第36話
「弓削と巫礼が逃げた?」
協会の人間がせわしなく出入りをする中、大原はその話を地上の救急テントで聞いた。
「ああ。的場は今下の奴らが確保した」
トランシーバーで指示を出しながら、山本は語った。
「どうするんだ」
「どうしようもない」
その声に振り向くと、隼人が後ろに立っていた。
「京都支部はどうだった」
「別に。通常業務をしているだけだった。突入した奴らはしばらく事情聴取で動けなくなるぞ」
隼人は吐き捨てるように言った。
「何かなかったか」
山本の問いに、隼人は胸ポケットから一枚の写真を取り出した。
「こいつがデスクに置かれていた」
山本がそれを見ると、大原に手渡した。その写真には男が一人写っていた。二日前、墓地で見た男だった。裏返すと『約束の場所で会おう』そう書かれていた。
「自分の写真を置いて逃げたのか」
山本の言葉に、大原は
「こいつが弓削なのか」
と訊いた。山本と隼人は頷いて答えた。
「大原さん、どうしたんですか」
医療班と共に軽い消毒をしてくれていた賀茂が声をあげた。
「山本、車を出してくれ」
「……あてがあるのか」
大原の突然の申し出に、山本は冷静に答えた。
「いってやれ。ここの指揮は私が執ろう」
そう言って現れたのは真理だった。
「……わかった。真理はここを、風間には京都支部の方の指揮を――」
「いや、俺が行く」
そう言葉を挟んだのは隼人だった。
「俺が安頼の言う場所へ連れていく」
山本は大原の言葉をまった。
「ああ。隼人でいい。連れていってくれ」
山本はうなずくと、車のキーを隼人に渡した。
ケガの治療が終わったのを確認して、大原は立ち上がった。
「まて」
声の主は風間だった。
「忘れ物だ」
手渡してきたのは廃病院でなくした刀だった。それだけわたすと、風間は病院に姿を消した。
「大原さん……」
賀茂のしぼむ声が、尾を引いた。
「お前も来い」
そうして、三人で山本の車に乗り込んだ。
車は北陸自動車道を東に走っていた。
「まさか墓地で会ってたとはな」
「ああ」
煙草の煙を吐きながら言った。バックミラーで後部座席を見ると、賀茂は疲れからか眠っていた。
「巫礼はどうする」
「奴らは神出鬼没だ。だが、このまま引き下がる風でもないないだろう。ワケがあるはずだ」
新宿であえて姿を現したり、葬式で大原を生かしたままにしたり。それらはすべて何か意図があるはずだ。大原はそう考えていた。
「会ったらどうする。討つのか」
「……いや、チャンスをやる」
「チャンス?」
隼人は怪訝な声をあげた。
「ああ」
煙を吐き出しながらまた言った。煙をすかして車内に差し込まれる夕日は、光芒となって降りそそいだ。
「俺は贖罪のチャンスを偶然得られた。俺は、彼らからそのチャンスを奪いたくはない」
ふうん、隼人はそう言った。
「いつか、駒井支部長から親父さんの話を聞いたことがある」
「俺の親父か」
ああ。隼人はそう答えて話を続けた。
「親父さんと支部長は昔おなりだったんだ――おなりってのは、要はバディだ。バディを組ませることで、そこに霊的な守護が宿ると協会は考えているんだ」
大原の表情から、隼人はその疑問を先読みして答えた。
「二人の最後の仕事は巫礼を追うことだったそうだ。親父さんは常に彼らに選択の余地を残していたそうだ」
「選択の余地?」
「ああ。二度、巫礼を追い詰めたことがあったそうだが、その二度ともとどめはささなかったらしい。親父さんは巫礼になにか事情があるはずだと常に言っていたらしい」
巫礼は協会に子供を取り上げられた――山本から以前聞いた話だ。親父は、彼らに何を感じていたのだろうか。あるいは、自分と同じものを感じていたのではないか。大原はしばらく思いを巡らせた。
夕日が宵に溶けきる頃、あたりに雨がちらつきはじめた。
「イヤな感じだな」
そう言って隼人はカーステレオでラジオの周波数を探った。
『交通――陸道は事故のため――――気情報――日の滋賀県は夕方から降りはじめた雨が強い雪に変わると予想されます――』
ラジオはノイズまじりに情報を発した。
「事故か。どこだろうな」
隼人は思案するようにラジオの情報に耳を傾けていた。
雨が雹をはらみ強さをます頃、道路わきの電光掲示板に『事故のためこの先十キロ渋滞』と映し出されていた。
「ここだったな」
大原の言葉に隼人は溜息をついた。
渋滞に並ぶ車たちは長時間の運転をきらい、次第に目的地とは違うインターで降りはじめたり、サービスエリアに入ったりして、三時間の渋滞を抜けた後の高速は、時間もあいまって大原達を乗せる車以外は走っていなかった。――雪が、降りはじめた。
「サービスエリヤによる」
トランクにあるであろうチェーンをタイヤに履かせるための提案だった。
「ああ」
大原は適当に返事をして、外の様子を注意深く眺めていた。サービスエリヤの駐車場は、大原達を乗せる車と、離れたところに止まる一台の合計二台しかとまっていなかった。
「安頼、手伝ってくれ」
手渡されたのは使い捨て用のチェーンだった。
「あの車、ヤな感じがします」
車から降りてきた賀茂は白い息を手でおおいながらそう言った。
「そうだな……」
大原と賀茂はその車を凝視した。
「おい、二人とも――」
そう言って立ち上がった隼人は、何かの衝撃に言葉を切った。
「隼人ッ!賀茂は車の影に入れ!」
倒れ込む隼人に肩を貸して、大原は車の影に入った。
「血が向こうに飛んでます。おそらく、敵はあっちです」
賀茂の示す方向には売店と食堂が併設された建物があった。隼人の血痕の近くにある
「巫礼だ」
「大丈夫なのか」
撃たれたのは肩だ。そう言って隼人は車に体重をあずけた。
「令子の姿は見えるか」
隼人の問いに、あたりを見渡したが、視界は雪で白くかすむばかりだった。大原は首をふった。
「……」
隼人は何かを決心するように大原と賀茂を見た。
「なんだよ」
「俺が囮になる。血の飛ぶ向きから巫礼の正確な場所を判断するんだ」
「しかし……」
大原より先にその考えに反対したのは賀茂だった。
「しかし、巫礼士時は――」
「“対象の時間の逆行”、つまりは銃弾も手掛かりの限りでないのは確かだ」
滝沢の葬式でもやられたように、撃った弾を再び銃に戻す芸当――あれをやられれば巫礼の正確な位置を探るのは困難になる。巫礼が常に同じ位置から撃ってくるとも限らない。狙撃をする以上、位置が特定されないことには細心の注意を払うはずだ。
「ダメだ。勝算がない」
「……マズルフラッシュと銃声が勝算だ。弾をもどすときにマズルフラッシュはおこらない。そして、銃声が通常の発砲音とは違うモノになる」
スコープの反射はアテにできないと隼人は言った。
隼人の言うとおりであれば、巫礼の居場所は特定できるかもしれないが、それでも最低一発は誰かが受けなければならない。その一発で命を落とすこともある。サービスエリア外から狙撃している場合は、もはや手も足もでない。
「ダメだ。サービスエリアから出る方法を考えるんだ」
「チェーンはまだタイヤ二本しか履けてない。車が動かせても、逃げる最中にも誰かが撃たれる可能性はあるんだ。車が撃たれて壊れれば、この雪のなかで立ち往生だ」
ここで巫礼を追い払うのがもっともいい判断なんだ。隼人はそう言って立ち上がった。
「リスクは、俺が背負う」
隼人はそう言うと、車の影にはいりながら撃たれた場所から反対側に走った。
――始まってしまった
「くっ」
銃声はあったがマズルフラッシュは見えなかった。そもそも、この雪では見えるモノでも見えない。隼人は右肩を撃たれたようだ。血は最初の方向とは違い、隼人の右斜め後ろに飛んだ。
隼人はそのまま、大原達を乗せる車の駐車向きと角度を合わせるようにまっすぐと建物に向かって走った。建物と車の関係は直角だった。
「いっ」
銃声は確認できた。マズルフラッシュは同様に見えない。
血の向きはさきほどと同じ斜めに飛んでいた。つまり、現状ではスナイパーは血の延長線上にいるはずだ。それがわかった瞬間、大原は駆けた。駐車場にとまるもう一台は大原達の車と同一線上にある。血の向きから考えるともう一台も乗ってきた車同様に遮蔽物になるはずだ。もう一台にたどり着くと、トランクを背にしてしゃがみこんだ。隼人は足を撃たれたようで、その場に膝をついて動けないでいる。
不用意に車から飛び出すのは危ぶまれるが、隼人を考えるとすぐにでも飛び出さなくてはならない。サービスエリア内であれば、場所の見当はついている。建物の屋上、そこしかない。
大原が車の影から飛び出そうとしたとき、雪にまぎれて、いつかのつぶやきが耳に届いた。
『Engrave Miiden』
直感的に大原は振り返った。その視線の先で、隼人は後ろから飛んできた弾に首を撃ちぬかれた。視線を建物の屋上に戻すと、そこには巫礼士時と巫礼令子が立っていた。大原は建物わきの〈従業員以外立ち入り禁止〉の柵を飛び越えて階段を駆け上った。銃を胸から抜くと、ろくに構えもせずに横撃ちするように発砲した。
「危ないわ」
令子はそう言って、士時の背中に手を添えながらなんなく銃弾をよけた。大原は詰め寄りながら排莢し装填し、構えなおして再び発砲した。
「まただわ」
令子はそう言って、再び旦那の背中に手を添えて誘導するようにして銃弾をよけた。大原は再び詰め寄りながら排莢し、装填した。構えると、先ほどから距離を詰めているのに、まったく巫礼夫妻との距離が変わっていないことに気づいた。
「もういいかしら」
「お前たちの目的はなんなんだ。的場は協会で保護した。的場の護衛が目的じゃないのか」
大原はがなるように問立てた。
「俺たちは、的場の厚意でここに立っている」
「もういいかしら」
再びの令子のその発言に、大原は銃弾で答えた。しかし、当たることはなかった。
「このっ――」
踏み込んだ先で、急に接地感が薄くなった。足元をみるころには、建物内に落下していた。
「そこ、工事中だったのよ。ダメよ足元は見ないと」
そう言って巫礼夫妻は天井の穴から姿を消した。
「あとこれ、返すわ」
声だけ聞こえると、なにかが穴から降ってきた。大原は怒りに銃を発砲した。
大原が上ってきた階段から正反対の位置にある階段を降りた巫礼令子は、本宮の傍で膝をおっている賀茂を認めると、夫に先に車に乗るように指示して彼女の方に歩みをすすめた。
「あなた達は、何が目的なんですか」
目に涙をためた賀茂は、しかし力強く問うた。
「そうね……“再出発”を、“解放”を求めているわ」
令子はいつか遠くを眺めるような目で言った。賀茂はその表情に、感じていた怒りややるせなさは、どこか見当違いなものなのではないかと感じ、口を閉じた。
「あなたがここにいるという事は、流れに抗っただけではないようね」
強くなったのね。そう言って令子は賀茂に一瞥しその場を後にした。
「ごめんなさいね」
その謝罪は、独白にはならなかった――
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