前夜②

 深夜。


 メイの他に誰も起きてはいないだろう。トレーニングも……特に焦って追い込む時期ではない。


 なんとなく製術機関ビルに居づらくなったジュラはダンボールマスクを被り、一人外に出た。


 確か、古い知り合いが言っていた。一人になりたい夜はコンビニに行け、と。


「いらっしゃいませー、ってえぇ⁉︎」

 自動ドアをくぐると、軽快なメロディとともに気怠げな夜勤スタッフが飛び跳ねた。


「あ、待って、待ってくれ。怪しい者じゃない!」


 夜のコンビニにダンボールマスクを被った男が現れて、驚かない人間はいない。強盗か、少なくとも不審者ではある。よく夜道をここまで来れたものだ。


「……俺は、アクターのマスクド・ペチャパイスキーだ」

「えっ、あっ、え? え、マスクド・ペチャパイスキー⁉︎」


 店内を一度見渡したスタッフはレジ台を飛び越え、ジュラに接近した。


「ファンです、握手してください!」

「それで通報されないなら、いくらでも」

「よっしゃー! あとあと、これ! ここにサインも!」

 スタッフジャケットを脱ぎ捨て、白いTシャツの背を見せるスタッフ。


「あぁ、喜んで」

 歓喜に震えるスタッフの背に、『マスクド◾︎ペチャパイスキー』と油性マジックで書くジュラ。


 ※◾︎=ダンボールマスクのイラスト。四角に黒の塗り潰し二つで目元を表している。マスクド◾︎(改行)ペチャパイスキー。


「ツーショットもいいっすか⁉︎」

「もちろんだ。レィル……オーナーも、SNSへの投稿を許してくれるだろう」

「{ペチャオナ}アザッス! くぅー、深夜にバイトしててよかったァーッ!」


「それで、その、買い物をしてもいいか?」


「あ、もちろんです! すみません、急にこんな……」

「いや、こんなものを被ってきた俺が悪い。それと……」

「はいっす! 買い物の内容については、ええ、全く! プロなので!」

「悪いな」


 深くお辞儀をして、青年はレジへと戻った。


「…………」

 綺麗に商品が陳列された棚を眺めるジュラ。


 以前も利用しないわけではなかったが、何の目的もなく、というのは初めてだ。


「…………」

 店内を物色していると、見覚えのない、良さそうな加工肉を見つけた。脂質や添加物も抑えられていそうで――

 

「! …………」

 手に取ってよく見ると、ペットフードのジャーキー類だった。ヘルシーに見えるわけだ。


「…………」

 食玩のコーナー。値段の割によくできている。


「…………」

 そうして、ジュラは立ち尽くした。何をしたらいいのかわからなくなったのだ。


「……すまない」

「はい、なんでしょうか!」

「俺は特に用もなくここに来て、折角だから何かを買おうと思っている。……なにを買ったらいいだろうか」

「へ?」

 ファンボーイは豆鉄砲を食らったようにして、しばし固まった。


「その……ここには、散歩のついでに来たんだ。目的もなくコンビニに入るのは初めてで、どうしたらいいのかわからない。サービス外だというのは承知の上だが……助けてくれないか」


 その言葉に、ファンボーイは震える。


「すげぇ……すげぇ、やっぱり本物のマスクド・ペチャパイスキーだ!」

「だから本物だと……」

「そうか、エゴサなんかしないもんなペチャパイスキーは! みんな言ってるぜ、おつかいはできるけど買い物はできないタイプって! たまんねぇな、生ペチャパイスキー!」


 ひとしきり興奮した彼は、自らの頬を強く打ち、スタッフの顔つきに戻った。


「コンビニに来たからには、まずホットスナックだ。そこのケースに並んでいるだろう? 気に入ったのはあるか?」

「じゃあ……肉まんを四つ」

「かしこまりました」


「あと、オススメはあるか?」

「当店ではオリジナルカフェメニューが人気です」

「じゃあ、君の好きなメニューを。飲んでみたい」

「いちごフラペチーノですね!」

(結構可愛いもの飲むんだな、この人……)


 意識を向けてみると、レジ周りにも商品が所狭しと並んでいる。会計の際、ついでに、という計らいなのだろう。なるほど、実にコンビニらしい買い物だ。


「あとおれは、財布に余裕があったらコレっすね」

「くじ?」

「一口からご購入いただけます」

「じゃあ……三回分。以上でお願いします」

「ありがとうございます!」


 ……。


 レジ袋に肉まんを、手にいちごフラペチーノのカップを。そして、

「キリンとシマウマのクリアファイルに……キツネのキーホルダー?」

「タヌキっすね」

「タヌキのキーホルダー……。何かの流行りなのか?」

「さぁ。ウチも、上から取り扱うように言われてるだけなので」

「そうか。助かったよ、ありがとう」



◆◆◆



 近所の公園のベンチで、とも思ったが、今度こそ通報されないかねないので、帰宅したジュラ。


 日頃過ごしているトレーニングエリアのベンチに腰掛け、はじめてのおかいものの成果を確かめる。


「うん、あまり美味しくはないな」


 不味いというほどでもない。(日付は変わってしまったが)今日の晩食べたファミレスの料理もそうだが、ジュラにとって大抵の飲食物に対する感想は『普通』である。取り立てて美味しいわけでも、不味いわけでもなく、だからこそ一人で何かが欲しいという考えに至らない。

 必要な栄養とカロリー。それが様々な味や色、温度で虚飾されている。それだけだ。


「……こういうのも、楽しめた方がいいんだろうか」


 ユイが顕著だったが、レィルもギソードも、食事を楽しんでいるようだった。そのヒマがあれば、もっと興行のことを考えられるのに。


 どこで、誰と食べるかが大事だという。ショッピングモール“プラズマ”でレィルと連れ立っていたときはファンに喜ばれていたが、それも興行あってのものだ。アクターではない自分がそうしていても、誰も何も思わないだろう。


「………………」

 復讐のため、とレィルは言う。何故、何のために――わからないならそれでいい、とも。


 包み紙とカップを捨て、くじの景品をじっと眺める。 


 クリアファイル……二つもどうするというのか。

 キリンもシマウマも、可愛らしいとは思う。しかしそれは、あくまでこうして眺めているからだ。興味が向かなければ、存在しないも同然だろう。


「…………」

 レィルは代々継いできた会社の経営を傾けてまで、ジュラ・アイオライトを――自分を見つけ出し、買い取って、興行に復帰させてくれた。


「……どうして俺なんだ」

 彼女がジュラ・アイオライトの熱狂的ファンであることは重々理解しているつもりだ。


 しかし、それはまでしてくれる理由に足るものとは到底思えない。


 コンビニの彼は、しばらくすれば今夜のことを忘れるだろう。それはとても健全なことだ。


「…………」

 ファンだから。ジュラ・アイオライト失踪について納得がいかなかったから。傾いた経営の一発逆転を狙ったから。


「…………俺である必要はないだろう。いや――」


 違う。


「そうか、俺は怖いのか」

 来たるデッドエンドに際し、何か理由があって、ギソードやユイが向こうに立つかもしれないことについて、何かが引っ掛かってはいた。

 自分の人生がショーとして消費される分には全く問題ない。


 だが、それが仲間たちに――レィルに見捨てられるのは、怖い。


「また一人になるのは、いやだな。気をつけよう」


 タヌキのキーホルダー。どことなくレィルに似ている気がするので、陽が登ったら手渡そう。

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