神様とアン (3)


『さて、では、このジーニアスのボクがどうして通信事業者にハックしてプライオリティ・コール扱いでマスターに急いで連絡を入れたか。ボクが徹夜してどんな結論に達したか。それらを説明したいのだけれど、準備はいいかな?』

「ああ。腹は空いているし、身体も心も疲れ切っているけれど、包丁襲撃のお陰で頭は冷えてる。ジーナスの言葉はちゃんと理解できるよ。今ならカレッジの卒業論文くらいなら一読で理解できるだろうよ」

『それは不幸中の幸いだね』

「でも、ジーナスほど頭は冴えない。凡人にも分かるくらいに噛み砕いて説明してくれるとありがたい」

『ああ。分かったよ。おっと、いつまでもプライオリティ・コールを扱っていると、ボクもマスターもあらぬ疑惑がかけられる。いつものボイス・チャット・ルームで続きを話そう』


 ジーナスは「あらぬ疑惑」とは言ったが、通信事業者にハックしたことは明らかに違法行為である。いわゆる「通信の秘密」にも抵触する行為だろう。


「オッケー。じゃあ、またすぐに。オーバー」

『うん。通信終了。オーバー』


 ジーナスはサクッとコールを切った。


 オレもスマート・デバイスを扱い、ジーナスとのお馴染みのやり取りをするため、ボイス・チャット・ルームにアクセスした。


『やあ。数秒ぶり』

「だな。随分と久しぶりだ。もう顔も声も忘れそうだったよ」

『ああ。そういえば、顔は久しく見ていないね。今からでもビデオ・チャット・ルームにしようか?』

「いや。その必要はない。オレの脳裏にはまだカレッジの頃の若くて可愛いジーナスの顔が焼きついているさ」

『あはは。ボクはマスターの老け顔に興味があるけどね。それから、ボクだって一端のレディにはなったよ。士別れて三日なれば刮目して相待すべし、さ』

「それは、さぞ女性的になったんだろうな」

『……まあ、本当は身長も胸もお尻も大きくならなかったよ』

「そいつは残念」


 そんな他愛ない挨拶を交え、でも、お互い真剣で冗談もそこそこに本題に踏み込む。


「で、ジーナスの結論を聞こうか?」

『うん。だね。でも、結論は少しエキセントリックでね。だから、時系列を追って説明するよ』


 オレはスマート・デバイスを持ったまま、カーテンを開け、作業机に腰を据えた。長話になりそうだ。


『まず、ボクはマスターにアンドロイドのデータを貰った。ソフトウェアとハードウェア、両方の、ね』

「ああ。そうだった。特にハードウェアは手描きだったから、かなり時間がかかった。画像データにするだけでも大変だったさ」

『ああ。うん。そうだろうね。ボクも手描きの設計図なんて初めて見たよ。ヒストリーのテキストに文字として載っていたのを知っていたくらいだった。人間って、あんなにも精緻な図面を描けるとは思わなかった。素直に感心してしまったよ』


 確かに、ジーナスの言う通り、等身大の設計図はとても精巧に描かれていた。髪の毛の一本一本とまでは言わないが、手足の指の関節みたいな細部も正確に描いている。これがコンピュータによる自動作成ではなく、人間が紙とペンで描いたとは、にわかには信じ難いレベルだった。


「それで、フリーで公開されているアンドロイドデータとの差分だったか? どうだったんだ?」

『うん。まず、ボクはソフトウェアに注目した。ゲームじゃないけど、制作者がわざと隠した裏コマンドみたいなものがないかと思ってね。結果はこの時点ではグレーだった』

「グレー? 白でも黒でもないとはどういうことだ?」

『この時点では、ね。正直に言うと、ソフトウェアの記述の中には意図が読めないフラグがいくつもあった。それ自体はプログラミングの能力の高低によるものかと思っていたんだが、その数は多く、そして、広く分布していた。不自然なくらいに、ね。もしあるソフトウェア技術者、あるいは、ある組織が作成したものなら、そこには癖と言うか、偏りが生まれるのが自然だ。だから、ボクはグレーだと判断した』

「なるほど。つまり、異常っぽく見えるが、何が異常か判断できなかった、と」

『そう言うことだよ。それがソフトウェアの、ボクの専門の限界だった。だが、それだけでは終わらなかった』

「……ハードウェアか?」

『ご明察。ハードウェアの設計図は、マスターの撮影した画像データだったから、まずはそれを分析可能なデータに画像処理してみた。実はここに酷く苦労させられた。何分、手描きだ。線の濃淡、太さ、それを正確にデータ化するのに手間取った。だが、お陰で以降は問題を画像解析に落とし込むことができた。ソフトウェアなら、ボクの領分だ』

「それで、何が見つかったんだ?」

『うん。これも結論はソフトウェアと同じ。意図の読めないハードウェアが散見された。率直に聞くよ? マスターはアンドロイドに関しては、ソフトウェアとハードウェアの両方をある程度高レベルで知識と経験を有している。そうだよね?』

「ああ。それは自信がある。一人でアンドロイド工房を切り盛りするくらいには、な」

『じゃあ、ここで質問だ。マスターはトランジスタやコンデンサ単位、言い換えれば、小さなアンプやスイッチ一つ一つを吟味したことはあるかい? 分解したことがあるかい?』

「……答えはノーだ。基礎原理はもちろん知っているが、流石に市販されている回路のパーツ一つ一つの中身までとなると、オレの専門の外だ。そこに何かあったのか?」

『コレクト! 意図しない小さなハードウェア一つ一つは意味をなさない。だが、ここに意図しない小さなソフトウェアの記述が重なると話は別だ。ハードウェアとソフトウェアが揃えば、ロボットとして機能するには十分。そうだろ?』

「確かに、ジーナスの言う通りだ。その結論は筋が通っている。それで、その意図しない二つが揃うと、何が起きる? 意図は何だったんだ?」

『焦らないで。ここからが、少しエキセントリックな結論なんだ。……まず、確認だ。マスターはボクの言葉を信じてくれるかい? それがどんなに突飛な答えでも?』


 ジーナスの言葉の裏に見えたのは不安だった。オレの支えを欲している、そう直感した。


「もちろんだ。オレのカレッジの同期のジーナスは、他のカレッジの同期からずば抜けていて、プロフェッサーを含む誰もが認めるジーニアスで、何より、オレが認めた友人だ。その言葉は信頼するに十分だ。その気持ちに一切の揺らぎはないさ」

『……ありがとう』


 ジーナスの返事に温かみを感じた。ジーナスに力添えできたなら、オレとしても本望だ。


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