第33話
炎火にとろは口を割らない。確保から数日経過しても尚、彼女は頑として有益な情報を漏らさなかった。
ラピは鬱々とした感情を抑え切れず、ため息を何度も吐く。
そのタイミングで尋問室から戻ってきた孤霧が、首を横に振った。収穫なし。ラピのもう一人の部下である青年、坦克そろねも何度か尋問に参加していたが、結果は芳しくなかった。
「あぁああもう、どうすりゃいいってんですかぁあああ」
ラピは思わず頭を抱えて叫ぶ。普段ならば警察署長として威厳のない姿は晒さないようにしているが、今ばかりは我慢が効かなかった。周囲に孤霧とそろね以外いなかったのは幸運だ。
余談だが、ラピは既に威厳のない姿を無意識に晒してしまっているので、この幸運は無駄だと言っていいだろう。
「こうなったら、採れる択も少ないですね……」
普通に尋問して効果がないのなら、他の手を試す他あるまい。
例えば、拷問。これは法どころか憲法にすら違反するが、それをしているという事実が露見しなければいい。もし世間にバレたら警察が丸ごと終わるのでやらないが。
「カマをかけようにも『アルカディ』の本当の目的も何もわからないってのに……」
「丹砂さんの話では、自殺のためみたいな話だったよな」
そろねの言葉に、ラピが呻きながら答える。
「丹砂さんを引き入れるための嘘という可能性もあるじゃないですか」
「一人を引き込むためにそんな風に騙しんすかね?」
何もかもがわからない。『アルカディ』という組織の全貌すら見えていない今、炎火にとろから引き出す情報が足がかりだ。
「どうにかして揺さぶりをかけないと……」
「それこそ、『アルカディ』が壊滅したみたいな世迷言を信じ込ませでもしないと、不可能じゃ?」
「ううぅ、坦克先輩、できませんかぁ……そういう嘘を信じ込ませるの」
「無理無理。私はただの一般人。探偵の設定は持ってるけど、全く活かせてないし、技術もないし。それこそ、月夜大夫みたいに特殊な技術でもない限り……」
苦笑しながら、冗談のつもりでのそろねの言葉に、ラピは目を大きく開く。空色と金色の双眸を輝かせて、「それだっ!」と唐突に叫んだ。
「孤霧さん! いいえ、月夜太夫! あなたの力を使う時です!」
「……は?」
この時ばかりは、常に優雅を心がけている孤霧も呆けるしかなかった。
扉が開く音がして、にとろは辟易としてしまう。閉じ切った取調室の中で、一つの机と一対のパイプ椅子。少し身動ぎするだけで手錠が擦れて音を鳴らした。既に数日警察署内に閉じ込められており、にとろはとっくにこの無機質な空間に飽き飽きしていた。
「今日朝一番に訊くことはなんでえ。一番好きな祭りの屋台はわたあめ屋だぜ。デカくて派手だからな」
「……相変わらずで。炎火さん」
落ちてきた冷たい声に、にとろは顔を跳ね上げさせた。
「……手毬」
「何日振りですかね。思ったよりお元気そうで」
にとろの目の前にいたのは、紫陽花の刺繍が施されたクラシックなメイド服を纏った女性だった。
紫紺のセミロングの髪を緩く纏めており、右目の下の泣き黒子も相まって、妖艶な気配を纏っている。彼女は髪と同じ色の瞳を細め、どこか作為的に微笑んでみせた。
「どうして、ここに……」
にとろは表情を引き攣らせ、強張った声のまま問うた。それに対して手毬はくすりと笑い、スカートの裾を翻しながら優雅にパイプ椅子に座る。閉鎖されて狭苦しいこの部屋に似合わない、美しい所作だった。
「ここ数日で一気に事情が変わりました。司法取引により、他構成員を売る代わりにわたしと他数名の罪を免除していただけるようにしたのです。……炎火さん。あなたを解放することもできるのですよ」
「っ、本気か手毬! らしくもねぇ!」
「本気です。少し耳を貸してください。……このままでは勝算は薄い。ひとまず、立て直しが必要なのです。わたしとしても、何度も警察を撹乱してきたあなたを手放したくはない。どうか、呑んでください」
にとろは唇を引き結び、鋭く手毬を睨みつける。手毬はどこ吹く風で、変わらず微笑んでいた。
「はは……ふっ、ははぁはははっ!」
にとろは笑う。狂ったように笑う。高らかに笑う。
笑う。笑う。笑う。
「……んで、テメエは誰だ?」
『手毬』は、にとろの不遜な問いに頬を引き攣らせた。
「どうして……」
「あぁ? んなん、勘に決まってらぁ」
『手毬』は重々しくため息を吐いて、そしてずるりと己の髪の毛を剥ぎ取る。クレンジングオイルを被り顔を擦ると、手毬とは雰囲気が異なる妖艶な美女の貌が現れた。
その女と、にとろは既に一度会っている。
「名乗ってやせんでありんしたね。月夜孤霧と申しんす。『中の人』はコスプレイヤーでありんした」
「なるほど、それで」
普通の人間が『ガワ』に化けることはどんなに優秀なコスプレイヤーでもメイクアップアーティストでも難しい。けれど、『ガワ』が別の『ガワ』に扮装することは、実はあまり難しいことではないのだ。
「部屋も薄暗うしたし、何日もかけて口調を練習したのに、看破される時は看破されるものでありんすね」
孤霧は重々しくため息を吐きながら、仕草を己のものに戻す。先ほどはずっと『手毬』を演じていたのだ。
「確かに口調も仕草もそれらしかったさ」
「それでも、何かが欠けていた、あるいは多かったからバレたのでありんしょう?」
「敢えて言うなら、あんたには手毬の冷酷さが足りなかったんでぇ」
「冷酷? 配信で見る限り、そんな要素はあまり見られませんしたが……」
にとろはふっと、馬鹿にするように鼻で笑う。
「それはあいつの『中の人』の話。本当の手毬はとんでもねぇメンヘラでぇ。……面白えもん見させてもらった礼だ、一つ教えてやろう」
にとろはニヒルに笑い、パイプ椅子をギシリと鳴らした。
「あいつはな、目的のためなら手段も道具も選ばねえ。必要なものは他人を殺してでも手に入れる。さて質問だが、この警察署には何がある?」
「何が、と言われましても……警察署員、資金、武器……」
「正解は、仲間が二人、武器、そして目的のために必要な材料が一人」
「仲間が二人……?」
これまでに拘束してきた『天皇同盟』の面々は全員、留置所のような場所に送っている。
「プシュケ・シュヴァルツのことでありんすか?」
唯一、重要参考人であり被害者の丹砂レイと関わりがあったらしいプシュケ・シュヴァルツのみがまだ警察署内に拘束されているが、彼女のことだろうかと孤霧は思った。しかし、孤霧の予想に反してにとろは首を傾げた。
「プシュケ? 誰だそりゃ」
「違うでありんすか?」
「知らねえなあ。多分、末端の末端だろそいつ」
「じゃあ、主さんが言っているのは一体誰でありんすか?」
孤霧の頬を、嫌な汗が伝っていた。この狭い空間で一対一だというのに、背中に誰かが立っていてナイフを突きつけられているような。
「そら、決まってるだろ?」
「私達の、仲間ですよ」
暗転。
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