マリティルー3
妹が身を翻したと思ったら、その場でくるりと一回転し、卓に置いてあったトレイを持ってまた身を翻し、離れを出て行った。
「ハキルナ? ……。……!」
謎の行動に首を傾げつつ、外の気配を探る。すると、とんでもないことになっていた。マリティルも席を立つ。
「どうした?」
こちらの様子にただならぬものを感じたのだろう。ぴたりと愚痴を止め、シェクシュサが問うてくる。
「侵入者です」
短く答えて、ハキルナの後を追う。
ハキルナが目指しているのは、恐らく畑の近く。そこに知らない誰かと、もう一人の妹の気配が。魔術による応酬が感じ取れた。走りつつ、考える。
「……。いや、駄目だ」
マリティルは、浮かんだ考えを否定した。…例えば遠隔で術を使い、侵入者を圧することは出来るだろう。しかし、それを間近で見てしまうミアリに、衝撃が無いとは言い切れない。
あの子は己の内に宿る魔力を決して善いものと捉えていないし、実際にそう思えるように教育してきたのは自分たちだ。くだらない選民意識など持たぬように。そして、その教育は実を結んだように思える。
ただ、少しは自信を持たせるべきだったか、と後悔する面もある。外見のことだけでなく、ミアリが村に行きたがらないのは自分の魔力を恐れているからでもあるのだろう。迂闊に力を行使して、誰かを傷付けてしまうことを考えて、身動きが取れないのだ。これは良くない。
「……っ」
現に今、この状況。侵入者が攻撃して来たら、自分を守る為に徹底的に応戦したとしても、マリティルもハキルナも怒ったりしないのに。寧ろ、よくやった、と褒めるのに。
ともかく。そんな風に不安を抱えるミアリの前では、マリティルとて攻撃に繋がる術を使うのは気が引ける。
畑の近くではムクルンが、鳴いていた。ズゥングルは微動だにしないが、起きてはいるようだ。姿勢を低くしたまま、魔力を感じる方の様子を窺っているらしい。
それにしても、ハキルナは足が速い。自分の着ている服は裾が長いので走りにくいのは確かだが、全く追いつける気がしない。息が切れる。日頃の運動不足がこんなところで祟るとは。
ハキルナの背に、俄かに緊張が走ったのが見て取れた。視線を前方に遣る。
男が、ミアリに手を伸ばそうと、していて。
「!」
「ミアリっ!」
ハキルナが叫ぶ。更に加速して、ミアリの肩の辺りを軽く叩いていた。もう、大丈夫。マリティルにはそう聞こえたし、実際、ハキルナもそう言うつもりだったのだろう。そしてそれは、違うこと無くミアリにも伝わったようだ。
安心からかその場にくずおれた妹に、労わるようにムクルンが擦り寄る。
と。
「うちの妹に何すんの、この馬鹿っ!」
その言葉に驚いてハキルナの方を見る。容赦など一欠片も感じ取れない勢いで、侵入者の顔にトレイがぶつけられるところだった。
「……。…その為に、トレイを持っていったんですか?」
つい、どうでも良い確認をしてしまったマリティルである。小声だったのだが、ハキルナの耳はしっかりとこちらの言葉を拾ったようだった。
「ううん? 何か、盾みたいに使えるかなって思って持って来たのよ」
……完全に、攻撃の用途で使っていたが。気のせいだろうか?
そこの指摘はせずに、ミアリの元に行く。
「ミアリ。大丈夫ですか? 怪我は?」
「平気、だよ。ちょっと怖かったけど。…それより、あの人」
ミアリが指差した先に、先程の侵入者がいた。ハキルナによるトレイ攻撃に一度は仰向けにひっくり返った男は、鼻を押さえながら立ち上がるところだった。
「…ってめぇ!」
ぼたぼたと鼻血を落としながらハキルナを睨み据える男に、ハキルナはそれ以上の迫力で睨み返しているようだった。多分、自分も似たような表情になっている。
よくも、ミアリに。
気持ちは物凄く分かる。
男が術酔いを起こしているのは見て取れたが、そんなものは何の言い訳にもならない。寧ろ、そんな状態になってまで何がしたいんだ、こいつ、と思う気持ちと。マリティルが森に掛けた術のせいで、巡り巡ってミアリが危険な目に遭ったことが察せられて、猛烈に自分に対して腹が立った。
この男を魔術で殺したとしても、自分は後悔しないのでは。八つ当たりでもある危険な思考が頭をよぎる。
だが、マリティルがそれを実行に移す機会は来なかった。こちらが動く前に、脇を抜けていった人物がいた。
「ったく」
王妃の護衛は、名前だけでは務まらない。あっという間にハキルナの前に出たシェクシュサが、男の鳩尾に蹴りを入れ、膝から崩れた男の首筋に手刀を決める。突風のような早さだった。戦闘魔術に秀でている彼女ではあるが、今この場では全く魔術を使っていない。
「お見事です。シュサ」
その気になればマリティルだけでなく、ハキルナよりも速く駆けることの出来るシェクシュサは、様子を窺っていて今、必要だと思ったから侵入者と対峙してくれたのだろう。…そもそも彼女はこの場において土地勘が無いので、しばらくは付いて来るだけだった、というのもあるかも知れないが。
「あー。こいつ、は…」
意識を失った男の血塗れの顔面を見て、シェクシュサが首を捻っている。
「知り合いですか」
「王城で顔を見た覚えがある。確か…。……、何とかって言う家の、誰か、だな」
「……。シュサ。情報が欠片も入って来ないのですが」
どうやら知り合いと言う程の間柄では無いらしい。シェクシュサは、ばつの悪そうな顔をした。
「仕方が無いだろう。うちの国…と言うか、ギギとの盟約がある国は大概、姓を名乗る習慣が無いんだから。まぁ、私が家名なんかをいちいち覚える気が無いのも認めるが」
ギギとの盟約。その言葉を聞いたミアリの肩が小さく跳ねる。
「だが、こいつは王国専任魔術師の、候補の一人だった筈だ」
「え?」
それは、つまり。
「国側がお前を選んで、他の候補の人間に伝えたのが一週間くらい前だったか。それからお前のことを調べて、ここに来たんだろう。……さっきも話したが、王国専任魔術師は本来、誇るべき地位だ。候補に名が挙がったものの、選ばれることの無かった者は選ばれた奴を羨んだりもする。わざわざこの森まで来てお前を倒して、自分を選ばなかった奴らとお前を見返したかったんじゃないか」
「…『羨む』で、済ませてほしかったですね。これ、恨まれてますよね? 逆恨みですよ。わたくしはその話を受ける気は無いのに」
シェクシュサが寂しそうに微笑んだ。
「それはそれで、『自分が努力しても得られなかった地位を、あっさり捨てるなんて』と、恨みに繋がるだろうな。…人間なんてそんなもんだ」
「……」
在り得た筈の、未来。夢見た場所。最も優れた己を想い描いて、そこを目指して努力して。…それは無駄になってしまった。
気持ちは分かる、とは言えない。
マリティルだって、幼い頃に望んでいた未来と現在地は違っている。ここに来るまでに、死にたくなるくらい腹が立つこともあったし、死にそうなほど泣いたこともあった。
それでも今があることを、感謝して生きていられる自分がいる。それは自分だけの力では無い。育ててくれた両親と、その娘であるハキルナがいて。ミアリがいて。センリやシェクシュサは自分を気に掛けてくれる。
自分は幸運だ。勿論自分なりに努力はした。努力が足りていたかどうかは判断できない部分もあるが、それ以上に周囲に恵まれていた。そうしてこの場所にいられるのなら、王国専任魔術師の地位など無意味だと思えてしまう。…だから、そう思える環境にいた自分は、この男の気持ちが分かる、とはやはり言えないだろう。
「…帰る」
不意にシェクシュサが呟いた。知らないうちに俯いていたマリティルは、顔を上げる。
「こいつは連れ帰る。村まで運んで、護送の応援を頼むことにする。……少しの間、村の方に留まることになるな。プロポーズの返事を変えたくなったら、いつでも訪ねて来てくれ。喜んで迎えるぞ?」
後半は悪戯っぽく笑って言われる。どうやらこちらの落ち込みに気を遣ってくれたらしい。シェクシュサは変なところで優しさを見せる。
「遠慮します」
その言葉を優しさだと理解した上で断ったマリティルを、彼女は小さく睨み付けてきたが、結局はそれだけに留めた。
「まあ、いい。王国専任魔術師の件に託けて、お前の顔を見に来れた。それで満足しておく」
魔術で膂力を強化したのだろう。シェクシュサは男を軽く肩に担いだ。途中、ミアリの方を見て、
「ずるい。可愛い」
とかぼやいていたのは聞かなかったことにする。
「じゃ、またな」
ひらり、と手を振って去って行った。
残された三兄妹は、顔を見合わせる。
「……なんか、くたびれたわね」
ある意味大活躍だったハキルナの言である。
自分はほぼ何もしていないマリティルだが、走って疲れたな、と頷いた。
傍らでは、ムクルンを撫でながらミアリも苦く笑っていた。
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