第26話

 どれほど経ったのだろうか。目を覚ましてあたりを見回すと、いまだ夜は明けていないようだった。


「雨霧――」


 あたりを探そうと一歩踏み出ると、その感触に違和感を覚えた。ぬれたアスファルトのような感覚がある。落ちていった先が通りだったのだろうか。また一歩踏み出すと、背中で声が聞こえた。


「よぉ、大原さん」


 振り返ると、そこには滝沢の姿があった。


「滝沢――」

「そんな驚くなよ。文護にきいて飛んで来たらこんな雪山にいるってんだから驚いたぜ」


 違う。滝沢はあの日死んだはずだ。なぜ、なぜ滝沢がここにいる。


「あっちだ」

「え――」

「あっちにいけば山を出られる」


 滝沢の指さすほうに目をやると、ビルの隙間から光芒がさしていた。――ビル?


「ちがう。これは、これは幻だ」

 大原は左手をポケットに突っ込んでサイコロに触れようとした。


「大原さん」

 しかし、左手に巻き付いてくる体温に意識を奪われた。


「大原さん、行きましょう」

 赤い頭頂部――垂れる二つの三つ編み――


「賀茂――」

 胸が行き場を失う。心臓が窮屈だ。


「行きましょう」

 賀茂が左手を引っ張る。


「文護もまってるぜ」

 滝沢が右から手を肩に回す。


 俺は――俺は――――――


 滝沢の胸をおし、賀茂の手を振りほどいた。


「俺はまだやり残したことがある」


 賀茂を救わなければいけない。それに――


「そんなのは偽善だよ。そんなのは一視点でしか成り立たない正義だよ。忘れたの?大原さん」


 その声に、胸をわしづかみにされた。


 二人はもういない。目の前にいるのは、拈華譲二だった。


 一――五――違う六。三――四。――六――七、違う八――違う一――


「無駄だよ」

 拈華はそう言って一歩こちらに歩み寄る。


「滝沢を救えなかったのは大原さんが無理にホテルに踏み入ったから」

「――」


「そうでしょ。もっと調べてから動けば宮村一家のビルの爆発に間に合ったかもよ」


 二――四、違う五――七、違う。――五、二。――四――五――違う八――違う七――そう七になる数――四――三――


「あの日、巫礼を撃てていれば賀茂はさらわれずに済んだかもよ」

 こめかみが鋭く冷え切った細い針で刺されるように痛い。しかし、これは幻のはずだ。


「僕のことは簡単に殴ったくせにね」

 大原は言葉をうしなった。胸が圧死するような感覚。


「でも、巫礼もなにか訳があるかもしれないもんね」

 そうだ。いや、そうであっても――大原はうなだれた。


「僕も訳があったんだけどね。大原さんに殴られちゃった。ひどいよね」


 ちがう。あれは、あれは違うんだ。


「間違いで人を殴る警官なんかいるはずないもんね」


 痛かったなぁ。知ってる?警棒ってすごく痛いんだよ。頭が割れちゃうくらいに。拈華は続ける。


「僕は大原さんと似た感じで、父親にもう一度会いたかっただけなのになぁ」


「すまない」

「いいよ」


 その言葉に、顔をあげようとしたが、拈華の顔を直視することは到底できなかった。


「かわりにさ、その銃で自分の頭、撃ってよ」

 拈華の差す指を追っていくと、その先に自分の右手に握られた銃があった。


「それで許してあげる。それで贖罪はおわり」

 銃で頭を撃つ。それでおわり。


「そう。賀茂のことが気になるかもしれないけど、それは一視点の独りよがりな考えだよ。巫礼にさらわれたかったかもしれないし、そうでなくとも、その先で幸せに暮らしてるかもしれないよ」


 ああ――そうだな。


 拈華の言う通り、俺は一つの視点からしかモノが見えてなかった。その結果、拈華に必要以上の重たい後遺症をのこした。


「そうだよね」

 さあ。そう言って拈華は大原の右手を支える。


「さあ、撃鉄をおこして、引き金を引いて」

「ああ」


 撃鉄を起こすと、シリンダーが重たく回る感触があった。

 引き金をひけば、すべておわる。


 大原さん、大原さん。


 引き金に指をかけると、不思議と金属の方が暖かく感じた。


 大原さん、大原さん。


「さあ」

 拈華の声にうなずいた。


 大原さん、大原さん。


 ――誰だ。


 最近、誰かがずっと俺を呼んでいる。


 大原さん、大原さん。


 お前は誰だ。


 大原さん、私――賀茂です。


 賀茂?なんの用があって俺を呼ぶんだ。


 大原さん、助けてください。


 たすけ――


「大原さん。さあ、はやく引き金を引くんだ」


 大原さん、私は、さらわれたくもないし、今、幸せでもないです。


 ――――――。


 だから――そんなのに耳を貸さないで!



 視界は、暗闇から一変して晴れた夜空に覆われた、一面雪の大地へと姿をもどした。あたりに足跡はふたつ。うち一つはあたりを右往左往し、自分の足元に続いていた。もう一つは、途中で途切れていた。


 撃鉄をもどし、空を見上げた。

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