愛を食す

空き缶文学

プロローグ 出会いの話

「何か困りごとはありませんか?」


 フード付きの赤いコートに細身の黒いパンツ姿の少女。

 ボルトアクションライフルを背負う。腰のホルスターには四五口径のダブルアクションリボルバー。

 空虚で穏やかな碧眼を食料雑貨店の店主に向けた。

 髭面の店主はフード越しでも分かるほど美しい少女に見惚れるが、すぐに首を振る。


「あー悪いな、特に困っちゃいないんだ。お嬢さんアンタ、狩人か軍人か?」

「いいえ、何でも屋をしています。人食い狼の駆除でも、片付けでも、買い物でも」

「駆除はつい最近、マッケナ軍の駆除班に依頼しちまった。今日来るんだよ」

「そうですか……失礼しました」


 空っぽの笑顔を浮かべたあと、少女は何も買わずに立ち去った。

 店を出ると、向かいの牧場にいる農夫二人の立ち話が聞こえてくる。


「親戚のシェリアから手紙がきてな、一年前くらいか、美しいお嬢さんがやってきて、人食い狼だらけの森まで行って旦那の形見を持ってきてくれたんだと、名前は赤ずきんとか言ってたな。本名は教えてもらえなかったらしい」

「赤いコートを着た美しいお嬢さん、一度でいいから拝みたいもんだ」


 褒められているというのに、少女の心は表面さえ揺れ動かない。ただ静かに、農夫達の横を通り過ぎていく。

 話を止めた農夫は、少女の容姿に目を奪われ、しばらく目で追ってしまう。


「まさかな」

「あ、あぁそんなまさか、な」


 お互い軽く笑い、仕事に戻った。


「失礼します! 都から参りましたマッケナ軍駆除班のワイアットと申します!」


 元気の良い大声に隠れた喉の震えが、到着を知らせる。

 二〇代前半のワイアットは背筋を伸ばして軍隊式の敬礼をしてみせた。

 食料雑貨店から顔を出した髭面の店主。


「やっと来たか、ってアンタひとりだけ?」

「はい!」


 店主は腕を組んで、訝し気に頷く。


「ほぉ、そりゃご苦労さん……で、軍人さんよ、リボルバーだけで人食い狼の駆除をしてくれるのかい?」

「へ」


 間抜けな声を出し、背中に手を伸ばした。本来なら背負っているはずのライフル銃が無く、空を掴んだことに気付く。


「あ……わ、す、大丈夫です! 駆除できます!」


 ワイアットはそれでも大丈夫と豪語した――。





――不安を重く背負いながら森に向かうワイアット。


「どうしよう、ライアン隊長に連絡した方がいいかな、いやでも忘れたなんて知られたら今度こそ除隊だ……」

「どうも、新米兵士さん」

「はぁーなんでいつも肝心なときに忘れ――えっ?」


 思いもよらぬ挨拶に、立ち止まったワイアットは確かめるため顔を上げる。

 赤ずきんがボルトアクションライフルを手に持ち、深い森の入り口で立っていた。 

 帽子越しに頭を掻き、見開いた目で赤ずきんを何度も映した。

 そして、彼女の名前を声に乗せようと息を吸う。

 ほぼ同時に掌が口を塞いだ。


「むぐっ」

「約束、忘れましたか?」

「ぷぁ、ごめん、でも、まさかここで会えるなんて思わなくて……」


 久しぶりの再会に喜ぶワイアットに、赤ずきんは空っぽな笑顔を返して、ボルトアクションライフルを差し出す。


「え、あの、えーと」

「前に、駆除でお借りした分、今回お貸しします」

「あ、あぁ! いいの?!」


 間抜けな声がよく通る。

 赤ずきんは静かに頷く。


「あ、ありがとう……本当に助かるよ」


 ライフル銃を受け取ったワイアットは離すまいと握りしめ、真剣な眼差しに切り替えて森を見つめた――。






「えぇーと、赤ずきん」


 さほど深くもない町近くの森。空から注ぐ白い光が辺りに差し込んでいる。

 茂みを掻き分けながら進むワイアットは、黙って後ろを歩く赤ずきんに戸惑い、声をかけた。


「はい」

「俺ひとりで駆除できるから、大丈夫だよ? ライフル銃もちゃんと返すし」


 赤ずきんは小さく首を振る。


「いえ、大切な銃ですから壊されたり、失くしたりされると困りますので」


 空白な微笑みに違和感を覚えつつ、ワイアットはぎこちなく頷いた。


「ねぇ赤ずきん、一緒にいたあの狼はどうしたの?」

「さぁ……どうしたんでしょう」


 遠くを見るような淡々とした返しに、ワイアットは居心地悪く帽子の鍔を摘まんで位置を直す。

 さらに茂みの中を進んでいくと、草が重さでへし折れ、獣の足跡がいくつも残っている。

 楕円の肉球と、長い丸い掌球の跡。


「人食い狼の足跡に似てるけど少し違う、他にも獣が居るかもしれないから気をつけて」

「縄張り争いをしている可能性もありますね、あとは、そうですね」


 赤ずきんは静かにホルスターからダブルアクションリボルバーを抜いた。

 シリンダーに六発。茂みの奥に銃口を向ける。

 ワイアットは怪訝な表情を浮かべ、赤ずきんの行動に傾げた。

 すると、草同士の擦れる騒がしい音が迫っていることに、ワイアットは遅れて気付く。

 ライフル銃を構える隙もなく、太い牙を剥きだしに涎を巻き散らす人食い狼が姿を現した。

 赤ずきんは冷静な表情で、破裂音を響かせる。

 人食い狼は全身を一瞬揺らしたあと、仰け反るように後ずさり、草を潰して倒れる。

 生臭い血溜まりが土を汚す。

 人食い狼は小刻みに痙攣したあと、数秒も経たないうちに、動かなくなった。


「あ、あー……すごいね」

「自分の命は守れますのでお気になさらず。ワイアットさん」

「う、うん」


 気を取り直して獣道を辿る。

 道中で、首を噛み潰された人食い狼の死体を見かけ、ワイアットは状況を掴めずにいる。

 その先、開いた場所に他の木々より太く伸びた樹木が見えた。


「血が、たくさん飛び散ってる……縄張り争い?」


 ワイアットは唾を飲み込み、慎重にライフル銃を構えて辺りを警戒する。

 土や草を濡らす黒に近い血液と、樹の根元に震えている物体が見えた。横には、腹を噛み千切られて虫の息状態である四足歩行の狼。

 赤ずきんは碧眼を大きく見開いた。


「狼? まだ小さい……あ、赤ずきん、無暗に近づいたら危ないってば」


 吸い込まれるように赤ずきんは狼のもとへ進んでいく。

 ワイアットは辺りを警戒しながら赤ずきんの行動を見守る。

 震えているのは毛が赤く汚れた赤ん坊の狼だった。


「元気そう、親は……」


 隣で口を半開きにして微かな息を漏らす親狼。

 子狼は親を求め、精いっぱい喉を鳴らす。


「あぁ……」


 力なく零した声に、ぴくり、と尖った耳が動く。琥珀の瞳が大きく開き、上体を起こした親狼は、鋭い牙を剥き出しに襲い掛かる。


「赤ずきん!」


 一瞬のことだった。

 気付いた時には、右腕に太い牙が沈んでいた。

 離すまいと噛みつき、我が子を必死に守る親狼の瞳孔を、赤ずきんはただ呆然と見つめる。

 爆裂音とほぼ同時に親狼の首に穴が開いた。樹木や、赤ずきんの顔、赤ん坊狼の体にも血が飛び散った。

 だらん、と顎の力がなくなり、真っ赤な体液が土を染めていく。

 小さな狼の悲痛な鳴き声が耳に残る。

 ライフルを背中にかけ、急いで駆け寄るワイアットは過呼吸気味に息を荒くさせた。


「はぁ、はぁっ、す、す、すぐに止血する!」


 ポケットから救急用のガーゼと包帯を取り出して、牙の穴が開いてしまった右腕にガーゼを宛がい、震えながらも迷いのない動きで包帯を巻いた。

 赤ん坊の狼は必死に喉を鳴らし、ワイアットを邪魔するように暴れる。


「どけって、赤ずきんが、彼女が死んじゃう! どけよ!」


 目に涙を溜め、震えた喉で必死に叫んだワイアット。

 か細く「大丈夫」と呟いた赤ずきんが、左手で赤ん坊狼を抱き寄せた。

 真っ赤に染まる包帯をテープで押さえて応急処置を施し、赤ずきんを横に抱えて町まで運ぶ。

 その間も赤ずきんの腕にいる赤ん坊狼はワイアットに唸り続けた……――。






 ――ワイアットは町の診療所に駆け込んだ。

 他の患者を押しのけて受付もせずに診療室に突入するという強引さに、周りは不満気だったり、驚いたり、と様々な反応を見せる。

 医者と看護師も突然の駆け込みに驚いたが、赤ずきんの怪我を見て、すぐ治療に取りかかる。

 縫合し、ガーゼと包帯を交換する。感染しないよう薬も注射してもらう。

 その間、小さな狼はワイアットに抱えられているが、暴れて何度も噛みつこうとしている。


「もう大丈夫ですよね、死なないですよね?」

「軍人なら毅然としてなさい。で、怪我だけど経過も診たいからもう少し町に滞在してくれ。いいね?」

「はい……」


 空っぽで、穏やかな瞳をした赤ずきんの返事に、医者はため息をつく。


「何があったか訊かないが、迷惑かまわず突っ込んできたボーイフレンドに感謝しなさい。命を大切にするんだよ」

「はい、ありがとうございます」


 静かに感謝を零し、赤ずきんは立ち上がる。


「あ、おい、こらっ」


 ワイアットの腕から離れ、赤ずきんの胸に飛び込んだ。


「まぁいいけどさ、とにかくホントに良かったぁ……」


 力が抜けたように安心する。

 診療所を出た後、町の宿屋に確認を取ると、


「ダメダメうちは動物禁止、狼なら尚更。どんな病気持ってるか分からないし、危険すぎる。悪いけど野宿してくれ」


 拒否されてしまう。


「狩人の部屋に、いや、テントの方がいい?」


 ワイアットは腕を組んで軽く唸りながら提案する。


「そうします。あとは私ひとりで大丈夫ですから、ありがとうございました」

「いや、元はといえば俺が武器を忘れたからこうなったんだ、完治するまで責任持って一緒にいる」

「と、言われましても……ねぇ」


 胸の中でぐるぐる唸る小さな狼を覗き、肩を落とす。


「俺に責任がある。だから、俺も面倒を見させて……それぐらいしかできないしさ。でも、本当に君が生きてて良かった」


 鍔を摘まんで、安心した口調で呟いた。

 赤ずきんは穏やかに微笑む。


「ありがとうございます」

「赤ずきん、落ち着くまでの間、都においでよ。色々、考えることもあるだろうから」

「…………」


 小さな狼の顎を指先で撫でると、軽く唸りながらも喉で鳴く。

 キラキラと光る琥珀の両眼。

 赤ずきんは唇をキュッと締めた――。

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