第5話

 その日、大原は支部長から呼び出しを受けて、協会本部に出向いていた。


「恐れ入るよ。ウチに来たその日に三人の死体を見るとはね」

「……」

「それで、捜査の方はどうかな」


 大原は支部長の手元のファイルを見た。


「もちろんここにしっかりと書いてあるよ。いかに私が君に罪を被らないように働いたかをね」


 大原は舌打ちをした。


「捜査の進捗を聞いてもいいかな」

 大原は溜息をついた。


「西村組の他に、宮村一家もマコを追っているようです」

 自分が見聞きしたものを端的に語った。


「今回の件、宮村一家がやったと思うか」


 ママからの話では宮村一家が店の女を探していると言うが、宮村一家が女を探す理由がわからない。


 ミキやチサを殺したのが宮村一家だとするならば、店の女を探すのは殺すためなのだろうか。


「現状では何も言えません」

「そうか」


 支部長は手元のファイルを閉じた。


滝沢たきざわ隆司りゅうじが出所しているそうだ。聞いてるか」

「いえ」


 その名前はよく覚えていた。滝沢は七年前、マコの父親を殺害した。手錠は大原が掛けた。


「若頭になったそうだ」


 若頭、という言葉に引っかかった。


「代行ですか」

「いや、若頭だ」


 先日の摘発で西村組若頭の席は空席となっているはずだ。若頭、三木遼輔の弟分である滝沢が空席にすわるのはうなずける。滝沢は武闘派ではあるが頭もキれ、人望も厚かった。


 しかし、本来であれば服役等による若頭の空席は若頭代行として扱われ、正式な若頭は決定されない。西村組で何かが起きているのを感じた。


「どういうことですか」

「若頭の三木遼輔、彼は摘発の日、新宿署に向かう途中のパトカーで撃たれたらしい」


「死んだんですか」

「ああ。即死だったそうだ」

「ホシは」

「詳しいことは何もわかってないそうだ」


 若頭の殺害、マコの行方を追う西村組と宮村一家。つながりはあるのだろうか。


 支部長は手元のファイルを閉じて立ち上がった。

「いつまでいる気なんだ」


 大原ははっとした。

「いえ」


 会釈もなしに、出口へと向かった。


「今回の件、やり方は他にもあっただろうが、君だけの責任ではない」


 支部長の言葉を背中で聞き、そのまま部屋を出た。



 大原はスナックの入った雑居ビルを下から眺めていた。


 ビルは一階と四階の二カ所から火の手が上がっていたらしい。一階は警察がすぐに駆け付けていたこともあり、ほぼほぼ焼けずに済んだようだ。四階の火は発見が遅れ、消火活動に時間はかかったもののなんとか原形をとどめていた。


 どちらにせよ、消火活動でかぶった水のせいで、大した証拠はのこっていなかった。


 スナックの二人、アパートの一人を思い出した。はやく、マコを見つけないと。


 大原は三木殺害の現場に言った後、その足で西村組の事務所に向かった。



 西村組の事務所は歌舞伎町の三番通りにあるビルだった。大原は角から建物を覗くかたちで様子を見た。


 そこで、妙な様子が見られた。事務所の入り口前に若い男が二人、道路の向かいには黒塗りのセダンがとめられていた。


 いくら組事務所とはいえ、抗争やお偉い方をむかえるとき以外はこんな警備は行わない。どういうことだ。


「こそこそするなよ。大原さんよぉ」


 そこで、声をなげられた。振り向こうとすると、背中に堅いものがグッと押しあてられた。恐らく銃口だろう。


「久しぶりだな、滝沢」

 大原は声で背中の男を判断した。


「ああ。えらく久しぶりだな。七年ぶりくらいだ」

 滝沢はさらに銃口を背中に押し当ててきた。


「何の用だ」

 滝沢の声は鋭かった。


「この銃、オモチャじゃないな」

「ああ。試すか」


 背中でハンマーの起きる音がきこえた。


「なぜ銃なんてもってる。抗争でもあるのか」

「いいや。そんなものないねぇ」


 怒気を含んだ声だった。


「バカ言うなよ。なにもなしに銃なんてもつかよ」


 いくらヤクザとはいえ、四六時中銃を携帯しているわけではない。そんな事をすれば職質ばんかけですぐひっぱられる。


 大原は事務所の様子も合わせ、何事かが起きていることを感じた。


「……」


 滝沢はしばらくしてハンマーを戻した。それと同時に背中から銃は離れていった。


「試さなくてよかったのか」

「ああ」


 滝沢は顎で前をさした。


「ご迷惑をおかけしました大原警部」


 目の前に立っていたのは西村組組長、大田原おおたわら義美よしみだった。和服に身を包み、短く切られた髪とは対照的に白いひげをたくわえていた。


「大田原さんまで来られるとは。恐れ入ります」

「ここでは風が冷たいでしょう」


 そう言って大田原は事務所に入った。


「はいれよ」

 再度背中に銃口を押しあてられ、なかば強引に事務所に押し込まれた。



 事務所に入ると、机をはさんで大田原、滝沢と向かい合う形でソファに腰を下ろした。


「さきほどは、ウチの滝沢がご迷惑をおかけしました」

「いえ」


 大田原は極道らしからぬ物腰やわらかな男だった。


「実は、大原警部に内々に相談したいことがありまして」

「……お聞きします」


 大原の言葉に、大田原は少し安堵した様子だった。


 四課で勤めていると、よしみのヤクザができる。それはよく事件を起こす奴だったり、警察に逃げ込んでくる奴だったり、きっかけは様々だ。


 大原にとって西村組は付き合いが長く、それこそよしみのあるヤクザではあった。しかし、組長直々とはいくらか稀有な感じがした。


「私たちは、宮村一家と抗争になるかもしれません」


 滝沢は持ち上げた湯飲みを一度止めたが、何事もなかったように口に運んだ。


「どういうことでしょう」

「こちらをご覧ください」


 そう言って机に置かれたのは頭を撃ちぬかれた男の写真だった。


「ウチの三木遼輔です」

 写真の男は西村組若頭、三木遼輔だった。


「どういう事でしょうか」

「我々は三木の殺しを宮村一家の仕業だとにらんでいます」


 大田原は口調こそ先ほどとは変わらないが、その裏には確固たる意志が感じられた。


 しかし、宮村一家は西村組を相手にできるほど大きな組織ではない。しかも、親は同じ侠東会だ。正当な理由がなければ一家は解体、三木の殺しにかかわった人物はそれ相応のケジメを取られる。


「若頭の殺しを一家と疑うワケを聞いてもよろしいですか」

「ウチのシマをかすめ取るようになったのさ」

 滝沢が続けた。


「少し前から一家の奴らはウチのシマにちょっかい出してたんだ。あんたもわかるだろ。組同士でそういう事があれば、それ相応の対応をしなきゃならない」


 大原はうなずいた。小さなもめ事であれば、双方合意のもと金で落ち着かせることもあるが、シマを奪ったとなれば最低でも指はなくなる。


「だが、一家はまだ若い組織だって事で、間に三木アニキが入って事を荒立てないようにしてたんだよ。それがかえって逆効果だったんだろうな」


 西村組のなかでは、三木が最も一家の内情を知っていたという。シノギが少ないことを知りながらも、揉め事が起きると三木は手打ちとして金を請求したらしい。


 それならば、指を取られた方がまだいいという空気が一家にはあったそうだ。滝沢が語った。


「つまり、一家に対する諸々の行為が怨恨となって三木を殺したと」

「ああ。それに、アニキが殺されてから、一家はよりいっそうシマを荒らすようになった」


 話を聞く限りでは理解こそできるが、確たる証拠は一つも出ていない。早計な気がした。


「それで、ご相談というのは」

 大田原を見て言った。


「この男を探していただきたい」

 大田原は三木の写真を片付け、新たに写真を置いた。


「この男は――」

 置かれた写真には、的場次郎が写っていた。


「的場次郎という男です。さきほど滝沢が少し前からシマに手を出してきていると言いましたが、具体的には、この男が出入りするようになってから一家は暴れるようになりました。極力私は一家を潰さないように動きたいのです。この男が元凶ならば、一家を潰さずに済むかもしれない」


 やはり、大田原は極道らしからぬ男だ。しかし、

「この話、私に相談するのはなぜでしょうか」


 彼らからすれば俺は警察の人間だ。わざわざ銃で押し込んでまでこんな話をするのがわからない。


 仮に協力体制になったとしても、歌舞伎町一の西村組がちっぽけな宮村一家の人間一人探すのに警察に頼ったとなれば組の名前は地に落ちる。


「あんた、昨日スナックに行っただろう」


 的場の写真を片付けず、滝沢はそのまま上に写真を置いた。その写真には大原がスナックに入るところが撮られていた。


「あんたが出てってすぐ、ママに聞いたんだよ。大原さん、あんたどういうワケか、マコを探しているようだな」


 大原は答えなかった。


「それからあんた、転職したみたいだな」


 協会に入っていく写真が机に置かれた。恐らく今朝撮られたものだろう。


「いつからつけてたんだ」

「昨日あんたがスナックに入ったときからだよ。一家がそこらじゅう荒らしてるんだぜ。自分のシマの見回りくらいしてるさ」


 自分のうかつさに苛立った。


「それで」

「それで、俺たちもマコを探してるんだ」

「なぜだ」

「興味あるか」


 滝沢は口のはしで笑っていた。


「さっきオヤジが言ったように、俺たちは的場を探してる。だが的場の野郎はなかなか隠れるのがうまくてな」


「それで」


「それでマコが必要なんだよ。あいつの親父が持ってた金、警察は見つけられたんだっけか」


 マコの父親だ西村組から奪った金の事だろう。


「……いいや」

「そうだったよな。あの金は、恐らく的場次郎に流れてる」


 耳を疑った。


「どういうことだ。あの事件は七年以上前だ。的場は最近になって一家に出入りしだしたんだろ」


「そうだ。だが、マコの親父、高木誠が金を入れていたアタッシュケース、それが今になって発見された」


 大原は息をのんだ。


「こちらを」


 大田原は大判サイズの写真を机に置いた。写真は粗い画像で、的場次郎と、彼にアタッシュケースを開き、金を差し出す男が写し出されていた。


「この部分をみろ」


 滝沢は写真のアタッシュケース側面を指さした。


「ここに、見づらいが銃痕の端がうつってる」

 確認すると、確かに銃痕らしきものは確認できた。


「粗くてどうもな。これでなぜ高木のモノとわかる」

「言わせるなよ」


 滝沢は高木の殺しに一度失敗している。そのときについた傷だろう。


「それで、転職した俺にそんな話をしてどうする。さっきの問いに、まだ答えてもらってない」


「恥を忍んで言えば、俺たちは今手一杯なんだ。シマの警備にアニキを殺した奴を探して、マコの捜索もしなきゃならねぇ。だがあんたなら、一人でも的場を見つけ出せる」


 滝沢の目には、何故が信頼の色が見えた。


「買いかぶりすぎだ。実際、今も大した証拠は一つもない」


 立ち上がろうとして、先ほどまではなった気配を背中に感じた。ちらと見ると、大男が二人、大原の後ろに陣取っていた。


 ため息が出た。話してダメなら痛い目を見せるぞという事か。


「的場次郎の捜索、手伝ってはいただきませんか」

 大田原の言葉だった。


「……」

 大原は黙り込んだ。しばらく部屋には味気ない空気が垂れこめた。


「的場次郎の捜索に付き合うってんならマコの捜索はほとんどあんたに任せてもいい」


 大原は天を仰いだ。


 悪魔きょうかいのあとはヤクザと手を結ぶのか。堕ちるとこまでおちるな。そう感じた。


 ならいっそ、断って殺された方がましなのではないか。そう思ったとき、あの男の声が聞こえた。


 ――大原さん、あなたは、悪い人だ。


 顔を伏せた。そうだ。彼に償わなければならい。そのためには、戻らなくてはならない。再び警察に戻らなければならない。


 大原は覆っていた手を膝に戻した。


「わかった。的場の捜索、協力しよう」



 しばらく間があって、滝沢が答えた。


「そう言ってくれて助かるよ」


 その言葉で、背中の男たちは退散した。


 心を落ち着けて、一息おいてから聞いた。


「一つ教えてほしい。さっき的場の捜索にマコが必要だと言った。あれはどういうことだ」


「マコは誠が殺される直前まで一緒に暮らしてたんだ。誠のアタッシュケースの行方はどこまで調べてんだ」


 誠は外出時、必ずアタッシュケースを持ち歩いていた。留守を狙われるのを恐れたのか、単なる不安からかはわからない。


 あるとき、誠はいつも通りアタッシュケースを下げて帰宅した。


 しかし、次の日からぱったりとアタッシュケースを持ち歩かなくなった。その日からアタッシュケースは行方不明となった。大原は端的に伝えた。


「そうだ。つまり、家の中で何かあったんだ。マコなら、その何かを目撃してるかもしれない」

「なるほどな」


 その何か、に的場が絡んでいるとにらんでいるワケか。


「藁にもすがるようだな」

「あんたが藁か」


 お互いそれ以降語ることはなく、席を立った。

 それでは、失礼します。大田原に挨拶をして、その場を去った。



 事務所の階段を降りると、下まで滝沢はついてきた。


「なんだ」

「何かあったらこれにかけろ」


 滝沢はメモ帳に電話番号を書いて渡した。


「いつなら繋がる」

「いつでも。携帯電話だ」


 携帯電話はこの時代、珍しいモノだった。携帯電話は八七年のサービス開始からその普及をはじめたが、とても手が出せる代物ではなかった。


 しかしヤクザの適応は恐ろしく速い。


 ポケベルが発売されたときも、一目散に取り入れたのはヤクザと医者だった。大原は驚きと同時にある種の勤勉さにあきれた。


「わかった」

「あと、お前にこの若いのをつける。好きに使ってくれ」

「今日からお世話になります」


 黒のシングルライダースジャケットに白いティシャツ。それにジーパンを合わせた二十代くらいの短髪の男だった。


「ふぅん。お前、名前は」

「自分、文護ぶんご誠司せいじって言います。お願いします」


「ああ。わかった。連絡先をくれるか」


 渡された連絡先をながめた。


「わかった。ついてこないでいい。連絡した時だけきてくれ」

「うす」

「大原さん、あんたこのあとどう動く」


 アタッシュケースの件は事件の時にマコが同居していたなら新宿署に調書があるはずだ。他に追えるのはチサの言っていたマコを連れ去った人影か。


「チサからマコが消えた日の事は聞いてるな」

「ああ」

「心当たりは」

「宮村一家だとにらんでるが」


「そうか。俺は今日聞いたアタッシュケースの件とマコの行方を追う。お前は」

「俺はアニキをやったヤツと的場の野郎を」

「わかった」


 そう言って二人は互いに背を向けて別方向に歩き出したが、しばらくして大原は声をあげた。


「信じていいか」


 大原は西村組のマコへの今後の扱いを危惧していた。


「信じろよ。俺たちだってあんたを信用して話したんだ」


事務所での話は、漏れれば組を潰すモノだった。 

返事はしなかった。ただ、納得して道に戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る