第17話
摘発の日、大原が逃げた後マコもすぐに隣のビルに乗り移った。しかしそこで、コートを着た二人の男に捕まった。一人は身長が高く、黒いステンカラーコートを着ていた。もう一人は、今も店に訪れる宮島だった。二人はほとぼりが落ち着きはじめるのを見計らって、マコを車に乗せた。
「どういうつもり。だれなの」
マコの言葉に、コートを着た男が答えた。
「君を安全な場所に連れていく」
「質問に答えなさいよ」
男たちはそれきり口を開かなかった。
三十分ほど車を走らせたところで、テナント募集の張り紙が目立つビルの前にとまった。コートの男は車を降りると、あたりをうかがいながら後部座席の扉をあけた。
「あら、ずいぶん紳士的なのね」
マコは皮肉を言って車をおりた。
「ここならヤクザの手は当分のびてこない。ほとぼりが冷めるまではここにいた方がいい」
「どういうこと。いつ落ち着くかもわからないのに知らない場所でどうやって生活しろって言うの」
マコはコートの男に吐き捨てるように言った。
「ここのビルは君のために買い上げてある。生活はそこですればいい」
男はそう言うと、宮島と入れかわるように車に乗り、走り去っていった。
かわりに残った宮島を見た。
「歌舞伎町は戦地になります。規模はわかりません。ただ、間違いなく危険な場所になる」
「いきなり誘拐されて、それを信じろっての」
宮島は小さなビジネスバックをマコに手渡した。
「なによ、これ」
「このビルの書類です。必要なければ売ってもらっても構わない。ただ、何度も言うようですが、ここは安全です。店に残るお知り合いも、こちらに呼んだ方がいい」
「……」
「なにより、それが大原警部のためになる」
それでは。そう言って男は立ち去った。
マコは、射抜かれたように動けなかった。
ふうん。大原はそうつぶやいて、清掃員の二人を見た。
「いやぁ知らなかったね」
「うんうん」
清掃員の二人は顔を見合わせて頷くばかりだった。
「呼び止めて悪かったな」
そう言って二人を退散させた。
再びマコに視線を戻すと、バツの悪そうな視線が逃げるようにふせられた。
「宮島ってのは今日も来るのか」
「いつもなら来る頃だけど――」
「もう来てますよ」
声の方を向くと、スーツに黒いピーコートを着た男が立っていた。
「ジンを、ロックで」
「おい」
男はコートを脱ぎ、大原のとなりに座った。
「大原警部も飲みますか」
「スカしてんなよ」
立ち上がろうとした大原を、マコはロックグラスを乱暴に置くことで制止した。
「やるならヨソでやんなよ」
大原はドカッと乱暴に腰を下ろした。
「それで、聞きたいことがあるんじゃないですか」
宮島はカウンターをおしぼりでふきながら言った。
気にくわない奴だ。そう思いながら大原は口を開いた。
「お前はどこの人間だ。何のためにマコを助けた。歌舞伎町が――」
言葉の途中で、宮島は手をあげて制止した。
「私はこういうモノです」
そう言って見せられたのはいつか賀茂がみせていたモノと同じ手帳だった。
「お前、協会の人間なのか」
「ええ」
「協会の人間がなぜ摘発の日にあの場所にいた。誰の指示だ」
宮島は腕時計に目を落とした。
「おい」
「私はあくまで監視役です。語るには値しない」
「何言ってんだよ、お前」
宮島のうしろで客入りをしらせるベルが鳴った。あとはあの方に。そう言って再びグラスに口をつける宮島をしり目に、扉の方を見ると、そこにはよく知る顔があった。隼人だった。
「待たせたかな」
「いえ、ちょうどよかったと思います」
宮島は一つ奥の席に移り、大原の隣を隼人に促した。
「オリンピック、頼めるかな」
マコは黙ってカクテルを作りはじめた。
「隼人、どういうことなんだ」
隼人は煙草を一本取り出し、重苦しく煙をはいた。
「あの日、俺と宮島でマコを保護した。何が聞きたい」
隼人は煙の行方を見つめながら言った。
「まず、そこの宮島とはどういう関係だ」
「大原には、こっちに戻る前は地方の転属になると言ったかな」
「ああ」
「俺は新宿署を離れた一年間、協会に飛んでたんだ」
「……それで」
「そこで俺の下に着いたのが宮島だ」
「転属してすぐに部下がつくのか」
隼人は煙草をまたひと吸いし、気だるげに煙を吐いた。
「俺の場合、入り方が少し特殊でな」
「ずいぶん、秘密主義なんだな」
そこで、隼人と大原の前に飲み物が置かれた。
「頼んでない」
「サービスだよ。飲んどきな」
勧められたグラスに口をつけると、ウイスキーの甘さにジンジャーの香りと辛味があった。しかし場を考えてか、その味はかなり薄めて作られている。
「他には」
「何のためにマコをさらった」
「……そうだな」
しばらく考えるようにグラスを覗いた後、
「安頼の尻ぬぐい、ってんじゃダメかな」
と隼人は言った。
「いいと思うのか」
大原は隼人を見ずに言った。
「警察としては、時間稼ぎが必要なんだ」
隼人は短くなった煙草を灰皿に捨て、もう一本に火をつけた。
「隼人、お前どこまでこの事件を知ってるんだ」
マコを遠ざけることが時間稼ぎになると踏んでいる以上、摘発の前から事件の全体像を知っていたはずだ。それとも、他に確たる証拠を持っているのだろうか。
「詳しいことは何も。すべては裏がとれていな推測だった。ただ言えることは、この事件は二人の男が糸を引いている。俺はその一端に属していただけだ」
そう言うと隼人は立ち上がってカクテルを一気に飲み干した。
「まてよ」
立ち上がろうとした大原は、隼人に肩を押さえられる形で席に抑えられた。
「もう行くよ。お前に話したのは礼儀だ。協力するためじゃない。言っただろ。何もしてほしくないんだ」
そう言って離れていく背中に、宮島が入った。
「どけよ」
宮島をどかして隼人を追おうとしたとき、腹に重たいモノを食らった。
「てめぇ」
「ここまでが仕事なんです」
宮島はそう言うと、大原の髪をつかんで店の外に放り投げた。
外に投げ出されると、煙草をふかしている隼人と目が合った。
「おい――」
隼人につかみかかろうとして、横から回し蹴りをくらった。
「――――!」
大原はそのまま地面に倒れ、立ち上がろうとしても四つん這いの状態から起き上がれなかった。
二人が道路に停めてある車に入っていくのをただ見ることしかできなかった。そうしているうちに、大原は意識を失った。
目が覚めると予想とは違う天井が目に入った。
「目が覚めましたか」
「ああ」
声の主は文護だった。
「てっきり店で目を覚ますモノだと思ってたよ」
「長居しても、あの状態では迷惑になるので」
そうだな。そう言って大原は自身の体調を確かめた。四肢の感覚はあるものの、実感が薄い。頭もいくらかぼけているように感じる。
「後頭部を蹴られたそうです。マコさんから聞きました」
「なるほどな」
しばらくソファに身体を預けていると、急ぎ足で階段を上る音が聞こえた。
「もう起きてんのか」
事務所に入ってきたのは滝沢だった。
「ああ」
「もう平気なのか」
「まぁ、出歩くくらいなら問題ないだろう」
大原は滝沢の様子から調べるアテでもできたのかと思い立ち上がったが、そうではなかった。
「いいんだ。座ってきいてくれ。巫礼のアテがあと二三日でつきそうだ」
「場所は」
「やはり都内だろうって話だ。他の組の調べじゃ京都の方から回って来てんじゃないかって話だ」
「ふうん」
それだけ聞いて、大原は事務所のノブに手をかけた。
「もう行くのか」
「ああ。あと二三日で押さえるってんなら休んでおきたい」
「明日の夜、ここに来いよ」
そう言って渡されたのは地図の書かれたメモだった。
「……何時だ」
「まぁ二十時くらいがちょうどいいだろ」
滝沢の視線を受けて、文護もそれを了承した。
「それじゃ」
なにをするのか聞かなかった。そのメモで大体の予想はついた。それが少しでも自身を楽にしてくれるなら、それもいいだろうと大原は思った。
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