神様と結末 (2)
オレはスマート・デバイスを作業机の上に置き、自室に隅に置いていある荷造り用のロープを手に取り、ベッドに向かった。ベッドの上では相変わらず、静かにアンが横たわっている。メインバッテリが落ちている状態なので、雷の直撃のような大きな電気的衝撃がない限りは、アンは文字通り、死んだように動かないままだろう。
アンドロイドが夢を見るかどうか、については、第一次大ロボット産業時代に盛んに議論されたらしい。細かい派閥や主張はカレッジの頃に流し読みした程度だが、オレの手元にも文献がいくつか残っている。その結論は、アンドロイドもデフラグメンテーションのような記憶装置にアクセスする中で、特異な体験、つまり、夢を見る、ってことで落ち着いた。すると、今度は工学ではなく深層心理学のプロフェッサーが本格的にアンドロイドの夢について研究を始めた。だが、第二次大ロボット産業時代に移行し、世界の主流が単一目的のロボットの利用に落ち着き、アンドロイドがアンティーク扱いされたことで、注目度は一気に消えた。オレもそのプロフェッサーの名前は忘れてしまった。
まあ、アンはメインバッテリをオフにしているので、工学的には、夢を見ていないはずだ。
それでも、これからアンにしようとしていることは、寝ている異性に悪戯するようで気が引ける。それでも、進むためには足を上げ、前方に踏み出さなければならない。
オレは心を鬼にしてアンを――縛り始めた。まずは、両手。両手首の内側を揃え、そのまま手首を縛る。人間と違って、指先の細胞が死ぬようなことはないので、気持ち強めに拘束する。アンそれから両足。これも固定しやすい足首を揃えて縛る。これで両手足の動きは制限された。アンの型は成人女性なので、その身体の線はかなり華奢だ。だが、アンドロイドの人工筋肉は人間の筋肉よりも軽く、強い。だから細心の注意を払った。本当は全身を拘束すべきなのかもしれないが、オレは緊縛術や捕縛術を習ったことはなく、知識がないのでスルーした。人間なら、これに加えて噛みつきを警戒して口を塞ぐのが筋だろうが、アンドロイドの口内は飲食用のための強い歯は備わっていない。だから、噛みつかれてもたかが知れているし、家族同然のアンの顔面に何か細工をするのは、手足を縛るよりもよっぽど気が引けたのでこれも止めた。これで、アンが愛に飢えてオレを物理的に攻撃してくるのを、未然に防ぐことができるだろう。
さて、後はアンのセンサが動作するように、メインバッテリを入れるだけだ。
つい先刻のアンの姿が脳裏に浮かぶ。
振り上げた包丁。冷酷な表情。荒ぶる動作。オレを呼ぶ声。
あんなアンを見ないためにも、オレはオレのやるべきことをやる。
オレは覚悟を決めた。
オレはアンをお姫様抱っこするようにアンの上体を持ち上げ、アンの首に添えた手で首の裏のメインバッテリを入れた。
オペレーティング・システムが起動し、アンの目に生気が宿り始める。
アンの第一声は、先ほどと同じく。
「神様神様……」
オレの名前を連呼する。オレを呼んでいる。そして、その目がオレを認識した。
オレも行動を起こす。
まず、アンの上体を強く抱きしめた。華奢で、オレよりも一回りほど小さなその身体を、心と魂を込めて抱く。
そして叫ぶ。オレの頭はアンの頭のすぐ真横にある。オレの言葉は間違いなくアンの耳のマイクロフォンに届くだろう。
「アン! 愛している!」
オレの張り上げた第一声に、アンの口から漏れる声が途絶えたことに気づいた。
反応あり、だ。
イケる!
そう思い、オレはアンへの気持ちを、考え得る限り全て、口から吐き出す。
「アン! アンは家族だ! オレにとって唯一で、無二で、誰にも代えられい、大切な家族だ! アンが起こしてくれない朝は最悪だ! アンの声で始まる一日こそ至高だった! アンの作る食事はオレの好みから少しズレているけれど、それでも温かい食事は美味しい! オレ一人きりの食事なんて要らないくらいだ! アンの声を聞きたい! アンに話をしたい! アンの顔が見たい! アンと色々な仕事をしたい! アンと色々な場所に行きたい! アンのいない生活なんて考えられない! アンはオレを孤独から救ってくれた! アンがいたから生きてこられた! アンはオレのことを神様なんて言うが、そうじゃない! オレはアンドロイド工房の主人で、一人のちっぽけな人間だ! だが、アンがいた! アンがいたから、オレはアンに恥じない生き方をしてこられた! オレとアンを引き合わせてくれたことこそ、何よりの奇跡だ! 神の御業だ! ああ、そうだ! オレの命は百年もない! だが、そんな短い人生の中で、アンに出会えた! アンはオレの母親で、姉で、教師で、それからそれから……そうだ! もう伴侶と言っても過言じゃないね! 古い言葉で言うなら、オレの嫁ってやつだ! もちろん、社会的には認められるようなものじゃないだろう! だが、世間に、社会に、他人に非難されようと、オレはアンドロイド工房の主人で、アンの神様であり続ける! オヤジがそうだったからじゃない! オレが、誰でもないオレがこの生き方を決めた! だから誰にも止めさせやしない! この腕に抱いたアンの重さと誇りにかけて、誓う! オレはアンを愛している! オレはアンに夢中だ! アンが欲しい! 感謝してもしきれないが、あえて言う! ありがとう!」
そこに道理も理屈もなかった。ただただ思い浮かぶものをただ羅列しただけ。情熱。熱意。熱情。激情。言葉は何だっていい。オレの心の素を晒した。
だけど、だからこそ、伝わるものもあるのだろう。
パッションはまだ残っていたが、ボキャブラリが先に底をついた。だから、オレは言葉を失い、ただただ、アンを強く抱いた。
それからオレの心臓がやけに大きく弾んでいた。息も荒い。顔も火照っている。アンを抱く手が震えそうになるのを、力を込めて制する。
どれくらい時間が経ったか。数秒だったかもしれないし、数分だったかもしれない。まさか数時間ってことはないだろう。やがて、アンが静かに声を発した。
「神様。昼食の準備に取りかかります。神様。何故アンは縛られているのでしょう?」
アンがいつもの機械的な口調で尋ねる。
オレはまだ少し不安を残しながらも、アンを抱いていた手を解く。身体を離し、アンの上体を、顔を見る。そこにはいつものアンがいた。オレの知っているアンだった。もちろん、アンドロイドの顔面が大きく変化することはないが、オーラと言うか、空気と言うか、雰囲気がいつものアンだった。
「よかった……」
オレは安堵した。アンは正常に戻ったようだ。
「神様。拘束を解いてください。昼食の準備に支障が出ます」
「っと、ごめんな」
アンの再度の文句に、オレは慌ててアンを縛っていたロープを解いた。そして、大切なものに触れるように、優しくロープで固定していた箇所を手で撫でる。もちろん、人間と違って、血行をよくするようなことはなく、意味のない行為である。だが、物理的に意味はなくとも、精神的には大きな意味を持つ。
オレがアンを大切に想っている。
それが行動として自然とオレの身体を突き動かすのだ。
だが、通常稼働に戻ったアンは、そんなオレの気持ちはそれほど気にしていないようで、オレの手を無視し、すぐにベッドから下りた。
それから滑らかな動作でドアまで行き、振り返る。
「それでは、昼食の準備に取りかかります。昼食が出来次第、お呼びします」
それだけ言い残し、アンはオレの部屋を出た。流石はアンドロイドだ。クールさは一級品だ。
残されたのは心臓バクバク、手汗びっしょり、頭の中グラグラのオレだけである。
だが、それでもとりあえず成り行きをジーナスに報告しようと、よろよろとした動作でスマート・デバイスを手に、ジーナスにメッセージを送った。
成功、とだけ。
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