第4話 おじさんは匂いに敏感
午前中。
冒険者らの登録作業が終わらずにいる間に、クロウが帰ってきた。
早すぎる帰宅である。
小さな会館の入口から入るには、人が多すぎて一苦労だった。
「ちょっと。ごめんよ。おじさんも中に入れてちょうだい。若者たちよ。おじさんも君たちと同じようにね。夢を追いかけているんだ。でもね、夢は夢なのさ。現実は厳しい。おじさんもちゃんと仕事をしないといけんのよ。だから、おじさんを通してちょ!」
この町のギルドマスタークロウが、人だかりの中に強引に入る。
ごめんねと言いながら歩いて、目指すは職場の仲間たちがいる受付の奥だ。
でもその途中で、ギャル武闘家の二人が立ちはだかった。
見た目も言動もめっちゃギャルの二人はいつも陽気だ。
「あら、お嬢さん方。失礼しますよ。おじさんが通ります!」
クロウはチョップのような形の手を前に振る。
おじさん独特のちょいと前を失礼ポーズだ。
「あ、マスターさん。チース」
巻いた茶髪に、大きなリングの耳のピアスが特徴的な女の子が、ウインクをして挨拶した。
「なんかびしょびしょだけど、クロウのオジサンじゃん。チース」
緑の髪に、ピアスが鼻についてる牛リスペクトの女の子が、右の人差し指と中指を顔の前で合わせて、ピース付きの挨拶をした。
「おお。君たちはギャルの子!! 今、話したい所だけど、ちょっとごめんね。俺さ、もっと中に入りたいんだ。どいてくれる」
軽い挨拶での女性二人の脇をクロウが横切ろうとすると。
「クンクン。なんか、臭いよ! おじさんの体からさ。匂いがプンプンだよ」
「ホントだ。くさっ」
おじさんのガラスのハートに傷がつく。
人込みを進んでいたクロウが立ち止まった。
「おじさんにその一言はね。もう大ショックよ。でもやっぱり臭い?」
「うん。魔物臭いよ。クロウのオジサン、どうしたの?」
「マスターさん、何かあったの?」
彼女たちが体の匂いを言及すると、周りの人間たちが鼻をつまみだした。
おじさんがよほど臭いらしい。
「みんなさ・・・ごめんね・・・そんなにおじさんが臭いのね。あの子は臭くないって言ってくれたのにさ・・・まったく正直に言ってほしい所だわ。どうしよう。ギルド会館のシャワーでも借りようかな」
「ここお風呂あるんだ。じゃあ、マスターさん。速く行った方がいいよ。めっちゃ臭いよ」
「マジか・・・急ぐわ。ありがとね。君は・・・ナルちゃんだね」
クロウは女性の顔から全身を見た。
「そうだよ。よく覚えてたね」
クロウは、女性の全体像で名前を把握している。
「当り前さ。俺はね。女性の名前だけは忘れないのよ。絶対覚えているんだ。君は素敵なレディーだから・・さ!」
かっこよくセリフを決めたつもりだったが、ナルミの隣にいるオレナから突っ込まれる。
「おじさんっぽいよ。そのセリフ」
「しょうがないじゃん。おじさんだもん。傷ついちゃうよ。オレちゃん。おじさん、ガラスのハートなのよ」
「うちの名前も覚えてるんだ」
「当然よ」
全ての女性の名前を覚えておこうと努力するのがクロウである。
「ん!? いたたたた」
ここで急にクロウの耳が引っ張られた。
長い爪が微妙に刺さっている。
「ちょっと、何してんのよ。あなた、臭いわよ。ほら、体を早く洗いに行きなさいよ。いったいどうしたのよ。あなたみたいな化け物が。戦いに行って、何で臭くなって帰って来るのよ」
「待て待て、シオン。痛いから。耳、痛いから。まずそれをやめてくんない」
耳を引っ張るのがシオンの癖なのか。
クロウの耳は赤く腫れる。
「はいはい。そこを通してちょうだい」
シオンが冒険者見習いたちをシッシっと言ってどかしていく。
「プンプン匂ってるクロウをお風呂に入れないと駄目だから、どいてどいて。この人、臭いから。ほらほら、皆どいてちょうだい。臭いが移るわよ」
「ちょっとシオンさん。なにもそんなに臭いとかって言わなくてもいいじゃないですか」
涙目のクロウが悲しい顔で言った。
「もあなた。なんでそんなに匂っているのよ。刺激臭がするわよ」
「あ! 言ったなシオンさん! おじさんにそんな事言わないで頂戴! おじさんのガラスのハートが、砕け散ってしまいますよ」
「ああ。はいはい。あなたの心がガラスなんてありえないでしょ」
魔法強化ガラスのように硬いに決まってるんだから。
とシオンは思っている。
「は? いいか、シオン。ガラス細工のように、俺のハートは繊細に出来ているんです。もうちょっと優しく言ってくれませんか。なんていうんですか。そっと抱きしめるように言ってくれないと、パリーンと割れちゃいます。ガラスなんで!」
ガラスのハートを壊さないで!
おじさんの心だって繊細なんだから。
全然おじさんに見えないクロウが言うもんだから、皆信じていない。
「はぁ。もういいから、なんでなのよ。自分の事をごまかす時に、あなたいつも喋りすぎなのよ」
ハッキリ言われてクロウの首ががっくり折れる。
答えを早く言えと、シオンの顔が徐々に怖くなっていくので、クロウが説明に入った。
「しょうがないな。俺さ。さっきここで倒れた人のSOSを受け入れて、ダンジョン救助に向かっただろ。その時にさ。俺の魔法の威力を減衰させるために、ワームの口の中にわざと入って地面に潜ったのよ」
そんな真似する人いるんだ。
彼の話を聞いている周りの人間の顎が外れた。
「んで、倒したのはいいんだけどさ。そしたら、見事に奴の粘液だらけになっちまってさ。ねばねばで臭いのよ。そんでさ。その時にさ。
彼らが遠慮したのか。
クロウはお世辞だったのかと残念がった。
「あんた。ワームの口の中に入ったですって!? それなら臭いに決まってるじゃない!」
「そうだよな・・・」
「まあでもね。あの子たち、優しいからね。きっと、気を遣われたのね」
「やっぱりそうか。みんな優しそうだもんな。だからムカつくよな。レオだけ羨ましいぜ。俺もハーレムしてみたい・・・なんで俺。女の子にモテないんだろうな」
普通に聞いたのに。
「し、知らないわよ。も、モテないの?」
シオンが動揺した。
「え。俺、モテないの。マジか。おじさんって辛いね」
「そ、そうよ。あ。あ。当り前じゃない」
言っている言葉の強さの割には、シオンの言葉には動揺が走っていた。
「そうか。そうか・・悲しいな・・・ちょっとモテたいわ」
二人が群集を抜けてギルド会館の受付の裏に行くと、受付1番を担当する天使リリアナが心配そうにやって来た。
「マスター。大丈夫ですか」
リリアナは、元神官で健康的な女性だ。
普段から動きやすいように、ピタッと体に密着する服が好きらしく、ボディラインが見え隠れしている。
シオンとは違い胸を隠してはいるが、それでも綺麗な曲線を描いていて、大きすぎず小さすぎずの平均的な女性だ。
ちなみに、おじさんは彼女の服装を気に入っているのだという。
おじさんは胸よりもお尻派。
でも胸だって好きである。
贅沢なおじさんなのだ。
「リリちゃん。君は俺に近づかないでくれ。今の臭いおじさんの近くに来ちゃいけないよ。君に臭いなんて嫌われたら・・・おじさん泣いちゃうから。もう心から泣いちゃうから」
「え? 私が? マスターを嫌うんですか? ありえないですよ」
笑顔のリリアナは、顔の前にある手を左右に振る。
「え、本当?」
「ええ。マスターは良い人ですからね。匂っても大丈夫です!」
「え?」
「どんなマスターでも、私にとっては大事なマスターです!」
「え? それってさ・・・」
「大丈夫ですよ。私を信じてください。マスター!!!」
とびきりの笑顔で、暗に臭いと言われた。
むしろハッキリ臭いと言われた方が良かった。
おじさんのハートはかなり傷ついた。
ワーム戦では、一ミリもHPを削られていないのに、今の攻撃で九割九分も削られてしまった。
今の状態だと、箪笥の角に、小指をぶつけたら死んでしまうまでになっていた。
「クロウ、いいからいくわよ。リリ。仕事やっておいて、この人お風呂に入れて来るから」
「は~い。シオンさん、仕事します」
明るい彼女は仕事を再開させる。
彼女の後姿を見て、がっくりしているクロウが言う。
「おいおい。それって臭いってことだよね。リリちゃん。ちょっと、リリちゃん。それっておじさんが臭いってことだよね」
「いいから、うるさいわよ。クロウ。あなたはお風呂!」
「いやいや、今の大切よ。リリちゃんから臭いって言われちゃったら、おじさんこの先ね。ここで生きていけないよ。お嫁にいけないよ」
「はいはい。おじさんは元々お嫁にいけないから。大丈夫。大丈夫」
お風呂に向かう途中の廊下ですれ違ったのは、トイレから出てきて手を洗っていたギルド職員のフラン。
いかにも真面目そうな眼鏡の男性である。
そして、その見た目通りに、根が更に超真面目な青年。
元冒険者で、ジョブは
外見も中身も、クソ真面目なのに、ジョブだけが不真面目極まりないのである。
「マスター。臭いです」
フランは鼻をつまんで言った。
「ごめんね。フラン君! これもしょうがないのさ」
「マスターはしょうがないで臭くなるんですか。とんでもない体ですね。普段からおじさんおじさんって言っているので、加齢臭の進化って奴ですか?」
フラン君は辛辣です。
辛辣クソ眼鏡である。
「おいおいおい。それは酷いんじゃない。さすがにフラン君。おじさんのガラスのハートを割りにきてるよね」
「そうですかぁ……じゃあ、体臭の強化ですかね」
「ちょっと、意味がほとんど変わらないんですけど。フラン君。ちょっと、さすがに重ねては酷いんじゃない?」
「あ。すみません。冒険者を待たせているので失礼します」
フランはそのまま仕事場の受付2番に戻っていった。
辛辣クソ眼鏡とすれ違った後。
お風呂場の前でシオンが色々用意する。
「クロウ、いい。ちゃんと体を洗うのよ。ここにタオルがあるからね……あとね」
シオンがタオル置き場のタオルを叩いた後に。
「それでこっちには、シャンプーとリンスね。ボディーソープは・・・こっちね」
上の戸棚を開けてボディーソープを取った。
「準備してくれるのは有り難いけどさ。さすがの俺でも、場所くらいは分かるよ。んでさ。シオンさんはそちらにいっていいですよ。俺も服脱ぐしさ。お前、ずっとここにいるけど、俺の裸でも見たいわけ? 一緒にお風呂に入りたいの?」
「お、お風呂なんて一緒に入れる訳ないじゃない!」
「なんでそんなに怒るんだよ」
「……だ、誰があなたの裸なんて見たいと思うのよ。いい加減にしてよね」
「冗談だろ? そんな怒んなって・・・まあ、いいや。じゃあ、脱ぐから後でそっちで会おうぜ。ちゃんと体洗うから、心配しなくていいよ」
という慌ただしいギルドマスターは、シオンの気持ちも知らずに体を洗いましたとさ。
めでたしめでたし。
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