第37話 匂い

 王族専用の馬車に乗るのは2度目だ。

 馬車内には王様と俺の他に前回と同じくパドウが同乗し、馬車のすぐ外を馬に跨った騎士が並走し護衛をしているところは同じだった。

 だが前回と違い、護衛は武装して周囲を警戒しながら任務に当たり、護衛同士の連絡のためか窓の外で馬が前後に移動する様子が頻繁に見える。

 王様とパドウの会話から、我がフォルトラ国と隣接し、前回越境者が見つかった地域のすぐ隣の国であるグレンブノ国側が、王との面談を求めてきたことがことの発端らしい。

 越境者の噂が、隣国グレンブノにも届いており、濡れ衣を着せられる覚えはないと立腹しているのだとか。

 元々東のグレンブノ王は好戦的で、付け入る好きを与えると戦争を仕掛けてこないとも限らない。

 そのため、フォルトラ側でグレンブノに一番近い城である、辺境伯の城での会合に応じることになり、今、またあの忌まわしい辺境伯の城に向かっているというわけだ。

 人間は、嫌な思い出のある場所がトラウマとなることも多い。

 前回、この城で命を狙われたことで、王様は辺境伯の悪事を確信し証拠を固めている最中だったはずだ。予期せぬ再会となってしまったが王様は大丈夫だろうか。

 俺は執務室での王様の顔色が悪かったことが気がかりだった。

 幸い、パドウと隣国の使者をもてなす手筈を検討している馬車内での王様は、自信に溢れたいつも通りの姿に見える。

 俺には、このまま何事もなく王宮に戻れることを祈るしかできないが、せめて王様の傍から離れないでいようと心に決める。


「陛下。こんな短期間に再びお出で下さるとは、嬉しい限りです」

 わざとらしい猫撫で声を出し、取って付けたような笑顔のミダリル辺境伯が、王様一行を出迎える。前回と同じだ。

 歓待をして見せた後で人の命を軽んじるだなんて、憎たらしい辺境伯の顔は睨みつけても足りないが、王様が大人の対応をしているのに顔に泥を塗る真似はできない。

 大体、俺のことは眼中にないようだから、どんな顔をしていても関係ないんだけど。

 馬車の中で王様は、前回置いていった部下たちが城を掌握しているはずだからと、洸哉に心配かけないように笑って話していたが、ミダリル辺境伯と会話を交わしている王様の、全身から溢れる緊張感がもの凄かった。

 きっと周りの人たちには、それも王様のオーラと感じているだろう。治療魔法を習得してからなのか、王様に限ってなのか、何故か俺には王様のオーラの種類がわかるようになっていた。

 辺境伯と別れ、前回滞在した部屋と同じ部屋に通された王様に付いていく。

「明日は隣国の使者を出迎えるから、構ってやれないが一人で平気か」

 王様には俺が小さい子供に見えているのだろうか。

「俺より王様が平気ですか?」

 叱責を受けてもおかしくない俺の物言いにも、王様は目を眇めるだけだ。

「傍にいてくれると心強いんだがな」

 まただ。

 じっと見つめられ、俺に向かって甘い言葉をかけて来る王様から目が離せなくなる。

「ウォッホン、ゴホンゴホン」

 パドウの大きな咳が部屋の中に響く。

「パドウも大丈夫?治癒魔法、必要?」

振り向いて確かめるが、ジトっと睨まれた。何故だ。

「今晩はこちらに泊まることになりますが、コーヤの部屋はいかが致しますか」

「何かあっては困るから、ここで良い」

「えっ?俺、王様の部屋だなんて恐れ多いです。パドウ、別の空いている部屋はないの?」

「コーヤはこう言っておりますが?」

ニヤッと王様に笑いかけるパドウが、意地の悪い顔になっている。

「……一緒でいいだろう?コーヤ」

何故か、しょんぼりとした耳が見えるようだ。

「王様がよろしいのなら、ご一緒させていただきます」

 多少誘導された感は拭えないが、自分で王様と同室で良いとは言った。言ったが!?



 ミダリル辺境伯の城に着き、部屋で一息ついた王様は、その後すぐパドウを連れて打合せに行ってしまう。城の警備の責任者や、王宮から連れて来た警備兵、ミダリル辺境伯との打合せが続き、王様が部屋に戻ってきたのは夜も更けた深夜だった。

 俺は部屋で一人で待つことになり、退屈の余りソファでうたた寝をしていた。

 そこに帰って来た王様は、来ていたロングコートやジレを次々と脱ぎながら、ソファに横たわる俺の手を引き起こした。

「こんなところで寝るな。ベッドで寝るぞ、コーヤ」

 俺の手を片手で引いた王様は、もう片手で白シャツのボタンを器用に外している。

 そのまま居室に続く寝室の扉をくぐり、部屋の真ん中奥に鎮座する巨大なベッドのシーツを捲ってもぐり込んだ。

 俺もベッドの上に引っ張り上げられて、崩れた体勢を整えた。

「あの、俺はどこで寝れば……?」

「ベッドが1つしかないんだ。決まっているだろう?」

 シーツの端を持ち上げ、隙間を作ってくれる。

 いやいやいや。

「俺、ソファで良いです」

ベッドを這い、降りようとすると、王様が素早い動きで跳ね起き、背中から捕らえられた。

 耳のすぐ傍で王様の息遣いが聞こえ、くすぐったい。

「行くな」

 吐息とともに聞こえる低い声は掠れて色っぽく、全身の力が抜ける。

「コーヤと一緒に寝られると思い、急いで仕事を終わらせて来たんだ」

 きゅんと胸が締め付けられた。

 俺の力の抜けた身体は、王様の手によってそのままシーツの中に引きずり込まれて、腕枕の中にすっぽりと収まってしまう。

 服を身に着けたままだったが、どのみちこの体勢では今夜は眠れそうにない。

 うたた寝をした俺と違い、王様は疲れていたのだろう。

 俺の髪の毛に高い鼻を埋め、くんくんと匂いを嗅いでいたかと思う間に、すうすう寝息に変わっていた。

 髪の匂いなんて嗅がないで欲しいと言う間もなかったな、とクスっと笑ってしまう。人の汗臭い頭を嗅ぐなんて王様も物好きだよなと考えていると、目の前の王様のシャツの胸元から王様の匂いがしてくるのに気が付いた。

 王様の鼻から逃れるように少し頭を反らせて顔を見上げる。ブルーの瞳が瞑られ、規則的な寝息をたてている。眠っていても凛々しい顔を確認すると、また胸元に顔を近づけて王様の匂いを嗅ぐ。

 うーんいい匂い。俺変態かもと思いつつ、安心する匂いに包まれていつしか洸哉も眠りの世界に引き込まれていた。

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