合っているだけかもしれない。でも、力を貸して欲しいの」
「ほんとに、増田さんは厄介な人だと思う。私は音楽から足を洗って、新しいことに挑戦するために、高検をとって、大学へ行こうと思っていたのに、全部、振出しに戻ってしまった。でも、優しい音楽を守りたいなんてことを言われると、それを断ったら、私、人でなしになってしまう。その上、看護学校に行くことが決まっていた紗枝さんまで引きずり込んでしまった。私も、厄介な大人になってしまった。増田さん、どう責任取ってくれるんです」
「ごめんなさい」
「花さん、私達が成功したら、許してもらえます。私達も人生かかっています。私だけではなく、紗枝も玲子さんも、人生賭けていると思います」
「わかった。成功したら許す」
「花さんは、高校行かなかったんですか」
驚いた表情で、玲子が言った。
「いや、忙しくて、行けなかったの。この前、高検は受かったから、もう、中卒じゃなくなったけど」
「そうですか。私、今でも、中卒のままです。今日、初めて花さんに会いましたが、花さんのような人でも簡単じゃなかったんですね。お金の心配もなく、こんなに綺麗なのに、才能があれば、どうにでもなるのかと思っていました。正直に言いますが、さっきまで、中卒の話を聞くまで、私の中に嫉妬心があったんです。くそっ、こんなお嬢さんに負けてたまるか、という気持ち、ありました。そのくせ、私は、これまで、逃げてばかりで、もう、逃げ場所もなくて、フルートが吹けるのなら、どこでもいいか、なんて思って、私、最低でした。高検を受けたということは、この先、大学に行くってことですよね。前に進もうとする気持ちがあって、今の花さんがあるんだと思いました。私、これまで、この歳になるまで、ほんと、逃げてばかりだったような気がします。さっき、詩織さんが、自分は負け犬だと言っていましたけど、私、認めたくなかったけど、自分も負け犬だったんだと思いました。でも、ここに来て、一度くらいは、勝ちに行きたいと思っています。今は、増田さんが声をかけてくれたことに感謝しています」
「松岡さん、この人をお嬢さんだなんて思ったら間違いよ。皆の子供時代のことは知らないけど、多分、花さんが一番貧しい子供だったと思う。10年前にお嬢さんになった、にわかお嬢さんで、根性は半端じゃない。今回のことだって、私は踊らされているだけかもしれない。もちろん、踊らされても、優しい音楽を絶やさないためなら、喜んで踊る覚悟はある。松岡さんも、苦労なら自慢できるほどしてきたのかもしれないけど、ここにいる人達は、皆、同じなんだと思う。あなたの苦労は、傷じゃい。勲章だと思って。一度くらい、勝ちに行きましょうよ」
「はい」
花は立ち上がった。
「ごめん。今日は、初日だから、流れに任せようと思ってたけど、考え直しました。折角だから、本音の話をするよう、提案します」
皆が息を呑んだ。
「私達は、仲良しクラブを作るために集まっているのではありません。始まりは、増田さんの、優しいだけの音楽を残したい、という願いからです。でも、これは、暴挙なんです。今の日本の音楽界の流れは、違います。過去を乗り越えることがトレンドになっているのです。私には、その向かっている方向が正しいとは思えません。音楽は、私達の感性にとって、優しいものであり、美しいものだと思います。新しければ、いいのではありません。バッハもショパンも、いいものはいいのです。いいですか、私達は、流れに逆らおうとしているのです。だから、暴挙でしかないんです」
花は言葉を切って、4人の顔を見た。
「私達は、5人だけで、日本の音楽界に殴り込みをかけるドン・キホーテなんです。簡単に成功するような話ではありません。私がイギリスに行ったのも、逃げです。でも、増田さんは、何かしたい、と言ったんです。優しいだけの音楽では、洗脳された子供達は受け入れてくれません。だから、私は、メンバーの条件に、美人であることを入れました。若者は、美人であれば受け入れてくれるからです。そういう意味では、美男でも良かったんですが、たまたま、増田さんも私も女だったので、美人にしたんです。もちろん、ひな人形ではないので、音楽の才能が必要です。そして、あなた達が、ここにいるのです。そんな無茶はしたくないのであれば、辞めてもらっていいです。いや、このチームに必要のない人には辞めてもらいます。その中には、増田さんも私も含まれています。ここまで引っ張っておいて、今更何を言うんだと思う人には、謝ります。この5人全員を変えたら成功するなら、そうすべきだと思います。便宜上、リーダーは村山さんだと言いましたが、全員がリーダーであり、親分であり、ボスです。私も、そのつもりでボスを引き受けたんです。大きな流れは簡単には変わりません。押し流されるだけだと思います。私達は、そんな流れに逆らおうとしているのです。皆さんは、一人一人がドン・キホーテなんです。最初からきつい話になってしまってごめんなさい。でも、このままなら、間違いなく失敗すると思います」
全員が俯いてしまった。
「今、私のfarを日本語歌詞にして売り出して、チャートに載ると思いますか」
「・・・」
「無視される、と思います。Breezeの強みは、美人トリオしかありません。それと、ドラマがヒットするかどうかもわかりません。いくつもの、それも山のような幸運が重ならなければ、Breezeは鳴かず飛ばずで、お終いです。私も、今、増田さんの口車に乗ってしまったことを後悔しています。日本の視聴者に受け入れてもらえる確率は、ほんの少ししかありません。3年頑張るとして、その3年間は無駄な時間になる可能性が高いと思います。どうします。今更ですが、よく考えてください」
「私、無駄でも、やってみたいです」
最初に答えたのは紗枝だった。
「私も、やりたい」
「私も」
「そう、だったら、仕方ないね」
増田は顔を伏せた。多分、一番わかっているのは増田なのだろう。
「増田さん、泣いてるんですか」
松岡が立ち上がり、増田を後ろから抱きしめた。三谷は、増田の前にしゃがみ込み、増田の手をさすっている。村山も増田の膝を優しく叩いていた。増田は、声を出して泣き始めた。
花は、目で村山に「帰る」と言って部屋を出た。
松岡が書いた詩が送られてきた。
いい詩だと思った。
三谷の編曲も、楽譜が送られてきた。
実際に弾いてみて、納得した。
フルートのパートの編曲に松岡は何と言ったのだろう。
あの日から4週間後に、増田から連絡があり、練習の最終チェックをお願いしたいと言ってきた。
「増田さんは、聴いたんですか」
「いえ、私も、今日が初めてです」
3人は、増田と花を無視したように、準備をしている。
「初めてもよろしいでしょうか」
村山が硬い表情で言った。
「お願いします」
花も、楽譜を開いた。
三谷が、イントロを弾き始めた。以前の紗枝と違っていた。音に迷いがない。
村山の声も、以前とは違う。押し付けるような声ではない。
松岡のフルートは、以前と同じように優しい。
花は、楽譜を見るのをやめて、目を閉じた。
演奏が終わり、花は、目をあけて、あらためて、3人の顔を見た。3人ともメイクをしている。女の花が見ても、3人は美しかった。
クライマックスでは、自分の曲なのに、感動すら覚えた。
花は、固唾を飲んで評価を待っている3人に近づき、次々とハグして「ありがとう」と礼を言った。
「増田さん。録音はしていますね」
「はい」
「増田さんの番です。評価をするのは、お客さんです。どんなドラマでもいいわけではありません。この曲に、この歌に、この演奏に相応しいドラマを見つけてください」
「はい」
「私も、最初はドラマの主題歌でした。ドラマのテーマ曲と、ヒロインの主題歌が必要でした。1曲では足りないかもしれないので、残り4曲を仕上げてください」
「はい」
3人が、やっと、笑顔になった。でも、花は、まだ心配だった。
「1つ、聞いてもいいですか」
「はい」
「メイクは、誰が」
「皆、自己流です」
「私は、メイクも衣装も我儘を通しましたが、皆さんの場合は、プロにお願いしたほうがいいと思います。増田さん、彼女達の美しさは宣伝材料ですから、いや、Breezeの売りは美人しかありませんから、お願いします。衣装も大事です。できれば、美しさを前面に出したBreezeの紹介動画もあればと思います」
「はい」
「皆さん。戦争、始めますよ」
「はい」
10か月後にテレビドラマが始まった。ドラマそのものの評価も高かったが、主人公の心情とフルートの音色がシンクロし、ドラマの中で、別収録した松岡のフルートが使われた。フルートという楽器が小さなブームを起こしたほどだった。テーマ曲の評判も良く、音楽番組に出演したことで、突然、Breezeがブレイクした。ドラマの放映が終わった時には、Breezeの「あなた」がヒットチャートのてっぺんに立ってしまった。
その後もテレビ露出が増え、3人は、時の人になった。美人は最強らしい。
花は、この10年、テレビドラマなんて観たこともなかったが、最終回まで観た。
音楽業界では「向井恵」って誰だ、という話題が出たが、増田が「秘密です」で通した。
花は、曲作りに専念していて、Breezeとは連絡も取っていない。
増田は、花の提言を受けて、シングルを小出しにするのではなく、アルバムを出すつもりらしい。
ロンドンにある曲ではなく、新たに作った曲を10曲渡していた。
ドラマのテレビ放映から半年後に、Breezeのアルバムが録音を前にして、増田から招集がかかった。それまで、花は、作曲者としても、一言も口を出していない。
「花さーん」
部屋に入ると、紗枝が飛んできて、花に抱きついた。
「会いたかったよう」
「子供か」
「だって」
紗枝の体を引きはがして、紗枝の頭をポンポンした。
「きれいになったね」
紗枝は、一皮も二皮もむけて、驚くような美人になっていた。キラキラ輝いている。
村山も松岡も激変するような年齢ではないが、垢ぬけていた。
「皆、よく、頑張ったね」
「ありがとうございます」
3人が口を揃えた。
「増田さん。ありがとうございます。あなたがいなければ、今日の、Breezeはありませんでした。ほんとに、ありがとうございます」
「私は、仕事をしただけですよ。3人が、ほんとに、頑張ってくれました。何よりも、花さんの曲があってのBreezeです」
「上手く行き過ぎて、怖いくらいです」
「私も、メンバーも、そう思っています」
「多分、Breezeは、今、てっぺんにいて、この先は下り坂が続くのだと思います。でも、優しい音楽は、足跡を残しました。下り坂の傾斜をできるだけ緩やかにして、消滅を遅らせれば、何かが変わるかもしれない。元々、優しい音楽は力を持っているんですから、決して、夢ではないと思います。そうなれば、私達5人がドン・キホーテとして風車に戦いを挑んだことは間違いではなかったことになります。私は、そう期待しています」
村山が手を挙げた。
「アルバムの中に、花さんの歌を入れたいんですが、考えてもらえませんか。ソロが嫌ならデュエットでもいいです」
「増田さん」
「いえ、私は、何も言ってませんよ」
「増田さんに何か言われたわけではありません。私は、毎日、花さんの歌を聴いています。私は花さんにはなれませんが、同じアルバムの中で、あなたといたいのです」
「お断りします」
「そうですか。そう言われると思っていましたが、どうしても、一度だけ、お願いしたかったんです。もう、無茶はいいません」
「そうしてください」
「はい」
「それと、増田さん」
「はい」
「向井恵の正体は、このまま、謎のままにしておいてください」
「わかっています」
「それと、Breezeは私の曲に固執する必要はありません。曲の提供をしたいというオファーもあると思いますので、やりたい曲があれば積極的に取り入れてください。いや、メンバーの誰かが曲を作ってもいいし、公募したっていいと思います。今のBreezeなら、話題になると思います」
「それは、将来的に、曲の提供はしないということですか」
「そうではありません。何曲でも、提供します。違う曲をやることが、Breezeの力になると思うからです。私達の目的は、優しい音楽を残すことです。私の音楽を残すことではありません」
松岡が手を挙げた。
「Breezeにフルートを入れようと言ったのは、花さんだと聞きました。どうして、フルートだったんですか」
「フルートの音が好きだったからです。私の歌の演奏は弦楽器がほとんどでしたが、何度も、オーケストラをバックにして歌ったことがあります。コンサートではオーケストラが多かったと思います。ですから、フルートの音が好きだったんだと思います」
紗枝も手を挙げた。
「どうして、私だったんですか」
「確かに、音楽志望ではなかったあなたに、ピアノと編曲を任せるのは冒険でした。でも、あなたの編曲したfarは、とても歌いやすかった。だから、賭けてみようと思ったんです。賭けが外れなくて良かったと思ってる。3人の中で、一番大化けしたのは紗枝だと思うよ。よく頑張った」
「私も、最初、素人の高校生にフルートの編曲なんて出来るのだろうかと思ってた。でも、今は、紗枝の編曲を信頼してる」
「ありがとう、玲子さん」
「じゃあ、始めましょうか」
1曲毎に、3人が打ち合わせをするので、3時間かけて10曲の演奏が終わった。
3人が、花の周りに集まった。どんな採点が出るのか心配そうな顔だった。
「ありがとう。とても、いい演奏だった」
間が空いた。
「それだけですか」
「それだけです」
期待外れだったようだ。
「私は、自分が歌った曲よりも、はるかに多くの曲を、いろいろな歌手に提供しています。でも、これまで、注文を付けたことは一度もありません。好きに歌ってください、と言っています。中には、稀に、失敗する方もいますが、皆さん、自分の責任で、自分の曲にして歌ってくれています。それでいいと思っています」
「私、曲は作れませんが、もしも、自分で作った曲なら、こう、歌って欲しいと思ってしまいます。愛着みたいなもの、ないんですか」
「ありません。そもそも、私の曲は私の曲ではありません。音の神様が、たまたま、私に伝え、私は、それを五線譜に書き取る役をしているだけです。ただ、神様はフレーズを伝えてくれるだけなので、曲にする作業は必要ですが、それは、作業に過ぎません。だから、誰が、どう歌おうと、私の曲ではないのだから、自由なんです。もちろん、いい曲に仕上げてくれたら嬉しいと思いますが、私は、単純に、よかったと思うだけです。音の神様は、最後まで責任を持て、とは言っていないと思っています。もしも、私のやり方が不満なのであれば、神様は、他の人に伝えればいいだけです」
「よくわかりませんが、私達が自分の曲として、いい曲にしろ、ということですか」
「そう思ってくれたら、嬉しい」
「それって、めっちゃ重いってことですよね」
「そうです」
「うわぁー、重い、重い」
「もう一度、見直してみようか」
「そうですね」
「そうしましょう」
3人は、もう、音楽と真摯に向き合っている。この先、いろいろな壁にぶつかるのだろうが、何とか乗り越えて欲しいと願うしかない。ただ、理不尽な暴力だけはやめて欲しいと思う。
アルバムが発売されたことで、下火になり始めていたBreeze人気が再点火された。
カラオケでも、Breezeの曲の再生回数は上位を占めている。スローバラードであり、音域も自然なので、どの年齢層でも歌いやすいことが原因になっているようだ。
花の曲にも広い音域を必要とする曲はあるが、大半の曲は、誰もが気軽に歌えるものになっている。そんな曲でも、歌い方次第でメリハリのある曲になるのが特徴と言える。
以前のように、曲作りに専念したおかげで、ストックも出来た。Breezeも自分の足で歩き始めている。歌手の仕事をしなくてもいいのであれば、大学の受験勉強を考えてもいいのではないかと思い始めていた。
大畑先生から、「お邪魔してもいいか」という電話が来た。メアリーも一緒らしい。
忙しくなって、大畑音楽教室へは、年に数回しか訪問していない。先生の予定も詰まっているので、ほとんどが挨拶程度になっている。そんな先生が訪ねて来るのは、それも、メアリーと一緒に来るということは、不吉な予感がする。
雪乃にも音楽室で待機してもらうように頼んだ。
雪乃は、自分から石井家の家政婦をやると言い出し、亜矢から料理を教わり、亜矢の助手として家事を切り盛りしてくれている。花が外出する時は、雪乃が運転する車で出かけ、必要と思った場所では、花の隣にいる。音楽事務所のビルは安全と思っているのか、駐車場の車の中で待機していた。ただ、花はマイクを身につけているので、音は全部聴いている。
花のことを知っている人は、「運転手です」と言っても、不思議だと思う人はいない。
「花、久しぶり。雪乃も元気そうね」
「メアリーさん、無沙汰しててすみません」
「Breezeの成功、おめでとう」
「ありがとうございます。聴いてくれたんですね」
「私も、趣味でフルートやるの。とても、嬉しかった」
「フルート、やるんですか」
「ただの趣味よ」
「凄いです。科学者なのに、詩も書くし、フルートも吹く、副所長にもなったと聞きました。おめでとうございます」
「副所長なんて、面倒なだけです」
「メアリーさんが、ここに来てくれたということは」
「そう、あの司教のこと」
「何かありました」
「この前、アメリカに帰った時、ジョージに会った。ジョージは、イギリスのHANAがクララだと知っていた。そのほくろで確信したと言ってた」
確かに、花の左目の上に、小さなほくろがある。化粧すれば消えるような小さなほくろだが、化粧をしていない映像もある。
「厄介ですね」
「でもね、もう、あの事件は過去のものになったと、ジョージは言うの」
「どういうことですか」
「FBIの捜査があったらしいの。別の司教の犯罪捜査の中で、あのケイン司教も捜査対象になったらしいの。ジョージも呼び出されたそう。もちろん、ジョージは花の事件を話せない。そんなことをすれば、彼は仕事を失う。しかし、捜査は立件されることなく、終了した。もう、事件が表に出ることはない、安心していると言っていた。それはジョージが追及されることはないということだけではなく、花も追及されることはないということらしい。教会側も、過去の事として封印するだろう、とジョージは言ってた。もちろん、これは、ジョージの話で、教会が言ったわけではない。でも、危険は、かなり小さくなったと思ってもいいじゃないかと思うの」
「そうですか。嬉しいです」
「ただね、ジョージが私に会いたいと言ってきたのは、あなたに安心してもいいと伝えたいからじゃないのね。ほんと、ゲス野郎だと思う。あなたの声が忘れられない。花の声はCCMを歌うために神から授かったものだ、と思ってる。もう一度、CCMの世界に戻って来てくれないか、と言うの」
「メアリーさんも、そう思うの」
「冗談じゃない。今度こそ、絶交だと言ってきた。あなたが、CCMを歌いたいと思っているのであれば謝らなきゃならない」
「まさか」
「よかった。私、その一言を聞きたかった」
「その捜査は、アメリカで報道とかされたんですか」
「いや、表には出ていないと言っていた」
「そうですか」
「何か心配」
「いえ、何となく、ざわつくんです。どうしてか、自分でもわかりません」
「ま、安心はしないほうがいいかもしれない」
「そうします」
「それは、そうと、また、音が降って来たんだって」
「そうなんです。どうなってるんでしょうね」
「どう言えばいいんだろう。おめでとう、じゃないよね」
「ご愁傷さま、でお願いします」
「じゃあ、ご愁傷さま」
「ありがとうございます」
「大学の話は、なくなったの」
「いえ、行きたいと思っています。まだ、何を専攻したいのか、どんな大学を受験するのかは霧の中です」
「そうか」
「漠然とですが、自然科学の分野がいいな、と思っています」
「理系なんだ。数学とか好きだった」
「中学では、好きな科目でしたが、中学ですからね」
「数学が嫌いな人は、中学で嫌いになってる。花には可能性があるってことじゃない」
「そうなんですか」
「やりたいことが見つかるといいね」
「はい」
「花は頑張り屋さんだから、きっと、いい研究者になると思う」
「出遅れてますけど、大丈夫でしょうか」
「それは、わからない。どんな分野でも、結局は才能の問題だと思う。だから、私は、勝手に、年齢じゃないと思ってる」
「先輩から、そう言ってもらえると勇気出ます。自分に、科学の才能があることを祈ります」
「確かに、やってみるしかないのかもしれない」
「やりたい分野が決まったら、また、相談に乗ってもらえますか」
「もちろん。喜んで」
メアリーと大学の話をした後、花は、何を学べば、楽しく学べるだろうと本気で考え始めた。
数学か、物理か、化学か、工学か、情報処理か、と考えたが、何か違う。風とか空とか海の事を知ることができたら、楽しそうだ。地球惑星物理学という学科がある。だが、中卒の花には、入試のハードルは高そうだ。でも、就職することが目的ではなく、熱中できればいいのだから、目標は高くてもいいのかもしれない。何年かかっても構わない。最悪、入学できなくても、勉強が楽しければいい。自分流の風の研究をしてもいい。
花の年齢では、大学受験の塾には行き難い。だとすると、家庭教師しかない。地球惑星物理学科の大学生か大学院生を探すのは、どうすればいいのだろう。
「雪乃さん、頼みたいことがあるんだけど、お願いできますか」
「もちろんです。何でもやりますよ」
「ありがとう。家庭教師を探してきて欲しいんです」
「いよいよ、受験するんですか」
「はい」
「どんな先生を見つければいいのでしょう」
「この学科の在学生。大学でも大学院でも構いません。できれば、女性がいいです」
「地球惑星物理学科ですか」
「はい」
「わかりました。明日から取り掛かります」
「二度手間になると気の毒ですから、生徒は、高検を取ったばかりの中卒の生徒だと、はっきり言ってください」
「わかりました。向井恵の名前は出してもいいですか」
「はい」
しかし、家庭教師は見つからなかった。
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