第9話

 あの後、乱暴にパトカーに押し込まれた大原達は、新宿署に連行された。


「はいってろ」


 後ろの警官に軽く押される形で入ったのは、取調室だった。机が二つ。取り調べで被疑者と向かい合うモノと、記録を取る人間が使うモノ。


 まさか自分が調べられる立場になるとはな。大原は気怠い吐息をもらした。


 腰を下ろすと、すぐに二人の男が入ってきた。


「久しぶりだな、大原」


 一人は同僚の佐久間だった。もう一人は会釈だけして後ろの机に座った。


 佐久間は防犯課の男だった。防犯課は配偶者からの暴力や近隣トラブル、風俗営業や古物営業の取り締まり等、人々の生活に近い犯罪を取り扱う課だ。先日の摘発も、佐久間からの協力があった。


「異動したって聞いてたんだがな」


 佐久間はそう言って灰皿を置き、煙草に火をつけた。


「ああ」


 佐久間は値踏みをするように大原を眺めた。


「今日の廃ビルでの事について教えてくれるか」


「見ての通りだよ」


大原は無精ったらしく言った。


「大原、わかるだろ」

 大原は答えなかった。


「同僚に取り調べみたいなことはしたくないんだ」


「今してるのは違うのか」


 佐久間を横目に言った。洗いざらい話してもいいが、警察が派手に動けば、その分一家の連中は身を潜める。一抹の思いもあった。


「大原、頼むよ」

「言ったろ。今日の事は見ての通りだって」


 佐久間は一息に煙をはいた。


「わかった。じゃあ質問を変えるよ。西村組とはどういう関係なんだ」


 佐久間の取り入るような声が耳をついた。


「たまたま居合わせたんだ」


「大原、少しは協力してくれよ。何が気に入らないんだ」

 

 佐久間は半ば呆れた声を上げた。


「お前、三木の捜査にかかわってるか」

「ああ」


「じゃあお前ら、昨日発砲事件があったのは知ってるな」


 シマを守るために文護たちが起こした事件の事を言った。


 佐久間は一気に熱が冷めたような顔になった。


「大原、お前まだ三年前の事を気にしてるのか」


 佐久間の顔を見かえした。


「いいか。今回の発砲事件も、三年間の事もなかったんだよ」


「なかったんじゃない。もみ消したんだ」


 大原の言葉を聞いて、佐久間は顔を歪ませた。


「それが気に入らなくて協力しないのか」


 大原は答えなかった。しばらく黙っていると、灰皿でこめかみを殴られた。散っていく灰の向こうに、佐久間の表情が見えた。


「いいかげんにしろよ。四課崩れが組と繋がりやがって」


「なんだと」


 立ち上がろうとする大原を、佐久間は机を大原に押し付ける形で制止した。


「もうお前は警察じゃないんだよ!ぐちぐちこっちの事情に口出ししやがって」


 大原は机をひっくり返して、そのまま立ち上がりざまに佐久間に前蹴りをしたが、蹴りが届く前に突き飛ばされた。


「握ったくらいでガチャガチャ言いやがって!他にも山ほど不正があるのはお前もわかってるだろ!」


 わかっている。大原自身、いくつもの不正を目の当たりしてきた。


「わかってくれよ。もうガキじゃないんだ」


 感情を吐息に含ませながら佐久間は吐き出した。


「……ああ、わかったよ」


 大原の態度に目を丸くしながらも、佐久間は手を差し出した。


「……そうか。わるかったな」


 差し出された手をつかみ、大原は起き上がりざまに頭突きを食らわせた。


「ぶっ――」

 佐久間は鼻血を噴き出して後ずさった。


「よくわかったよ。お前らに話すことはない」

「なんだと」


「この事件、辿っていってお偉いさんと繋がってたら、お前らはどうする」


 鼻を押さえながら佐久間は大原を見すえた。


「警察に不正が多いのは事実だ。だが、お前のようにそういうものだと割り切ってしまえば、あとは流れていくだけだ。たとえ不正に抗える糸口があったとしても、お前のような奴には気づけない」


「偉そうに……」


 佐久間の目には先ほどまでとは違った色があった。


「お前だって、こんなもんちらつかせて威張ってるくせによぉ」


 そういって佐久間は手帳を床に放り投げた。取り調べの前、持ち物検査で押収された大原の手帳だった。


「ガキが、警察でもないくせに騙りやがって!」


 そう言って、佐久間は大原に右ストレートを放った。大原は外側に避けながら腹に一発打ち込んだ。そのまま左ストレートを殴りこもうと半身を切ったところで、下から佐久間の拳が伸びてきた。


「ぐふっ」


 打ち上げられた視界をもとに戻すと、佐久間の右膝が腹に刺さる寸前だった。とっさに膝をあげてブロックし、そのまま佐久間の左ひざを斜めから蹴った。


「うおっ」


 崩れた体制に右肘を食らわせてやった。


「んんっ!」


 鼻血はさっきの頭突きもあってさらに噴き出した。しかし佐久間も負けじと大原の首をつかみ、頭突きを食らわせてきた。


 お互いそれで距離ができた。拳がとどくまでワンステップ必要な距離。佐久間は恐らくその半分でこちらに届く。佐久間の左足を見ると、どうも体重を支えきれていない。さきほどの蹴りがきいているらしい。


 なら――。佐久間のあごから血が一滴落ちたとき、お互い深く踏み込んだ――。


「いいかげんにしろ!」


 しかしその声で、お互い拳を止めた。声の主は隼人だった。


「お前らは出てろ」

 隼人は佐久間ともう一人に声をなげた。


 佐久間は隼人に短く視線をぶつけた後、

「あとはまかせるぜ」

 と言って男を連れて立ち去った。


 二人が出て行ったあと、体の熱だけを残して、部屋は冷たく静まり返った。


「相変わらずだな」


 ひっくり返った机や椅子を眺めて隼人が言った。


「……あいつは警察の風上にも置けない奴だったってだけだ」


「佐久間は、お前の同僚だっただろ」


 大原はそっぽを向いた。


「こんな事するのも、三年前の事件のせいか」


 大原は黙り込んだ。


 そうか。隼人はそうつぶやきながら、椅子に座った。


「なあ安頼、公安に興味はないか」

「公安?」


 公安課、いわゆる公安警察こうあんは基本的には国に対する反社会的活動の監視と取り締まりを主な活動とし、働く人間やその家族に被害が及ばないために身分を隠し、警察内の名簿からも名前が消える、機密性の高い部署だ。


 大原は、隼人に問うような視線をかえした。


「公安にある課を新設する話があるんだ。そこに安頼を引き入れたい」


 隼人の目にはなにか刺すような色があった。


「どういうことだよ」

「手短に話すが、俺は協会を潰したいんだ」

「ふうん」

「理由は聞かないのか」

「別に、協会がどうなろうとしったこっちゃねぇよ。それとも、聞いた方がいいか」


 いや。そう言って隼人は話を続けた。


「協会は前に言った通り国の機関だ。簡単につぶせない事情がある」


「それで」


「安頼が三木の件を任されてるように、協会はこの件に一枚噛んでるんだ。それをダシに協会を潰す」


 別に俺が任されてるのは三木の件じゃないんだがな。そう思いながら隼人の話に相槌をうった。


「だが、この話には条件があるんだ」


 壁に姿勢を預けなおして再び隼人を見た。


「ホシをウチであげなきゃいけないんだ」


 警察として職務を全うするだけの事だ。大した条件ではない。


「そうか。いつも通りやるだけだな」


「いや。そのためには安頼の協力が必要なんだ」


 隼人の声にはどこか陰りがあった。


「今日の事か」


「いや、聞きたいことがあるわけじゃないんだ。安頼には何もしないでほしいんだ」


 しばらく、隼人見ていたが、どこか見当違いな気がして目をそらした。


「どういう事なんだ」


「安頼なら、俺たちより早くホシにたどり着くだろ」


「そんな事はない。実際、大したこともわかってないしな」


「三年前もそう言ってたよ」


 大原は黙った。


「覚えてるか、俺の姉貴が殺された日のこと」


 三年前の連続殺人事件、その被害者の中に、隼人の姉も名を連ねていた。


「あの日、安頼の考え通りにしていればって今でも考えるんだ」


 大原は口をつぐんだ。


「後になって、俺はもう一度あの事件を調べなおしたんだ。当時の資料をあさったり、現場に足を運んだりしてな。正直、犯人も捕まってるし、出てくるものは何もないと思ってた。ちょっとした慰めだったんだ。だが、色々見ていくと当時は気づかなかったおかしなところが見つかったんだ」


「おかしなところ?」

「ああ。あの事件にはな――」


 協会が絡んでたんだ。


 大原は何か言おうと口を開いたが、あの喧騒がすぐそこまで戻ってきているような焦燥感を押さえるばかりで何も言えなかった。


 そこで、部屋をのぞくように一人の警官が顔を出した。


 本宮さん、そろそろ。ああ、わかった。それで警官は扉を閉めた。


「時間がない。安頼、四課には戻してやれないが、公安なら俺が保証する。警察に戻れるんだ。だから、あとは俺たちに任せてくれないか」


 そう言って隼人は扉に向かった。


 協会がつぶれた後、対神霊のセクションが必要になる。お前にはそれらを打ち破るだけの ちからがある。俺には――。


「またな、安頼」

 それで隼人は部屋を出て行った。



 しばらく部屋に取り残されていると、支部長が扉を開けた。


「出るぞ」


 何も答えず、大原は支部長のうしろについて行った。


「送ってやる。明日朝イチで顔を出せ」


 言われるがままに従った。


 流れていく景色は、視覚が表示できる速度にそぐうことはなった――。

 

 


 


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