頑張れと 言うより他に 能もなしへの応援コメント
「和を以て貴しとなす」と言いますが、日本は同調圧力が強いですよね。
近年ではようやく「個性を大事に」なんて言うようにもなりましたが、それも上辺だけで本質は変わっていないと感じます。
しかし、独自性こそ創作の本質だとも感じます。他にない「強み」があるからこそ、好まれる――どうか他者と違うことに誇りをお持ちください。
作者からの返信
拙文にあたたかいご理解を下さり、感謝です。「個性」と謳い上げても受け入れられるのは今の世の中のメインストリームに受け入れられる類のものに限られているに過ぎないのですから、もうお察しです。
文筆の世界はPVとか評価とかに拘らなければ、ありのままの自分を出せる貴重なフィールドだと思います。
誇り高く生きていきます。
ありがとうございます!
頑張れと 言うより他に 能もなしへの応援コメント
こんばんは😊ヨミマシタ。
ドッヂボール大嫌いなのに、逃げるのだけはうまくて、最後の1人になっちゃう人、ココを通りますよ~🎶
作者からの返信
最後の一人になるまで逃げられるのすごいです!
私は早々に外野でぼーっとしていました。
まあ、私には関係ないことなので、どうでもいいのですが😊
編集済
頑張れと 言うより他に 能もなしへの応援コメント
スポーツできる子がクラスの十分の一以下だとスポーツ出来ないけど頑張っている人に対して、
「おまえ出来ないくせに頑張ってます感出すなよ。」
「何本気になってんの?」
「おまえはこっち側でおとなしくしてろよ。」
の圧力があります。
多い方が強い。をひっくり返そうと躍起になってました。勝手に応援団長まがいの事をして。今思えばだいぶカッコ悪いですね。
それでも、頑張れと言うことしか他に出来ることはない。と今も思う。
作者からの返信
私は真逆で、スポーツが苦手かつ全く興味がないので、基本的に自分とは関係がない、コスパタイパ的にも関わる必要は全くない、というスタンスです。自分と違う他人の存在は尊重しますが、それはかれらを「積極的に応援」するのとは根本的に違うことです。
苦手だけど一生懸命やることが過度に評価されている社会は、弱い立場におかれた人々の生きづらさを増幅するだけです。
苦手で興味がなければ、サクッと切り捨てればいいだけのことです。
自分の好きなこと、得意なことに全振りしていけばいいし、私としては、それが自然体です。
苦手な人間が、得意な人間に「迷惑」をかけているとか、遠慮してしまうとか、そういうのがもう優生思想そのもので間違っていると強く思います。ありのままの姿で、他人から見下されたりすることなく、自然体で生きられる世の中にしていきたいです。
頑張れと 言うより他に 能もなしへの応援コメント
こんにちは。
『拒否をすると悪人扱い、同調圧力』
クラスの学芸会も運動会も嫌でしたねえ
なるべく目立たないものを選んでました…
作者からの返信
拙文お読みいただきありがとうございます。
自分と関係ないものに1㎜も煩わされたくない、というのはごく自然な心情であり、拒否は自然な行動に過ぎないのです。拒否も選択も「等価」であるはずなのに、拒否をする側だけがいたずらにその価値を貶められ「悪魔化」されるのはあまりにもおかしな話なのです。
クラスという同調圧力システムから、いかに身を守っていくか。
幼い人たちが、ありのままの姿で、自分に合った選択をとっていけることを願うばかりです。相当数の子どもが「同調」にNOを突き付けると思います。それでいい、いや、それがいいのです。
編集済
頑張れと 言うより他に 能もなしへの応援コメント
自分は学生時代はなんでこんなに頑張るの?だったんですが、今になってはこうゆう事に全力で打ち込める人って凄いんだな〜と思ってますね。
そして何より、こうゆうのでがんばるのって青春っぽいですよね。
作者からの返信
拙文ご覧いただきありがとうございます。
すみません。「こうゆうのでがんばるのって青春っぽいですよね」と同意を求められても戸惑います。
「こうゆう事に全力で打ち込める人」は常にこの社会に歓迎される≒きわめて都合の良い存在です。青春というなら、その欺瞞性に冷水をぶっかける具体的なアクションを損得勘定なしにあえて取っていく、このことに尽きると私は感じております。中学時代からすでにン十年過ぎ、処世術をそれなりに身に着けてしまった今、二度と同じような行動はできないけど、この社会の片隅で同じような青春を送るすべての中学生に幸あれと願っている次第です。
頑張れと 言うより他に 能もなしへの応援コメント
凄くわかる
作者からの返信
ありがとうございます。
「勝って泣き負けて泣き」が気持ち悪くて気持ち悪くて吐きそうで、パニックになっていた十代の頃。
私ひとりじゃない。同じ感性の人、絶対にあちこちに、私が思っている以上にたくさんいる。確証はないけど、今はそう感じています。
きもいものは、きもい。
全力回避一択です。
不幸にも出くわしてしもたら、あれは狸の化かしじゃけん、スルーせなアカンな。
頑張れと 言うより他に 能もなしへの応援コメント
うははは、負な感情丸出しでいいですな^p^
かくいう自分も此処迄の嫌悪感はないにせよ、学校祭とか体育祭とかの皆で頑張ってやるというのを「強制」してくる勢力には嫌悪感しかあるませんですたねー
ってアラフィフになって入所した某作業所にてグループ三施設合同のお祭りがあり、其処で何故か廻された飾り付け担当になった時、皆と一緒にアイデアを出し合い、一から考えながら見栄えを意識して看板や飾り等の製作するとかそれなりに楽しかったですけどね
……あ、勿論そのお祭り本番自体には参加してませんが何か?????
作者からの返信
拙文お読み頂きありがとうございます🙇
「私抜きに私のことを決めるな」という当たり前のこと言っているだけなんですよね。
私が何に注力し、何を切り捨てるか、それは私が決めるという普通の話なんです。
そこに居合わせた誰もが自分を安心して出しあいながらひとつのことができるって、それは素敵なことだと思います。
頑張れと 言うより他に 能もなしへの応援コメント
そんなトップ層のクラスメートたちが頑張る姿に感化され、ついつい全力応援してしまう流されやすいやつです←
でもそんな心持ちでいられたのは強制されなかったからなのかも知れません。
別世界の住人のようにキラキラしながらバレーボールで戦う女子たちにあこがれていました。
自分と距離がありすぎるから、逆に……。
情熱を強制されるのはいやですよね(´・ω・`)
野栗さん、ありがとうございました。
作者からの返信
拙文お読みいただき感謝です!
よく「自分は大勢の雰囲気に流されてきた」と「自己批判」めいたことをされる方がいらっしゃるのですが、そういうことを言いたいのではないのです。相手側をして「別世界の住民のようにキラキラ~」せしめているのは、この社会に根強くある優生思想だと私は考えております。
大なり小なり、全ての人はこの社会の矛盾と折り合いをつけながらサバイバルしてきていると思います。そんな中で、優生思想を内面化していくのは自然の趨勢です。私は、そんな自分の「内なる優生思想」にきちんと向き合っていきたいと考えているところです。
コメントありがとうございましたm(__)m
頑張れと 言うより他に 能もなしへの応援コメント
球技って
頑張りより先ず
向き不向き
げん😃
作者からの返信
まさしくその通りです。
向いている人同士だけで楽しんでればいい話で、関係ない他人にちょっかい出すのはヤメロ、です。
長いようで短い人生、自分に向いてないことに割く時間は一秒もありませんから。
頑張れと 言うより他に 能もなしへの応援コメント
野栗様、こんにちは。
超わかりみです、サッカーとかバレーボールとかの強制参加、本当に苦痛だったなあ…そんなに「お前、お荷物」みたいな目で見なくてもいいじゃん、無理なものは無理なんだからさぁ…そのくせ校内マラソンではクラスのために頑張れ!なんて期待してしてくれちゃって(足だけは速かったのです)、俺は自分の為だけに走るんだよ手のひら返しやがっててやんでい!ってなもんでした。
集団でやるスポーツは今でも無理、みんなと一緒に応援するというのも苦手です(バレーボールでのニッポン!みたいなやつ)。同調圧力受け続けるくらいならアウトサイダーのレッテル貼られた方がずっといいです。大変勇気を頂けるエッセイでした、ありがとうございました!
作者からの返信
力強いコメント、励まされます!
「全てのことに全力で臨む」ことは、例外的に超エネルギッシュな体質の人を除いて、物理的に不可能です。何かに注力し、何かをばっさり切り捨てる。それは当たり前の生活行動です。何を選び何を捨てるか、それは個々の自己決定権であり、他者がそこに容喙することは絶対に許されないことです。
ただでさえ同調圧力の強いこの社会の中で、もっと「球技大会」的なものに熱意を傾けるような連中をおちょくるような文芸が出る時が来ているのでは、と思うところがあります。
ありがとうございます!
頑張れと 言うより他に 能もなしへの応援コメント
体育(運動)で活躍できないから、と勉強をがんばって良い成績をとるとやっかみを受けるって、
おかしくないですか?
頑張りたいポイントは、人それぞれですし……。
逆バリだっていいじゃない!
(*^^*)
作者からの返信
教員からすれば、私のような生徒は非常に嫌な存在だというのは十分理解しています。しかし、仮に全ての生徒が一様に「球技大会」のようなものに最大の熱量で臨むとしたら、それはそれで非常に恐ろしくはないでしょうか、と素朴に思うのです。全員が一丸になって、という常套句がありますが、それは太平洋戦争の銃後の有名なスローガン「進め一億火の玉だ」の同義語です! こういう風潮に対して斜に構え、冷笑を投げかけ、「一生懸命に取り組む」連中を嘲弄する人間がいて、はじめて辛うじてこの社会が戦争の惨禍に突き進む一歩手前で踏みとどまっているのだと私は考えております。
温かいコメント、ありがとうございますm(__)m
頑張れと 言うより他に 能もなしへの応援コメント
そのとらえ方、全面的に賛成です。
体力のない子はどんなに辛い思いをさせられたか、思うだけで胸が痛みます。
現在もニュース番組のトップがスポーツで、全出演者が喜色満面は気色わるいです。
作者からの返信
この話は、一度も他人にしたことのないものです。私も、日本で生まれ育った日本人ですから、こういう感覚をもって生きることのリスクは十分に理解しているつもりです。
学校行事のようなものに対して盛り上がったり熱中したりするのと、斜に構えて冷ややかな視線を送るのも、私は等価だと考えています。後者が貶められる限り、この社会から差別も戦争もなくならないと確信しています。温かいコメント、ありがとうございますm(__)m
頑張れと 言うより他に 能もなしへの応援コメント
【第2回】エッセイ仲間を増やしたい! 企画者のはづきです。この度は企画へのご参加ありがとうございます。
球技大会って、運動部とかスポーツ得意な子達が熱を持って頑張っているイメージありましたね。
私は吹奏楽部で毎日のように部活がある人間でしたが、クラス対抗の球技大会ということもあり、確か部活が休みの日に、来れる人たちで集まって市営の(?)体育館で練習した覚えがあります。
クラスの皆の足を引っ張りたくない思いで、特に熱量もなく練習に参加しただけだった気がします。
作者からの返信
拙文お読みいただきありがとうございます!
外部の体育館で練習って、ずいぶんですね……
球技が苦手なぐらいで「クラスの足を引っ張る」ことになるって、すごくおかしな話だと思います。私は社会人やっていますが、球技が苦手で困ったことは一度もないです(外国語や手話ができなくて困ったことは何度もあります)。
熱を傾けるのも、しらけてそっぽ向くのも、内心の自由であり、何人もそれを侵す権利はありません。人生は長いようであっという間です。自分の得意なこと、好きなことに全振りして、球技大会の練習なぞブッチするぐらいがちょうどいいのだと思います。
何かに懸命に取り組むのと同じかそれ以上に、何かを全力で拒むことはそれ自体価値のあるいとなみです。
昨今の情勢、私は非常にきな臭いものを感じていますが、その淵源は中高の球技大会のような暴力的同調圧力だと私は考えております。やりたくないものはやらない、それは基本的人権に他ならないということを今一度確認したいと思います。
ありがとうございました。